あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

収穫という作業

2014-05-31 | 
今年はリンゴがよくできた。
全部で100以上も大きな実ができて、あまりの多さに枝はしなり木が倒れそうになった。
なので間引きを兼ねて早い時期に半分ぐらい収穫した。
残りは木で熟させ赤くなったものから食っていった。
一度に収穫をしてしまうのでなく、その時に食べる分だけ取った。
このりんごが旨いのなんのって、妻曰く「今まで食べたリンゴで一番旨い」と。
僕もそう思った。
何よりリンゴの中の蜜がすごい。
リンゴを甘くするために蜜を注射する、なんて話を聞いたことがあるが我が家のリンゴはそんなことしなくても蜜がたっぷりで甘い。
個体によっては甘すぎるぐらいだ。
贅沢な話だな。



リンゴの木を買ったのは3年前か。
品種はフジ。
フジという品種は富士山のフジだと思われがちだが、本当は青森県の藤崎町のフジなのだと青森が選挙区の元厚生大臣が教えてくれた。
最初の年は3個ぐらい。
去年は15個ぐらい実がなった。
そして今年は枝がしなり木が倒れそうなぐらいに実をつけた。
間引きをして残ったものは日が良く当たるように回してあげた。
肥料は堆肥を作る時に出る液肥を時々根元にかけてあげた。
枝が混み過ぎないように剪定もする。
人間と植物の関係は、どれだけそこに目を向けてあげるかだと思う。
放っておいて育つ木もあるが、気持ちを込めて水遣りをしたり声をかけてあげたり枝が折れないように支えたりという人間の気持ちからくる行動も重要な要素だと思う。
そして収穫は食べる分だけ。
これが大切だ。



新鮮というのは最大の旨さである。
野菜でも果物でも取り立てというのは文句なしに旨い。
物によってはすぐに傷んでしまうものもあるし、割と長持ちするものもある。
長持ちするからとつい食品庫などで保存をしたくなってしまうが、できることなら食べる分だけ採るというのが理想だ。
理想だが効率は悪い。
特に産地と消費地が離れている場合にはそれは不可能だ。
我が家の場合、リンゴを取りに行くまでかかる時間は30秒ぐらい。
なのでこれができる。
そしてこうやって食べる分だけ採っていると、自分が育てた木と言えど自然からの物を頂く謙虚な気になる。
そして次に出る感情は感謝だ。
1回で収穫を済ませてしまえば楽だし効率は良いだろう。
だが効率の良さを追い求めた結果、世界はどうなった?
人間とは何とか楽をしようと色々な工夫を凝らし文明という物を築きあげてきた。
だがやはり今の人類に、何か大切なことを失ってしまったという気がぬぐえない。
原点に戻り、食べるものを自然から戴く喜び。
新鮮で旨い物を食べる感動。
これが毎回の収穫で味わえる。
家庭菜園だからこそできることがある。



そうやってリンゴを毎日食べているうちに残りのリンゴが3つになった。
旬が終わろうとしている。
短い秋が足早に過ぎ去り、冬がやって来る。
だが家のリンゴが無くなったらお店でいつでも買える。
便利な世の中だ。
時々思うのだが、「ここまで便利じゃなくてもいいのになあ」と。
全てにおいて効率は良くなったが、同時に失われた物も多い。
しかしそれを知りつつ生きるのも人間。
便利ならば便利な事に感謝をしよう。
こうやってブログが書けて写真が乗せられることにも感謝ですな。
ありがたや。

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