何年も前、空港でこどもと親を一人で見送ってから数日後に追いかけて合流した。
その頃の私の日常はwarzone戦時下で、飛び立った飛行機を見送ってぼうぜんとする私は、自分の視点からは、ほぼ難民だった。
少し休みなさいって言う母と、訪ねる先の弟に甘えて、新幹線を途中下車した。そして倉敷で二泊した。
ホテルから景観地区、大原美術館へ歩いた。そうだ、そこだけ今と変わらない感じで、職場のオオツさんからカードキーについて問い合わせの電話があったのを覚えてる。それとあの狭い部屋のエル・グレコ。
死ぬほど焦がれていたはずだけど一人の自由に慣れない私は、時々びくびくと後ろを振り返った。本当はここにいるべきじゃないと誰かにバレて糾弾されるのではないか、と。背中からはよく見たらわかる、ブスブスとかすかに煙がたなびいていた。
駅の周辺は思ったより寂れていて、訪ねようと思った何かは既に営業を終了していた。結局どこにでもあるようなショッピングモールをふらふらして夕食を食べる場所を探していた。一軒の飲食店の前のAの字型の看板をちょっとおかしいくらい長く眺めて、立ち尽くした。
どうしたらいいのかさっぱりわからない、入るべきか立ち去るべきか。
その後私は何を食べたのか、それも忘れた。
できればその時に食べたかったものを食べたのだといいと思う。
友だちと話していてそんな旅の話になった。
私は神戸、と彼女は言った。
私は倉敷だった。
そして私たちは生き延びた。