ここ2週間ほどボクは一人暮らしだった。
娘の冬休みに合わせ女房と娘は日本へ里帰りをした。
久々の一人暮らし、たまには街へ飲みに行こうか、とか考えたが蓋を開けてみればほとんど外に出なかった。
外食もするかなとも思っていたが、友達宅に夕食に招かれたのが1回。
この前の木曜は友達の小僧がホテルカリフォルニアを弾き語りでステージで演奏するのを見に行き、帰りに一人でラーメンを食べた。
ラーメンは不味かったが、ライブは素晴らしかった。
わずか7歳でギターソロをやる小僧。ボクは感動で涙があふれた。
その時の様子がyoutubeで見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=EotgmRqju68
今度はこの親子とセッションをしたいな。
あとは中華のテイクアウェイを1回。
外食はその3回だけだ。
友達を家に招いて飲んだのが3回。
とまあ、かなり規則正しい生活を送っていた。
女房と娘が旅立った後、彼女達の物を全て仕舞った。
あとは自分の物だけ。
自由に空間を使えるというのは気持ちがいい。
一人というのは自由である。
自由の裏には責任もある。
服を脱ぎ散らかしても、部屋が汚くても、誰も何も言わない。
それを片付けるのも自分だし、散らかすのも自分だ。
山での単独行のように、全てを自分の責任でやるというのはある種の緊張感もある。
こうしてボクは一人暮らしを楽しんだ。
娘と女房が日本へ帰るのは3年ぶり。
娘は2週間、日本の女房が通っていた小学校へ体験入学をした。
最初は慣れなくて落ち込んでいたが、帰るころには学校が楽しいと言っていた。
週末にはボクの実家に行き、従兄弟達とも会って楽しい時を過ごしたようだ。
ボク自身は6年前にスキーの関係で日本に帰ったきりである。
子は親の鏡なので、深雪の立ち振る舞いを見れば、ボクがどういう信条でどういう生活をしているか分かるだろう。
なのでボクは帰らなくてもいいかな、などと思った。
その間、毎日のように仕事もあったし。
元気な顔を見せるのも親孝行だろうが、自分がこの地で毎日を明るく楽しく正しく生きるのも親孝行だ。
自分の生き様は子供に伝わり、子供の人格の一部となる。
親バカだが、娘は人間として大切な事を分かっていると思う。
人から奪うのではなく、人と分け合うということが自然にできる。
人の喜ぶ顔が自分の幸せと感じられる人だ。
こういう孫を見れば、親も安心することだろう。
そして昨日、家族が帰ってきた。
家も綺麗に掃除をして、僕は家族を受け入れた。
久しぶりにみんなで食べるご飯は美味しいし、日本のお土産話にも花が咲く。
家族がそろうということはこれまた幸せなことだ。
「家族が戻るという前提があるから一人暮らしがいいんでしょう?」
という声がどこからともなく聞こえる。
確かにそれも道理だが、それを全て受け入れると依存にならないか。
ボクがこの2週間、家族に望んだことは、久しぶりの日本滞在を楽しんで欲しい。純粋にただそれだけだ。
娘にも電話で言った。
「お父さんがお前に望むことは、短い日本の生活を楽しんで欲しい。オマエが楽しむということが一番大切なんだよ」
そしてボクはボクで一人暮らしを楽しんだ。
「もし家族がいなくなって一人になっても楽しめるか?」
という問いをする人がいるが、それにはこう答えよう。
今は家族が元気にいる。それが一番大切なことであり、いなくなることを前提にボクは考えない。
もしそういう事が起こったら、その時はそれを自分の責任として受け止め、前向きに生きるだろう。
いなくなる、という恐怖を持つよりも、今ここにある幸せを僕は感じていたい。
いずれ娘も家を出ることだろう。
その時は、自分の近くにいようが遠い外国に住もうが、毎日を明るく楽しく正しく生きることを望むだろう。
自分は子供に依存しないで自立した老人になり、ある日ポックリと死ぬ。これが僕の目標だ。
そしてこうなればいいな、という想いは実現することをボクは知っている。
娘は今日から学校へ行き、女房は仕事へ行く。
当たり前の日常がまた始まるのだが、その当たり前の事がしあわせなのだ。
故に全ての物事に感謝。
