日記

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浄土真宗本願寺派 とり亮顕

2024年08月10日 | ブログ
他力の道を求むる姿勢に敬意を頂いて、こちらを紹介頂いた。ありがとうございます。なるほどです。

宿善もやはりという議論がある。

門主も三業惑乱以来における宿善不要派による宗門の閉塞からの打破を図るために、必要とする方向へと舵を取ろうとしたのかもしれない。

しかし、新しい領解文が、あまりにも不備のある稚拙なものを出してしまったがゆえに、大きく後退を余儀なくされてしまったわけではあるが、この方向性は、門主が辞めない限り、これからも変わらないかもしれない。

とにかく、無疑心までを他力回向のはからいによるとなれば、全分他力として、もう、なすべきことがもちろん、何もなくなる。

また、何をしても図らいの中、自力行、六波羅蜜を実践しても、他力のはからいの中となれば、何をしようが、異安心も無帰命安心もないということになる。究極の予定調和である。

これなら、他力のはからいの中ではあるけど、せっかくなら、何かしても良いし、ならば良いこととして慈善活動をしようとなるのも頷けることでもある。

いずれにしても、宿善については見過ごせない問題である。


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