ガイドをしていていろいろな人に会う。
そのうちの多くの人が言う。
「この国は物価が高い」確かにそうだろう。
この国は他の国に比べて物価が高い。
日本では130円ぐらいで買えるジュースがこちらでは3ドルとか4ドルもする。
牛乳の国内消費が3%で残り97%は粉ミルクにして世界中に輸出しているのに、牛乳と乳製品の値段は近隣の国より高いというバカバカしいことにもなっている。
日本では300円ぐらいで牛丼が食えるが、ここ(クィーンズタウン)ではチャーハン一杯が1000円以上もする。
では聞きたい。
安ければいいのか?
高い安いという判断は比較があればこそ。
それこそ為替相場で安くもなるし高くもなる。
ここに住む人には選択の余地もない。
だが人間とは常に文句を言いたい生き物なのだろう。
高いと文句を言い、そうねそうねとなぐさめてほしいのだ。
「物価が高くて生活が大変です」という苦労話を聞きたいのだ。
正当な値段云々などという話は聞きたくないのだ。
ここではっきりと言おう。
物が高いと不平を言う人よ、
自分で作ってみろ
野菜でも肉でもなんでもいい。
自分で作れ。
自分で取れ。
野菜を作った事のある人なら分かるだろう、売り物にならない野菜ができることを。
肉をばらしたことのある人は分かるだろう、パックで売っている肉を買うことがどんなに楽か。
これを書いていて気がついた。
高いと不平を言う人に共通して僕が感じるイヤな気。
そこに感謝がない。
不平を言いながら人間は感謝をできない。
安く売ってもらった時に人は感謝をするが、高いと思いながらお金を支払う時に感謝はない。
高いと思うなら買うな。
買うならそういうものだと思え。
お金を支払う事を損をすると思えば、何でも高く感じる事だろう。
正当な値段というものがあるのだ。
野菜を作り初めて、店で安売りをしている野菜を見て悲しくなった。
生産者が市場で直接売っている野菜は安くはないが正当な値段だと思う。
家計は楽ではないが、できるだけそういうものを買っていきたい。
そして買う時には笑顔でありがとうと言いたい。
自分自身を戒める気持ちも含め、この話を書いた。
そのうちの多くの人が言う。
「この国は物価が高い」確かにそうだろう。
この国は他の国に比べて物価が高い。
日本では130円ぐらいで買えるジュースがこちらでは3ドルとか4ドルもする。
牛乳の国内消費が3%で残り97%は粉ミルクにして世界中に輸出しているのに、牛乳と乳製品の値段は近隣の国より高いというバカバカしいことにもなっている。
日本では300円ぐらいで牛丼が食えるが、ここ(クィーンズタウン)ではチャーハン一杯が1000円以上もする。
では聞きたい。
安ければいいのか?
高い安いという判断は比較があればこそ。
それこそ為替相場で安くもなるし高くもなる。
ここに住む人には選択の余地もない。
だが人間とは常に文句を言いたい生き物なのだろう。
高いと文句を言い、そうねそうねとなぐさめてほしいのだ。
「物価が高くて生活が大変です」という苦労話を聞きたいのだ。
正当な値段云々などという話は聞きたくないのだ。
ここではっきりと言おう。
物が高いと不平を言う人よ、
自分で作ってみろ
野菜でも肉でもなんでもいい。
自分で作れ。
自分で取れ。
野菜を作った事のある人なら分かるだろう、売り物にならない野菜ができることを。
肉をばらしたことのある人は分かるだろう、パックで売っている肉を買うことがどんなに楽か。
これを書いていて気がついた。
高いと不平を言う人に共通して僕が感じるイヤな気。
そこに感謝がない。
不平を言いながら人間は感謝をできない。
安く売ってもらった時に人は感謝をするが、高いと思いながらお金を支払う時に感謝はない。
高いと思うなら買うな。
買うならそういうものだと思え。
お金を支払う事を損をすると思えば、何でも高く感じる事だろう。
正当な値段というものがあるのだ。
野菜を作り初めて、店で安売りをしている野菜を見て悲しくなった。
生産者が市場で直接売っている野菜は安くはないが正当な値段だと思う。
家計は楽ではないが、できるだけそういうものを買っていきたい。
そして買う時には笑顔でありがとうと言いたい。
自分自身を戒める気持ちも含め、この話を書いた。
また、私は自分の頭を刈るのに床屋さんのお世話になるのですが、そこでは3800円します。10分1000円カットというところがありますので、3.8倍もするのですが、自分ではできないので3800円でもいいと感じています。色々と話もできますし。
聖さん、毎度毎度色々なことを気づかせてくれてありがとうございます。
こんにちは。
要は支払う側の気持ちの問題ではないかと思います。
床屋でも安いだけの所へ行くか、少々高くてもお気に入りのお店に行くか。
はたまた僕のようにバリカンを買って自分でやるのか。
どちらの選択も間違ってはいない。
そのお金を支払う時に、自分の心を振り返り納得がいくか。
ポイントはここだな。
自分が納得して気持ちよくお金を支払う時、自然にありがとうという言葉がでます。
そういう世の中になるよう、僕も心がけている。
先ずは自分の身の回りからなのです。
私が15年ぐらい前にNZを訪ねたとき、レンタカーがパンクして(しかもスペアタイヤも空気が入っていなかった)しまったことが
あって、たまたまメスベンの街中に居たときだったので、その
パンクしたタイヤを手で転がしながら修理屋に運んだことがありました。
拙い英語で会話しながらの修理でしたが、その店の人は終始
ニコニコしながら修理をしてくれて、で、「いくらになりますか?」
というと、たしか日本円で600円ぐらいなことを言われました。
一瞬耳を疑いましたが、本当にそうでした。
お礼を言ってお金を渡す時「景気はどうなの?」って訊くと
「まあまあだよ」と言われました。
「シアワセそうな人だな」と小さな感動がありました。
この記憶があまりに鮮明に残っているので、NZって暮らしやすそうという感じが今でも消えません。
長文駄文失礼いたしました。
15年前というと1ドル45円ぐらいでだったときですね。
あの頃は何でも安かった。
僕が始めてきた時には90円ぐらい、今は95円ぐらいですかね。
為替相場でこれだけ変わるんですね。
幸せそうな修理工の話、ありがとう。
NZは物価が上がったけど、今も暮らしやすい国です。
もうひとつエピソードがありました。
そのレンタカーでPottsのロッジを目指して走っていて、すっかり
夜になってしまい、あろうことか異国の地で道に迷ってしまいました。
英語に自信はなかったのですが、おそるおそる道から外れて
一軒の農家を訪ね「道に迷ってしまいました、Pottsロッジまで
の道を教えて下さい」と玄関先で言いました。
おそるおそるというのは、アメリカ映画のようにいきなりショットガン
で撃たれたりしないだろうかということだったのですが、
もちろんそんなことは全然なくって、地図まで描いて持たせて
くれました。
そのとき思ったのは、外国から人を呼び寄せることに躍起になるよりも
たまたま訪れた外国人が「ここに住んでる人はシアワセそう
だなあ、また来たいなあ(あるいは「ここに住んでみたいなあ」)」と思うってことが大事なんじゃないかということでした。
この国の人達は困っている人を放っておけないのです。
それぐらい人がいい。
故にリピーターも多い。
最後の文に著しく同意です。