日本から生きのいい若者が来た。
名前はトモヤ 若干二十歳である。
日本の白馬で働き、オーストラリアのスキー場で働こうとしてワーホリを取ってオーストラリアに来たものの、期待していた仕事がダメになった。
メルボルンのバックパッカーで腐っていたが、娘の紹介でニュージーランドの我が家にやってきた。
娘とは白馬のスキー場で繋がっていて、娘と一緒にスキーパトロールの見習いをした。
トモヤからすれば藁にもすがる思いでニュージーランドに飛び込んできたのだろう。
話を聞くと、東京の大学に入ったが、本当にやりたいことはスキーだということで大学を中退し白馬のスキー場で働き始めた。
子供の頃からスキーの競技をやっていたというので、スキーの基礎は出来ている。
これがスキーを全く知らない、スキー業界を知らないという人なら、こちらも考えてしまうが経験者なら話は早い。
何よりやりたいことのために、とりあえず日本を飛び出した無鉄砲さが気に入った。
自分もそうだったが、今では白馬のレジェンドスキーガイドになっているカズヤだって昔はそうだった。
年を取ってくると守らなければならない物が増えて行動を起こすのが億劫になるが、若い時は失う物が何もない。
そういう意味で若いというのは特権なのかもしれない。
若い時の経験は財産、というのはそういう意味も含む。
トモヤが来て色々と話をして思ったことは、真っ直ぐな人間なのだろうと。
これは親の人間性もそうなのだろうと想像できる。
子は親の鏡である。
子供の立ち振る舞いを見れば、親の人生観や生き方もなんとなく見える。
「この世は金が全てで、人に騙されるぐらいなら人を騙せ」という親の人格なら子供もそうなるだろう。
子供というのは親が言うようになるのではない。
親がなるように子供はなる。
きちんと挨拶ができる、目を見て話ができる、玄関の履物を揃える、トモヤのそういった振る舞いを見て弟子となることになった。
内弟子というのだが、師匠の家に住み込みで家事仕事をしながら修行する弟子のことである。
弟子と言っても、僕はスキーの技術や山の技術など教えられない。
そもそもスキーなど人様に教えるほど上手くない。
今まで弟子と認めた人達にもそうだったが、人としてのあり方みたいなところだろう。
先ずは「親より先に死ぬな」そして「自分がやるべきことをやれ」
基本的にはこの二つぐらいだろう。
トモヤがニュージーランドに来たものの雪は降らず、スキー場のオープン予定日が来ても雪不足でオープンは延期となった。
その間、庭でテント生活をしながら漫画の岳を読み、僕が休みで山に行く時には連れて行き、僕が仕事の時には一人で自転車で街を走るというそんな生活をした。
ペールエールを飲ませた時には美味さに感動してこんな美味いビールは飲んだことがないと言った。
確かに日本ではラガーやピルスナー主体なのでエール系のビールは少ない。
なのでラガーとエールの違いから教えることとなり、実際にビール造りを手伝わせた。
食べる物もうちはちゃんとした食材できっちりと作るので、それを見学させ時には調理も手伝う。
全てが修行である。
そんなトモヤが来て三日目だったか、派手な失敗をやらかした。
日本でも運転しているし、国際免許を持っているというので、うちのスバルを運転させた。
バックでドライブウェイから出る時に、庭のフェンスにフロントバンパーを引っ掛けてそのまま引き剥がした。
この時のトモヤの落ち込み具合がすごかったな。
まあ気持ちも分かる。
知らない人の所で寝食の世話になっているのに、さらに車まで壊してしまうというていたらく。
泣きそうな顔で平謝りをするトモヤを見て、可愛いなと思った。
そしてまた愛おしくも思った。
この若者がどう育っていくのか見たいと思った。
子供が育つのには大人の愛が必要不可欠である。
よく子供が「見て、見て」とアピールするのは、愛を求めているからなのである。
大人の愛は、親からの愛が最大なのだがそれだけでなく、祖父母や親戚のおじさんおばさんといった家族の愛。
そして社会においては学校の先生やスポーツチームのコーチ、習い事の先生、隣近所のおばさんなどなど、いろいろな人の愛を受けて子供は育つ。
ホモ・サピエンスという種族は社会で子供を育てる生き物とも言えよう。
それならばこの若者が育つのに自分も一役買うべきではなかろうか。
思い起こせば自分だって子供の時も成人してからも、色々な人のお世話になって生きてきた。
恩返しをするのも良いが、恩送りと言って次の世代にそれを受け継いでいくこともあるのだと、昔働いていた会社の先輩に教えてもらったこともあった。
「申し訳ありません。自分は日本へ帰って働いてお金を作って弁償します」と言うトモヤ。
