あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

冬至

2017-06-23 | 日記
北半球では夏至の日が南半球では冬至。
冬に至るで冬至。
温度的にはこれからどんどん冷えていくのだが、僕の心は明るい。
この時期、日の出は遅く日の入りは早い、太陽の軌道は低くあっという間に夕方になってしまう。
だがこの日を境に確実に太陽に当たる時間は増えていく。
そう考えるとなんとなく心が軽くなるのだ。

僕はよく太陽に向かって拝む。
朝、犬の散歩の時に昇ってくる朝日に向かって手を合わせて、働く人の安全を学校へ向かう子供達の愉しみをお天道様にお願いする。
お天道様という言葉も好きな言葉だ。
太陽、お日様のこともさすが、もっと大きな範囲を含めた言葉だな。
とてつもなく大きな存在で悪いことをしたら自分を戒めるような、常にそこにありながら時には叱咤し、時には優しく見守ってくれる。
そんな感じか。
僕がよく歌うマオリの天の神に捧げる歌のイーヨマトゥアが近い存在だろう。

「そんな事してるとお天道様にみつかって罰が当たるよ!」
なんてことを昔の人は悪さをする子供に言ったことだろう。
お天道様なんてものは目に見える物ではないので悪ガキなぞは信じないだろうが、そんな子供もいつか自分が痛い目に合いながら成長していく。
その人生の中でお天道様という言葉がどこかに常に存在し続ける。
そして自分が親になった時に子供に向かって同じ言葉を言うだろう。
言霊は存在する。
お天道様という言葉を発した時に、何らかの魂が宿う。
それは人間の心の中心と密に繋がり、人格というものの一部となる。
そういった人間が集まり社会というものができあがる。
今の世の中がどうしようもなくなっているのも、そういった美しい言葉が失われたからだろう。
ちなみに戦後、GHQが日本のマスコミに禁じた言葉の一つに『言霊』があると言う。
なんとなく分かるような気がするな。

僕は今では完全に言霊という物を信じているので、独り言でも汚い言葉を使わない。
言霊は日本語だけではないのである。
昔、英語を覚えたての頃は汚い言葉を使うことが格好いいと勘違いして頻繁に使っていた。
長距離バスの運転手をやっていた頃は心も荒れて、「ファック、ファック」と呟き毒づきながら運転をした。
それから数年経ち、あまりそういう言葉も使わないような心理状態になった。
ある時、一人で運転している時に狭い山道で、対向車線を大型のトラックがかなりのスピードで走ってきてカーブですれ違った。
ぶつかりこそしなかったが、ギリギリで思わず「ファック」と口から言葉が出た。
その瞬間、向こうのトラックが跳ねた小石がこちらの車のフロントガラスを直撃した。
これはストーンチップと言って、ニュージーランドでは割とよくあることである。
たいていの場合、小さな傷が付くくらいの物だが、当たった時の音はけっこう大きい。
僕はその瞬間、雷に打たれたようになり言霊というものの存在を確信した。
それ以来、その言葉を使ったことは無い。
偶然だ、科学的でない、と言う人はいるだろう。
だが僕は自分の心の中心の声を信じる。
「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。」
マザーテレサの言葉である。

冬至の話だったな。
その日僕はアーサーズパスへ行った。
道中から見えるオープン間近のスキー場に雪は無く、オープンは延期になった。
まあ、まだ冬至。
冬に至る日なので雪はこれからだろう。
久しぶりのアーサーズパスは気持ちが良かった。
ミルフォードやマウントクックのような派手さはなく地味だが、じっくりとニュージーランドの自然が残る場所で、僕は好きだ。
氷河からの雪解け水は切れるように冷たく美味い。
澄んだ空気がキリっと冷え、冬の到来を伝えている。
きれいな空気にきれいな水、豊かだ。
夏のそれとは全く違う太陽が、薄い雲を通して大地を照らした。
日の光は弱いものだが、それでもその光を浴びると体が喜ぶ。
お日様というのもきれいな言葉だな。
これからもこの世界を照らしてください。
僕はお日様に向かって手を合わせた。



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