あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

キウィスピリッツ

2012-07-12 | ガイドの現場
「キオラ」
ボクは元気よく挨拶をした。
「そうか、ここはキオラだったよな」
50代半ばのおじさんが、はにかみながら握手をしてきた。
こうやってボクの冬の仕事が始まった。
今回のお客さんはニュージーランド人の家族。
お父さんは北島ハミルトン、お母さんは南島ゴアの出身。
そしてティーンエイジャーの娘が二人。
彼らは香港に住んでおり、その前はインドにも数年間いたそうな。
両親は生まれも育ちもニュージーランドだが、娘達は香港とかインドで過ごした時間の方が長いという。
お父さんが何の仕事をしているか知らないが、だいぶお金持ちのようだ。
というのは、家族全員に専属インストラクターをつけてプライベートレッスン、それが滞在の期間、今回は10日間ずーっとである。
家族はクライストチャーチに滞在して毎日ポーターズへ通う。ボクは専属のドライバーだ。
お昼はインストラクター達や僕もカフェで、毎日好きなものを食べさせてくれる。
初日、スキー場に行く途中でスキーショップに立ち寄り娘のスキーウェアー上下を定価で買う、といった具合である。
娘には新品のウェアーをポンと買うのだが、親父は20年ぐらい前のセーターを平気で着ている。
しかも背中は大きくカギ形に破れている。
そこだけ見ればキウィのローカルファーマーだ。
ボクはそのセーターを見て、いっぺんでこの親父が好きになってしまった。
家族は毎年この時期、ここへ滑りに来る。
クィーンズタウンにもマウントハットにも行ったが、ポーターズが一番気に入り、毎年ポーターズへ来る。
スキー場にとっても上得意さんというわけだ。



ボクの仕事はドライバー。なのでスキー場に着いたらフリーである。
家族にはそれぞれインストラクターが付くのでボクがやる事は何も無い。
パウダーの時は当然滑るし、山頂でまったりしたり、ハイクアップをして奥を滑ったり、といった具合だ。
カフェで好きな時に好きなものは食べられるし。最高に美味しい仕事である。
天気は雪が降って1日クローズになったが、それ以上はこれでもかというぐらいに晴れが続いた。
朝一番で山に上がり朝日に向って拝む。今日1日良い1日でありますように、家族が怪我などしないでスキーを楽しめますように。
そして景色を見てぼんやり。時には山頂に本を持ってくることもある。
Tバーを降りて数分歩き山の裏側へ行けばさらにパノラマが広がる。
わずか数分でこんな景色のところへ来れるのがこの山のいいところだ。
遠くにはクライストチャーチも見える。
こちらから向こうが見えるということは、向こうからこちらが見えるという事である。
6月の頭に、犬を連れて近所の公園からこの山を見て「あと1ヶ月もすればあそこにいるんだな」と思った。
そしてボクはこの山に立つ。
裏側の方へ少し下れば、スキー場の音は全く聞こえず、静寂という最高のシチュエーションに身を置く事ができる。
こんな所での読書はたまらない。
ゲレンデの方へ戻ると顔見知りのパトロールが朝の仕事を終えて一息ついていた。
こういうタイミングでおしゃべりをするのも好きだ。
そうしていると家族が上がってきたので写真を撮ってあげる。
ぼくにとってはどうってことないサービスだが、家族は皆喜んでくれた。
自分に無理なく相手の喜ぶことをしてあげる、というのが本来のサービスの姿だ。
その根底は愛だ。
この根底が一歩ずれると同じ事をしても、媚を売る、となってしまう。



家族の朝は早い。朝型のボクにはおあつらえ向きだ。
7時ごろまだ暗いうちにクライストチャーチを出る。
車を走らせるうちに明るくなってきて、朝日を受けてピンク色に染まる山に向って行く。
隣に座った親父が言った。
「いいなあ、素晴らしい朝じゃないか」
親父がワクワクしている気持ちが伝わってくる。
親父は昔、ケービング(洞窟の中を歩くこと)などもやっていたという。
奥さんと一緒にルートバーンを歩いてみたい、などという話もでる。
当然ながら車内でも話は盛り上がる。
価値観が同じような人とは話が早くて良い。
スキー場に着き1日滑り、午後の早い時間に山を下る。
モーテルへ彼らを送り届けて終了。4時過ぎに終わる。
家へ帰ってすぐに犬の散歩だ。マウンテンバイクで近くの公園へ行く。
さっきまであの山の山頂にいたんだな、と思い山を見る。
こういう景色の見方は楽しい。
地球の上で生きているんだな、と強く感じる。
西の山に日が沈むのを見ながらボクは手を合わせる。
今日という素晴らしい日に感謝。



