日記

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近世公家(鷹司家)の葬儀の流れ・満中陰まで

2024年02月14日 | ブログ
近世公家(鷹司家)の葬送の記録がなかなか興味深い。鷹司兼煕公の葬儀、満中陰までの記録がある。

戒名、院号(通例、戒名は天皇、摂関家は院号のみ)を三宝院に頼むも、突き返して、自分たち(身内に僧侶関係も多い)で(心空華院と)付けている。

20日に亡くなって、23日に通夜、入棺。24日に出棺。25日〜27日は、そのまま二尊院に安置されていたのだろう。

28日に送葬行列とあるが、実質、引導、焼香とあるため、葬儀が28日であることがわかる。死後1週間後である。龕前堂は火葬場にある建物であり、火葬場への送葬後、龕前堂にて葬儀が営まれる感じであったのだろう。

火葬、収骨を終えて戻り(二尊院)、七ヵ日法事が勤められている。七ヵ日法事は、七日間、毎日勤めるものであるようだ。

七ヵ日法事とはどのような法事であったのだろうか。

そして、初七日忌を、29日に勤めている。逮夜で数えるなら25日。

二七日忌が、11月2日。逮夜の正当日にあたるかな。

ところが、三七日忌が4日、四七日忌が6日と、えらい早くにまとめて勤めている。二尊院の行事の影響だろうか、、

五七日忌が、11日、六七日忌が18日、初月忌20日で石塔供養、納骨(?)。25日、満中陰の法事。

中陰が少し日がまばらであること以外は、しっかりとお勤めがなされてあることが分かる。

一ヶ月での石塔建立、納骨が通例だったのかもしれない。なかなかに興味深い。

https://otemae.repo.nii.ac.jp/record/1593/files/1989_wu_h027-056_fujii.pdf


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