「ダメだ、それは許さん。お前はここに何をしに来た?スキーだろ?お前がやるべき事は日本に帰ってお金を作ることではない。今まで以上に一生懸命修行をしてスキーをすることだ。」
「でも…」
「デモもストもない。返事はハイだ。分かったか。」
「ハイ、分かりました」
「その代わり、これもネタにするぞ」
「ハイ。ネタでも何でもしてもらって結構です」
「よし、このネタで一生お前をいじってやろう。頑張ってビッグなスキーヤーになってくれ。そうしたら『アイツが若い頃にうちの車を壊してな』とネタにしてやるから」
そんな会話をして話がついた。
これが人を巻き込む人身事故だったり車を廃車にするような大事故ならまだしも、大したことのない車のかすり傷なら勉強代というものだ。
この件でトモヤを責める気は一切なく奴に運手をさせた自分の責任だと思っているし、いつ自分がそういうことになるかもしれないという戒めでもある。
ただバンパーが外れた車というのは見た目がひどく、見せしめのために何日間かそのままにしておいた。
2週間ほど家で弟子見習い期間を過ごし、トモヤはスマイリーズというスキー宿へ移った。
そこで宿の手伝いをしながら、空いた時間にスキーをする
薪割り、ベッドメーク、掃除、皿洗い、などなど全てが修行だ。
そしてまもなく兄弟子でもあるオトシが日本からやってくる。
オトシの事は今までのブログでも書いているのでくどくど書かない。
兄弟子と弟弟子という兄弟関係すなわち上下関係もそこでできる。
構造的に言えば北村聖を頂点とするヒエラルキー構造の一部なのである。
二人とも白馬を拠点に生きる人間なので面白い繋がりになるだろう。
ちなみに白馬のレジェンドスキーガイドのカズヤも今年はNZに来るかもしれないと。
カズヤは僕にとっては弟子ではなく弟のような存在だが、やはり若い頃にヘマをして面倒を見て、生涯奴隷になるとヤツが宣言した。
なので北村家一門の中では(いつから一門になったんだ)カズヤの立ち位置は奴隷ということで最下層であり、弟子のトモヤより下である。
トモヤの双子の弟がカズヤと一緒に働いていて8月ぐらいに来る予定だということで、これまた人との繋がりが面白おかしく成り立っていく。
そんな具合に若いトモヤはただいま絶賛修行中。
師匠としては、車を壊した直後のトモヤの泣きそうな顔を写真に撮って残さなかったことが心残りである。
名前はトモヤ 若干二十歳である。
日本の白馬で働き、オーストラリアのスキー場で働こうとしてワーホリを取ってオーストラリアに来たものの、期待していた仕事がダメになった。
メルボルンのバックパッカーで腐っていたが、娘の紹介でニュージーランドの我が家にやってきた。
娘とは白馬のスキー場で繋がっていて、娘と一緒にスキーパトロールの見習いをした。
トモヤからすれば藁にもすがる思いでニュージーランドに飛び込んできたのだろう。
話を聞くと、東京の大学に入ったが、本当にやりたいことはスキーだということで大学を中退し白馬のスキー場で働き始めた。
子供の頃からスキーの競技をやっていたというので、スキーの基礎は出来ている。
これがスキーを全く知らない、スキー業界を知らないという人なら、こちらも考えてしまうが経験者なら話は早い。
何よりやりたいことのために、とりあえず日本を飛び出した無鉄砲さが気に入った。
自分もそうだったが、今では白馬のレジェンドスキーガイドになっているカズヤだって昔はそうだった。
年を取ってくると守らなければならない物が増えて行動を起こすのが億劫になるが、若い時は失う物が何もない。
そういう意味で若いというのは特権なのかもしれない。
若い時の経験は財産、というのはそういう意味も含む。
トモヤが来て色々と話をして思ったことは、真っ直ぐな人間なのだろうと。
これは親の人間性もそうなのだろうと想像できる。
子は親の鏡である。
子供の立ち振る舞いを見れば、親の人生観や生き方もなんとなく見える。
「この世は金が全てで、人に騙されるぐらいなら人を騙せ」という親の人格なら子供もそうなるだろう。
子供というのは親が言うようになるのではない。
親がなるように子供はなる。
きちんと挨拶ができる、目を見て話ができる、玄関の履物を揃える、トモヤのそういった振る舞いを見て弟子となることになった。
内弟子というのだが、師匠の家に住み込みで家事仕事をしながら修行する弟子のことである。
弟子と言っても、僕はスキーの技術や山の技術など教えられない。
そもそもスキーなど人様に教えるほど上手くない。
今まで弟子と認めた人達にもそうだったが、人としてのあり方みたいなところだろう。
先ずは「親より先に死ぬな」そして「自分がやるべきことをやれ」
基本的にはこの二つぐらいだろう。
トモヤがニュージーランドに来たものの雪は降らず、スキー場のオープン予定日が来ても雪不足でオープンは延期となった。
