日記

日記

浄土真宗における信心と領解について

2024年07月01日 | ブログ
もちろん、信心のあり方について、これまでも論じてきたように、拙生はさほど甘くは見積もっていない。

個々人の信心、個々人の領解は尊重すべきだが、真実浄土への往生は、無疑心はもちろん当然ながら、他にも完備すべき条件を調えなければ不可であると考えている。

全ての信心、領解を認める、如来は全てを受けとめてお救い下さるから大丈夫と言ってしまえば、何でもありとなり、そもそも教義すら不必要となってしまうのである。

それは、「新しい領解文」と同様の悪取空的な失を犯すことになると、拙生は考えるのである。

当然に、真宗の場合においては、こちらからはからって調えるものはありませんが、真実浄土へ往生するための条件に沿うあり方へと向かわねばならないものがあると考えています。

でなければ、信心、領解のあり方も、条件なしに何でもかんでもを認めるものとなり、そもそも教義の意味もないものとなります。

どっちにしても何をしても救われるしと。真実浄土への往生は二種法身を獲得することにもなりますから、当然にその成仏の根拠も必要であると考えるところであります。


最新の画像もっと見る