ありがたやありがたや、なのである。
娘の冬休みに合わせ女房と娘は日本へ里帰りをした。
久々の一人暮らし、たまには街へ飲みに行こうか、とか考えたが蓋を開けてみればほとんど外に出なかった。
外食もするかなとも思っていたが、友達宅に夕食に招かれたのが1回。
この前の木曜は友達の小僧がホテルカリフォルニアを弾き語りでステージで演奏するのを見に行き、帰りに一人でラーメンを食べた。
ラーメンは不味かったが、ライブは素晴らしかった。
わずか7歳でギターソロをやる小僧。ボクは感動で涙があふれた。
その時の様子がyoutubeで見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=EotgmRqju68
今度はこの親子とセッションをしたいな。
あとは中華のテイクアウェイを1回。
外食はその3回だけだ。
友達を家に招いて飲んだのが3回。
とまあ、かなり規則正しい生活を送っていた。
女房と娘が旅立った後、彼女達の物を全て仕舞った。
あとは自分の物だけ。
自由に空間を使えるというのは気持ちがいい。
一人というのは自由である。
自由の裏には責任もある。
服を脱ぎ散らかしても、部屋が汚くても、誰も何も言わない。
それを片付けるのも自分だし、散らかすのも自分だ。
山での単独行のように、全てを自分の責任でやるというのはある種の緊張感もある。
こうしてボクは一人暮らしを楽しんだ。
娘と女房が日本へ帰るのは3年ぶり。
娘は2週間、日本の女房が通っていた小学校へ体験入学をした。
最初は慣れなくて落ち込んでいたが、帰るころには学校が楽しいと言っていた。
週末にはボクの実家に行き、従兄弟達とも会って楽しい時を過ごしたようだ。
ボク自身は6年前にスキーの関係で日本に帰ったきりである。
子は親の鏡なので、深雪の立ち振る舞いを見れば、ボクがどういう信条でどういう生活をしているか分かるだろう。
なのでボクは帰らなくてもいいかな、などと思った。
その間、毎日のように仕事もあったし。
元気な顔を見せるのも親孝行だろうが、自分がこの地で毎日を明るく楽しく正しく生きるのも親孝行だ。
自分の生き様は子供に伝わり、子供の人格の一部となる。
親バカだが、娘は人間として大切な事を分かっていると思う。
人から奪うのではなく、人と分け合うということが自然にできる。
人の喜ぶ顔が自分の幸せと感じられる人だ。
こういう孫を見れば、親も安心することだろう。
そして昨日、家族が帰ってきた。
家も綺麗に掃除をして、僕は家族を受け入れた。
久しぶりにみんなで食べるご飯は美味しいし、日本のお土産話にも花が咲く。
家族がそろうということはこれまた幸せなことだ。
「家族が戻るという前提があるから一人暮らしがいいんでしょう?」
という声がどこからともなく聞こえる。
確かにそれも道理だが、それを全て受け入れると依存にならないか。
ボクがこの2週間、家族に望んだことは、久しぶりの日本滞在を楽しんで欲しい。純粋にただそれだけだ。
娘にも電話で言った。
「お父さんがお前に望むことは、短い日本の生活を楽しんで欲しい。オマエが楽しむということが一番大切なんだよ」
そしてボクはボクで一人暮らしを楽しんだ。
「もし家族がいなくなって一人になっても楽しめるか?」
という問いをする人がいるが、それにはこう答えよう。
今は家族が元気にいる。それが一番大切なことであり、いなくなることを前提にボクは考えない。
もしそういう事が起こったら、その時はそれを自分の責任として受け止め、前向きに生きるだろう。
いなくなる、という恐怖を持つよりも、今ここにある幸せを僕は感じていたい。
いずれ娘も家を出ることだろう。
その時は、自分の近くにいようが遠い外国に住もうが、毎日を明るく楽しく正しく生きることを望むだろう。
自分は子供に依存しないで自立した老人になり、ある日ポックリと死ぬ。これが僕の目標だ。
そしてこうなればいいな、という想いは実現することをボクは知っている。
娘は今日から学校へ行き、女房は仕事へ行く。
当たり前の日常がまた始まるのだが、その当たり前の事がしあわせなのだ。
故に全ての物事に感謝。
ありがたやありがたや、なのである。