その間、庭でテント生活をしながら漫画の岳を読み、僕が休みで山に行く時には連れて行き、僕が仕事の時には一人で自転車で街を走るというそんな生活をした。
ペールエールを飲ませた時には美味さに感動してこんな美味いビールは飲んだことがないと言った。
確かに日本ではラガーやピルスナー主体なのでエール系のビールは少ない。
なのでラガーとエールの違いから教えることとなり、実際にビール造りを手伝わせた。
食べる物もうちはちゃんとした食材できっちりと作るので、それを見学させ時には調理も手伝う。
全てが修行である。
そんなトモヤが来て三日目だったか、派手な失敗をやらかした。
日本でも運転しているし、国際免許を持っているというので、うちのスバルを運転させた。
バックでドライブウェイから出る時に、庭のフェンスにフロントバンパーを引っ掛けてそのまま引き剥がした。
この時のトモヤの落ち込み具合がすごかったな。
まあ気持ちも分かる。
知らない人の所で寝食の世話になっているのに、さらに車まで壊してしまうというていたらく。
泣きそうな顔で平謝りをするトモヤを見て、可愛いなと思った。
そしてまた愛おしくも思った。
この若者がどう育っていくのか見たいと思った。
子供が育つのには大人の愛が必要不可欠である。
よく子供が「見て、見て」とアピールするのは、愛を求めているからなのである。
大人の愛は、親からの愛が最大なのだがそれだけでなく、祖父母や親戚のおじさんおばさんといった家族の愛。
そして社会においては学校の先生やスポーツチームのコーチ、習い事の先生、隣近所のおばさんなどなど、いろいろな人の愛を受けて子供は育つ。
ホモ・サピエンスという種族は社会で子供を育てる生き物とも言えよう。
それならばこの若者が育つのに自分も一役買うべきではなかろうか。
思い起こせば自分だって子供の時も成人してからも、色々な人のお世話になって生きてきた。
恩返しをするのも良いが、恩送りと言って次の世代にそれを受け継いでいくこともあるのだと、昔働いていた会社の先輩に教えてもらったこともあった。
「申し訳ありません。自分は日本へ帰って働いてお金を作って弁償します」と言うトモヤ。
「ダメだ、それは許さん。お前はここに何をしに来た?スキーだろ?お前がやるべき事は日本に帰ってお金を作ることではない。今まで以上に一生懸命修行をしてスキーをすることだ。」
「でも…」
「デモもストもない。返事はハイだ。分かったか。」
「ハイ、分かりました」
「その代わり、これもネタにするぞ」
「ハイ。ネタでも何でもしてもらって結構です」
「よし、このネタで一生お前をいじってやろう。頑張ってビッグなスキーヤーになってくれ。そうしたら『アイツが若い頃にうちの車を壊してな』とネタにしてやるから」
そんな会話をして話がついた。
これが人を巻き込む人身事故だったり車を廃車にするような大事故ならまだしも、大したことのない車のかすり傷なら勉強代というものだ。
この件でトモヤを責める気は一切なく奴に運手をさせた自分の責任だと思っているし、いつ自分がそういうことになるかもしれないという戒めでもある。
ただバンパーが外れた車というのは見た目がひどく、見せしめのために何日間かそのままにしておいた。
2週間ほど家で弟子見習い期間を過ごし、トモヤはスマイリーズというスキー宿へ移った。
そこで宿の手伝いをしながら、空いた時間にスキーをする
薪割り、ベッドメーク、掃除、皿洗い、などなど全てが修行だ。
そしてまもなく兄弟子でもあるオトシが日本からやってくる。
オトシの事は今までのブログでも書いているのでくどくど書かない。
兄弟子と弟弟子という兄弟関係すなわち上下関係もそこでできる。
構造的に言えば北村聖を頂点とするヒエラルキー構造の一部なのである。
二人とも白馬を拠点に生きる人間なので面白い繋がりになるだろう。
ちなみに白馬のレジェンドスキーガイドのカズヤも今年はNZに来るかもしれないと。
カズヤは僕にとっては弟子ではなく弟のような存在だが、やはり若い頃にヘマをして面倒を見て、生涯奴隷になるとヤツが宣言した。
なので北村家一門の中では(いつから一門になったんだ)カズヤの立ち位置は奴隷ということで最下層であり、弟子のトモヤより下である。
トモヤの双子の弟がカズヤと一緒に働いていて8月ぐらいに来る予定だということで、これまた人との繋がりが面白おかしく成り立っていく。
そんな具合に若いトモヤはただいま絶賛修行中。
師匠としては、車を壊した直後のトモヤの泣きそうな顔を写真に撮って残さなかったことが心残りである。
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