以前クィーンズタウンでのスキーツアーで働いていた時の話である。
アメリカの典型的な金持ちのお客さんで、ボクの仕事は空港からホテルへの送迎だった。
4人のグループにでっかいスーツケース10個以上。
「一体あんたたちゃ、何を持ってきたの?」というぐらいの荷物の量だった。
ホテルへ着くと、『それを誰かが運ぶのが当然』という態度で中へ入っていった。
こういう人達と心は繋がらない。
金持ちが全てそうではない、と分かっていても、自分の中の金持ちに対する偏見は消えなかった。
今回の家族はそういう意味で、ボクの心の殻を一つはがしてくれた。
奥さんが、荷物が多くて大変そうなので手伝うと言っても、「いつもこんなのは自分でやってるから大丈夫」と自分で運んでしまう。
スキー場のカフェでも、混んでいて人手が足りなくテーブルに食器が残っているような時に、奥さんがそれを片付けているのをよく見た。自分達のだけでなく、誰か他のお客さんの所の片付けもするのだ。VIPなのに・・・。
家族が泊まるのはどこにでもある郊外のモーテル。
聞くと自炊をしていると、そして娘の一人はベジタリアンなのだと。
それなら家の野菜をたべてもらわなきゃ。
次の日にボクはシルバービート、メキャベツ、ネギ、カボチャをプレゼントした。
自分に無理なくできることで、喜んでもらう事をするのが愛だ。その見返りは一切期待しない。
純粋な気持ちでこの人達に、美味しいものを食べて欲しい。そこが芯だ。
案の定、野菜は大変喜ばれた。
お客さんハッピー、ボクハッピー、野菜ハッピー。幸せのバイブレーションである。



ある時、ボクは親父に言った。
「そのセーターいいね。ベリー・キウィだ」
親父は側にいた娘に言った。
「ほら見ろ。こういうのが好きな人だっているんだぞ」
きっと普段は娘達に「お父さん、そんな破けたの捨てて新しい服を買えばあ」などと言われているんだろうな。
このことに関しては親父と車の中で話をした。
ニュージーランド人の良い点で、使えるものを直していつまでも使う、というものがある。
たぶん開拓の地なのでそういう流れは自然にできたのだと思う。
25年前、初めてこの国へきた時にボロボロの車が多い事に驚いた。
昔は車が高かったというのもあるが、塗装がはげているのなんて当たり前。穴があいている車も普通に走っていた。
車を道具として考えたら、走って曲がって止まればいいのである。
ちょっとぐらいへこんでいたって、機能に差支えがなかったら何の問題もない。
服だって街を歩いている人が破けた服とか穴が開いているのを平気で着ていた。
貧乏とかそういうのではない、着れるから着る、使えるものは使うという、いたってシンプルな考えだ。
日本から来たボクにはカルチャーショックだった。
物は質素だが、何かほのぼのとした居心地の良さを感じた。
時代は流れ、この国の人達の意識も変わりつつある。
最近は中国製の安い物も大量に出回り、この国も大量消費の波に呑まれようとしている。
街を走る車を見ればピカピカだし、洗車カフェ(人に車を洗ってもらい、その間はカフェでお茶をする)なんてこの国では流行らないだろうと思っていたが、結構人気がある。
ディスカウントストアへ行けば、物を直すより安い値段で新品が買える。
だがそんな中でも、昔からの機械を大切に使い続ける人達もいる。
クィーンズタウンの看板でもあるアーンスローという蒸気船は今年百歳を向かえた。
百年前の機械を丁寧にメンテナンスをして現役で使い続ける。
根底にあるのは愛だ。愛が無ければこんな事はやっていられない。
ボクが行くクラブフィールドも昔の機械をそのまま使い続けている。やはり芯は愛だ。
物があふれている世の中で、使えるものは使い続ける精神。
これこそ精神性の高さの証ではなかろうか。
ボクはこれをキウィスピリッツと呼ぶ。



全ての仕事が終わった後にチップをいただいた。
封筒には簡単なメモが添えてあった。
その最後にローマ字でアリガトウゴザイマスと記されていた。
親父と車の中で言語の話になった時に、彼が言った
「ありがとう、という言葉は全ての言語に共通して、一番大切な言葉なんだよ」
その言葉が心に残る。
ボクは家に帰り、ビールを開けた。
お客さんが喜んでくれて、自分が納得のいく仕事の後のビールが一番旨い。
「ありがとうございます」
ボクは家族に、太陽に、大地に、世界に向ってつぶやいた。
こういう仕事もいいものだ。




コメント (8)
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