日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

親孝行とか人助けとか

2017年07月19日 | 日記
親孝行だと、いつも言われます。
否定するわけじゃないんだけど。

親孝行ね、そう言われると
頭の中で私は金魚のように口をパクパクさせる。
だけど言葉は出てこないんだなあ。
とりあえず一言では説明できない。
ある時ちょっと母の友人に言いかけたら、そうそう、そう思うと言われた。
むつかしいけれど再度挑戦します。

親孝行とは。

私が思うにこれは他のいろんなことと同じく一つの共同作業ではないか。

親が子どもにこうあって欲しいと望み、孝行し、されるような関係性を築き、育て、子どもがその気持ちに応えた時に発現するもの。
母はおそらく、親孝行な子どもを持つ母でありたかったのだと思う。
もし母が、人のことはいいから遠くに飛んで行きなさいという人だったら、私は親孝行な娘にはならなかったのではないか。
ともかくこんなに人に言われるほどには。

相互に作用する「親孝行」なのだと思うんです。

(あー、気をつけなくちゃ、娘がちょっと親孝行すぎる)


たまに、人のことばかりしているねとも言われます。

これもどうなんだろう。

手伝う、助ける、も共同作業で
助ける役と助けられる役が一緒に
「助け合う状況」を作るのだと思う。

私は自分の世界に「たすけあう」「支えあう」があって欲しい。
自分が動いて相手がつきあってくれてそれが出現するなら、対等な立場の共同作業だと思う。

役柄は交換可能だし、ほんとにお互いさまだし。

助けているように見える人だって
助けられている側面もある。

教えているように見える場合も
本当は教えられている。

そう思うようになったら
助けてもらうこともうまくできるようになりました。


なかなか説明してもわかってもらえないけどね。







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9 コメント

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基本 (せすな5)
2017-07-20 08:04:17
この世のこと、特に人どうしって「等価交換」なんだと思うんだよね。
ただ、本人が欲しい形で交換されてなかったり、もらったすぐに気がつかなかったり。

神様から見たら、いやいやきみもちゃんともらってるでしょ?と言われるんだと思う。

まにちゃんは、ちょびっと「飛んでいきたい」人だったのかもね。でも、どどっと飛び立って、するっと戻ってきそうだなと思うんだ。そう、過程は若干違うけど、結局その位置取りなんじゃないか、と。

人どうしのことを深く学びたい魂には、そのための課題が来るんだね、きっと。
まにちゃんは、縁のあった関係を、気持ちよくしておきたい人なんだろうなあ、と思うわけです。それが親相手なら親孝行と呼ばれる、ということではないかしら?
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せすな (まにまに)
2017-07-20 21:15:09
そうだねえ、自分なりに納得していたいんだろうね。
人につきあうことも含めて。

せすなは等価交換、の人なんだね。

例えば弱者が搾取されたりするのは例外としていいんだよね?
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うーん (せすな5)
2017-07-20 21:46:24
正直、弱者が搾取されている、という状態をリアルに考えられず……自他共に納得できるような理屈が言えないなあ……

ただ、輪廻はあるもの、この世は魂の学びの場、と思っていて、すごく長いスパンで、等価交換なんじゃないかな、と考えるのが、一番自分を納得させる理屈なんだな。

傷つけたなら、ごめんなさい。
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せすな (まにまに)
2017-07-20 21:54:49
傷ついてなんかいないよ!
例えば児童虐待とか人身売買とか犯罪的な場合に
被害にあってる側が等価交換って思っちゃ困るなって。
そんなケースは違うよね、と。

せすなのいう意味はなんとなくわかるよ。
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前に (ハナウタ)
2017-07-21 10:07:42
言ってたね。

こどもの一番の親孝行は、こども自身が幸せでいてくれることだって。

それ、いいね。
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うたちゃん (せすな5)
2017-07-21 10:26:15
うん。
私の母は、子どものいろいろをこまごま決めたがる人で、まるで所有物扱いだったんだけどね。

亡くなる数年前から、「ああ、私が充実して幸せならそれでいいんだな」と気がついたの。彼女から見て不安だからあれこれ言ってくるんだな、と。究極「幸せにね」と言いたいんだろう、と。

彼女自身の不安を押し付けてきたら、笑顔と余裕と「大丈夫」で返す、ようにしたらね。
そしたら互いに幸せでした。
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せすな (まにまに)
2017-07-21 11:23:26
お互いしあわせかぁ、よかったね、せすな。

本当に一番の親孝行はしあわせになることだね。
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まにちゃん (せすな5)
2017-07-21 18:58:37
母自身は、「幸せにね」に考えが行き着いてなかったはずなんだけどね。だからずっと不安や焦りがあったんだろうし。

でも母の人生や言った言葉を私なりに総括すると、「幸せにね」を希求していたように見えるのよ。

で、幸せはゆっくり伝染する(伝染したくないひとには伝染しない)から、亡くなる前は少しは楽だったろうと思う。

「まあお互いいろいろ大変だけど、がんはりましょう。手伝えることがあったら言ってね。」と、母は言葉では言ってないけど、毎日電話で話す調子にはそんな雰囲気が含まれていたから。

つい5年前くらいは、母をまだ恨む気持ちが私にあったから、間に合ってよかったなと思います。
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せすな (まにまに)
2017-07-21 19:54:21
まにあってよかった!!

まにあわなくてもね、手はあるけれど、
まにあわなくても、大丈夫なんだけど、
だけどまにあうなら、ありがたい。

私の母も病いの中長く生きてくれたことが
ありがたかった。
まにあったから。
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