あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

さらば ミカン

2014-05-01 | 日記
大雨の時に犬のココがニワトリをかみ殺したのは昨日書いた。
見るも無残な状態なのだがなんとかしなくてはいかん。
噛まれたのは首の後ろあたりで胸とか腿は無傷なので、その辺りの肉を取ればいいか。
覚悟を決めてニワトリコーナーへ行き、どれが殺されたのかチェック。
あれ?こいつらは皆若いやつらだ。
ということは、殺されたのはミカンか。
ミカンは初代から飼い始めたニワトリで(今居るのは3代目)娘が名前を付けた。
オレンジ色だからミカンなんだそうな。

ニワトリが来た

久しぶりに読み返してみたけど、もう4年前になるんだな。
ということは我が家では4年間、健康で新鮮で美味しい卵を食べ続けたわけだ。ありがたやありがたや。
死んだニワトリがミカンならば話は別。
こいつは食うわけにはいかない。
実は4年前に僕はミカンとヒネに約束をしたのだ。
「お前達を食べません。殺しません。年を取って卵を産まなくなっても死ぬまでボスというかクィーンで居てください」
最初に来たときにあまりに可愛かったものだからこんな約束をしてしまった。
もう一羽のヒネはある日突然死んでしまって、なきがらは土に埋めてその上にフィジョアの木を植えた。
ミカンはヒネが死んでからもボスで居続けた。
犬のココが来たときにはニワトリよりも小さい子犬でニワトリにつつかれてキャンキャン鳴いていたが、成長して体が大きくなりニワトリを襲った。
ミカンが襲われ首のあたりを噛まれ瀕死の重傷をおった。
毛は抜け皮は裂けヨロヨロしているミカンを見てもうダメかと思ったがなんとか生き延びた。
若いニワトリ達が来た後は、他の鳥達をつついたりして意地悪なクィーンぶりを発揮していた。
そんなミカンがボスとして勇敢にココに闘いを挑み負けたのかどうか知らないが死んでしまった。
約束どおり食べないで木の下に埋めてやろう。



この時が来たらと思って植木鉢で育てていたランツウッドを植えることにした。
ランツウッドはこの国の原生種で何処にでも生えている。
子供の時には傘の骨組みのようだが成長するにつれ葉っぱの形を変える木で、大人になった木のシルエットが良い。
庭木に植えている家も多い。
この木を家の入り口に植えたいと常々思っていた。
ああ、その時が来たのだなあ。
思ったことは実現するのだが、手放しで喜びながらというわけでもない。
穴を掘りミカンを埋め土をかけその上に木を植えた。
「ありがとうミカン、君の卵を食べた感動を僕は忘れない。あとは土に還りこの木を育ててやってくれ。」
そうつぶやいて僕は手を合わせた。



生きとし生ける物は全て死ぬ。
僕達の命は数多くの死の上に成り立っている。
動物の死と植物の死や虫の死にどんな違いがあるのか。
家族や自分を含めた死というものに対してどこまできっちりと見つめるか。
答のない問いを胸に僕は生きる。



さて残ったニワトリは5羽。
これには名前を付けていない。
名前を付けたら食べられなくなることを学んだのだ。
そしてヒネとミカンのような約束もしていない。
この鳥達には常日頃からこう言っている。
「毎日おいしい卵をありがとうございます。いずれ僕はあなた達を食べます。それまで元気に育っておいしい卵を産んでください」
夏が終わる頃から卵の数が減った。
今は毎日2つから3つで時々4つある。
卵を産まない鳥もいるわけだが、ある人はこの話を聞いて「サボっている」と言った。
すごいイヤな言い方だと僕は思った。
卵というのも命である。
ひよこが産まれても産まれなくても鶏の命の一部なのだ。
人間はそれをいただいて生きる。
そこをおろそかにしてはいけない。
卵を産む鳥はそれだけエネルギーを使うのでやせてガリガリなんだそうな。
そういえば巣箱にいつもいるのは体も小さい鶏だ。
5羽のうちの1羽はまるまる太っていかにも美味そうだ。
これが卵を産んでいる気配はない。
そろそろこいつの命を頂こうか。


コメント
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