数日間、仕事で南島ツアーへ行った。
雪も降れば晴れもあり、羊の渋滞あれば家の引越しありとフルコースのツアーだった。
冬の間は南に下りることもほとんどないが、数ヶ月ぶりに来ればやはり美しい所だと感動する。
感動、この心無くガイドは務まらない。
たとえ何百回来た所でも美しい物を美しいと思う心。
これがガイドの条件だと思う。

足の怪我はゆっくりと快方へ向かっている。
20代だったらもっと早く良くなるのだろうが、年とともに回復も遅くなっているのだな。
ケガや病気は何のためにあるか。
僕は健康の有難さを知るためにあるのだと思う。
たとえそれが治らないものだったとしても、それを受け入れ何かを学ぶチャンスというか機会なのではないか。
だから僕は『闘病』という言葉はきらいだ。
病気と闘うなんて人間の思い上がりの何ものでもない。
全ての出来事を自分の責任として受け止め、見た目には悪いような事にも感謝。
行き着くところは、生きている事に感謝なのではなかろうか。

足に負担をかけないよう、芝生に転がりながらニンニク畑の雑草を取る。
椅子に座りながら春蒔きの種をポットに植える。
無理に動くとピキっと痛みが走るので、それは体からのメッセージとして受け止め、それ以上は動かないようにする。
どんな時でも自分にできることをする。
自分にできることとは、徹底的に自分と向き合う事によって見えてくる。
僕のやるべき事とは何か。
今はまだ漠然として分からないが、この先の何か大きな変化と共に、自分が必要とされ、今まで以上に大きな仕事(世間一般の仕事という意味ではなく)が来る気がする。
その時を楽しみにしつつ、今日という日を楽しみながら過ごすのである。

雪も降れば晴れもあり、羊の渋滞あれば家の引越しありとフルコースのツアーだった。
冬の間は南に下りることもほとんどないが、数ヶ月ぶりに来ればやはり美しい所だと感動する。
感動、この心無くガイドは務まらない。
たとえ何百回来た所でも美しい物を美しいと思う心。
これがガイドの条件だと思う。

足の怪我はゆっくりと快方へ向かっている。
20代だったらもっと早く良くなるのだろうが、年とともに回復も遅くなっているのだな。
ケガや病気は何のためにあるか。
僕は健康の有難さを知るためにあるのだと思う。
たとえそれが治らないものだったとしても、それを受け入れ何かを学ぶチャンスというか機会なのではないか。
だから僕は『闘病』という言葉はきらいだ。
病気と闘うなんて人間の思い上がりの何ものでもない。
全ての出来事を自分の責任として受け止め、見た目には悪いような事にも感謝。
行き着くところは、生きている事に感謝なのではなかろうか。

足に負担をかけないよう、芝生に転がりながらニンニク畑の雑草を取る。
椅子に座りながら春蒔きの種をポットに植える。
無理に動くとピキっと痛みが走るので、それは体からのメッセージとして受け止め、それ以上は動かないようにする。
どんな時でも自分にできることをする。
自分にできることとは、徹底的に自分と向き合う事によって見えてくる。
僕のやるべき事とは何か。
今はまだ漠然として分からないが、この先の何か大きな変化と共に、自分が必要とされ、今まで以上に大きな仕事(世間一般の仕事という意味ではなく)が来る気がする。
その時を楽しみにしつつ、今日という日を楽しみながら過ごすのである。
