あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

庭の話、あれこれ。

2016-07-01 | 
家事仕事と庭仕事の毎日である。
スキー場のオープン予定は先週末だったのだが、雪が無くオープンは延期。
まあ無いものは仕方あるまい7月になったら降るさ、と楽観的に考えているのである。
おかげで庭仕事が進むこと、この上ない。
庭にあった大きな柳を切り倒しファイヤーウッドにして、それを友達のサムの家へあげた。
我が家には暖炉はないので、もらっていってくれると助かる。
木を切る作業、それを片付けて薪にする作業は楽ではないが、こういった作業は嫌いではない。
我が家にあった根っこが腐って傾いだ柳の木。
放っておいたら倒れてフェンスを壊してしまうだろう。
そうでなくても夏の間に大きな枝が落ちて隣家との間のフェンスを壊したのだ。
被害はたいしたことなかったので修理したが、放っておいて向こう側に倒れたら目も当てられない。
その木が薪になり、友達の家庭を暖めてくれる。
僕にとっては自分の家も友達の家も同じこと。
野菜を作るのも、ガイドの仕事をするのも、薪にするのも、どれも大切な仕事なのである。
仕事という自分の行動を自分だけのためにするのか、それとも広い範囲で人間のためにするのか。
その人間のためというのは友達もそうだが自分も含む。
意識をどこに置くかで、同じことをやるにしても結果は変わる。
サムから薪のお返しにと、彼の家でいらなくなったレンガを80ばかりもらってきた。
これで庭にかまどを作ろうと思っている。
行く行くはピザオーブンなんかいいな。

りんごの木を植えたのは数年前になるか。
今年もよく実をつけた。
何年か前には鳥よけにネットをかぶしたのだが、今はやめた。
その時は鳥に食われること=損するという考えだった。
今は共存と言うかおすそ分けと言うか黙認と言うか。
全部食われて自分たちの取り分が無くなったらそれはそれで困るが、そういうこともなく、まあ鳥もほどほどに食べている。
そして鳥の食いかけを取ってみると、それがまた旨いのだ。
今までは食われるのがもったいないので一斉に収穫したのだが、今は赤くなったものから食べる分だけ木から取って来て食べるようにした。
りんごもやはり新鮮なものは美味い。
我が家のりんごの品種はフジなのだが、中に蜜がたっぷり入って甘く、適度な酸味とのバランスがよい。



先日ニュージーランドでは、というか南半球では冬至を迎えた。
これから冬に向かっていくのだが、太陽が出る時間は長くなっていく。
今まで日陰になっていた場所もこれから日が当たったいく。
今年は大木をばっさりと切ったので、日当たりも今以上に良くなるはずだ。
2週間ぐらい前に植えたニンニクがぼちぼちと芽を出し始めた。
ニンニクは冬至に植えて夏至に収穫というのが暦の上での目安だ。
今年も150株ぐらい植えただろうか。
今年は普通のニンニクに加え、空いている場所にエレファントガーリックを10株ぐらい植えてみた。
エレファントガーリックとは巨大ニンニクで味はややマイルド。
粒がでかいので料理にも使いやすい。
はてさてどんなのができることやら。

最近は木の引越しもした。
フィジョアという果物をご存知だろうか。
そう、あの緑の、中はクリームっぽく、やや甘いし酸味もある、あのフルーツ。
これを知らない人に伝えるのに何と言えばいいのか長いこと迷っていたが、ある所で「バナナとパイナップルの中間のような果物」という形容を読んだ。
なるほど言いえて妙、その例えは近いな。
でもバナナよりクリームっぽいし、パイナップルほどジュクジュクではないし、フィジョアはやっぱりフィジョアなのだ。
このフィジョアと言う木は熱帯のものだが寒さにも強い。
というわけでクライストチャーチあたりでも良く育つ。
我が家はみんなこれが好きなので、何本か苗を買って植えてみたのが数年前。
その時には初代ニワトリのヒネが死んだので、土に埋めてお墓代わりに木を植えた。
名前をつけたら食べれなくなっちゃうからね。
二世代目のニワトリのプクが死んだ時に、またその横にもう1本フィジョアを植えたのだが、これが大きくなって手狭になった。
そう、木というのは植える時は小さいものだから、どうしても間隔を狭く植えてしまう。
木がもっと大きくなると移植をするのが難しくなるので、まだ若いうちに移動しておくのだ。
柳の木の奥にスペースができたのでいずれはその辺りを果樹園にしようか。
ワナカのケンさんからビワの苗木をもらってきてあるので、それも土地に植えられるのを待っている。
ビワは以前から欲しいなあと思っていたのだが、この国にあるのは知らなかった。
3月にネルソンに行った時にモツエカの友達の家に行った時にそこで初めて見た。
いいなあ、そのうちにガーデンセンターで見たら買おうかな、なんてことを考えていたらケンさんの所に苗木があり、それを頂いた。
欲しいと思うものは常に手に入る。
そういう風にできている。



温室の中ではトマト、きゅうりが寿命を終え、今はレタスやほうれん草が育っている。
去年の春に植えた唐辛子が未だに元気で、まだまだ実をつけている。
多量に唐辛子が取れたし、ラー油は以前作ったものがまだ残っているのでタバスコ作りにでも挑戦しようか。
今は便利なものでネットでちょっと検索すればタバスコの作り方だって出ている。
それほど難しいものではなく、タバスコもお酢による醗酵食品だと知る。
新しいことを知り、やってみるのはいつもワクワクする。
大切なのは走り続けることではない、走り始め続けることだと竹原ピストルも唄っている。
新しいことを始めるのと同時に継続もまた大切。
庭の土作りは継続的な仕事であり、こういう目に見えない仕事をおろそかにしては野菜作りなどできない。
そういったもろもろの物事が複合的に重なって、庭という空間で輪廻の世界がある。
生き物が育ち土に還る。
その間で我らは生きる。
そんなことを庭仕事の合間に考えた。









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