平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

狂牛病(BSE)と狂鹿病(CWD) (2)

2006年01月12日 | 食の安全
(2)肉骨粉の行方

 「早期輸入再開を求める会」が述べているように、狂牛病の原因は、牛の飼料に含まれる肉骨粉であると考えられています。

肉骨粉には、

(a)プリオンを含む肉骨粉
(b)プリオンを含まない肉骨粉

の2種類があると考えられます。

(a)のプリオンを含む肉骨粉を食べた牛は、BSEになります。言うまでもなく、これは絶対に食物連鎖から排除しなければなりません。

それでは、(b)のプリオンを含まない肉骨粉は安全かというと、そうとは言えません。そもそもBSEがどのようにして発生したのか、その起源はまだよくわかっていないようです。何らかの原因で突然生まれたプリオンが、肉骨粉の輸出・利用によって世界各地に広まったのか、それとも、牛が牛の肉骨粉を食べると、プリオンを作りやすくなるのかもしれません。

そもそも狂牛病は、草食動物である牛に牛の肉骨粉を食べさせるという、自然の摂理に反した人間のおぞましい行為によって発生した病気です。おそらく、プリオンを含まなくても、牛が牛を食べることによって、その牛がプリオンを作りやすくなるというのが、真実であると思われます。

ですから、「早期輸入再開を求める会」が主張するように、「牛の肉骨粉を牛にたべさせない」ということを徹底することが大切なのです。

それでは、アメリカは肉骨粉の使用をやめたのでしょうか?

「暗いニュースリンク」(これは日本では報道されない海外のニュースを邦訳して紹介しているサイトです)より――

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1997年まで、食肉処理の使い残しから作られる肉骨粉は、タンパク源として牛の飼料に転用されていたが、英国で狂牛病が発生すると、合衆国でも飼料業界に飼料への転用を禁止するよう求められた。しかし英国と違い、米国では飼料規制には抜け穴がある。

例えば、牛の肉骨粉を鶏の飼料に使うことは禁止されていない。容器からこぼれた鶏の飼料は、鶏の廃物と一緒にかき集められ、牛の飼料として転用されている。

科学者達は、BSEタンパクが飼料精製課程でも残留し、鶏の内臓を通して摂取されると信じている。

そうしたことにより、結局は牛のタンパクが合法的に牛の飼料として摂取されると、かつて農務省の獣医として狂牛病対策を数年にわたり担当してきたリンダ・デウィラーは言う。

「それほど普通に行われていることではなく、量もごくわずかだとは言えるでしょう」デウィラーは言った。しかしそれでも、システム内に牛のタンパクがあるということは、牛が再摂取することもある、と彼女は言う。

牛のタンパクは鶏の飼料としても、ブタや家庭のペットの飼料としても使われており、飼料工場で突発的に汚染が発生するリスクはある。
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http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/cat246361/index.html

上の引用からもおわかりのように、アメリカでも、肉骨粉を直接、牛の飼料として使うことは禁止されたのですが、ニワトリやブタのエサとして利用することは、現在も禁止されていないのです。

ペットフードのところでも述べたように、肉骨粉には有害な化学物質が含まれていると考えられます。そういうものを家畜の飼料として与えれば、当然、家畜にも化学物質が取り込まれ、最終的には人間の口に入ります。しかし、その問題はここでは扱いません。

BSE問題で重要なのは、「飼料工場で突発的に汚染が発生するリスク」が発生することです。

狂牛病(BSE)と狂鹿病(CWD) (1)

2006年01月11日 | 食の安全
このブログの2005年2月10日に、「クロイツフェルト・ヤコブ病」を書きました。

もう一度確認しますと、「クロイツフェルト・ヤコブ病は、脳がスポンジ状になって痴呆状態に陥る病気です。この病気にはいくつかの種類があるようですが、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病というのは、プリオンというタンパク質の一種を摂取することによって生じるということです。プリオンは狂牛病(BSE)になった牛の特定部位(脳や脊髄)に多く含まれます。早い話、狂牛病になった牛の肉の特定部位を食べることによって発症します。」

私は、「このような状況で米国産牛肉の輸入を再開しては、危険すぎます。日本政府は、アメリカの圧力に屈することなく、国民の食の安全を第一に考えてほしいものです」と書いたのですが、同年12月12日に、厚生労働省は米国産牛肉の輸入再開を決定いたしました。
http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/12/tp1212-1.html

すでに米国産牛肉が日本で販売されています。

この間、この問題に関してインターネット上の情報を色々調べてみましたが、恐ろしい事態が進行していることがわかりました。結論から先に申し上げますと、米国産牛肉は非常に危険です。

(0)国際安全基準とは?
「米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会」という会があります。
http://kaikin.jp/index.php

この会は、「日本政府が国際安全基準にそぐわない〔非合理的な、厳しすぎる〕要求をアメリカにしている」のはおかしい。それを「国際安全基準」(グローバル・スタンダード)に合わせて、安くて美味しい米国産牛肉を早期に輸入再開すべきだ、というキャンペーンを行なった会です。そのメンバーは、吉野家やスエヒロや焼き肉屋などの外食産業、食品販売業者などです。

この会があげる「国際安全基準」とは、

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I.人がBSEに感染しないために、SRM(特定危険部位)を人にたべさせない=牛肉として流通する前にSRMを除去する
II.牛がBSEにならないために、牛の肉骨粉を牛にたべさせない
III.IIの対策の効果測定のための、病牛や死亡牛のBSE検査
※現状では、完全な検査方法はなく、30ヶ月未満の若い牛は病原体となる異常プリオンが脳に蓄積しないため、検査によるBSE検出は難しいとされています。
★最も重要な安全対策は、SRM(特定危険部位)の除去です。
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http://kaikin.jp/genzyo.php

と述べています。

アメリカの現状は、この「国際基準」に合致しているのでしょうか。そのことを以下で検証してみましょう。

(1)肉骨粉、レンダリングとは?
まず、狂牛病の原因となる肉骨粉(meat and bone meal=MBM)とは何か、ということから見ていきます。そのためには、肉骨粉を作る際の「レンダリング」(Rendering)という作業について知る必要があります。

以下は、ペットフードに関するサイトからの引用です。

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レンダリングとは死んだ動物や病気の動物たちの肉を集めて混ぜ合わせ、高温高圧をかけて油脂と肉骨粉をつくることです。

アン・N・マーチンの本「食べさせてはいけない!ペットフードの恐ろしい話」(白楊社)にレンダリングの実態が詳述されています。

「レンダリング工場では食肉処理場からきた原料〔処理場に運ばれる前に死んだ動物たち、頭部や足、毛根骨や足根骨、毛、羽毛、乳腺が、死骸に高レベルの薬物や殺虫剤が入っている原料がレンダリング工場へ運ばれます。癌組織や腫瘍、寄生虫に感染した器官が、汚染された血液が、充血部位や血痕、骨の破片あるいはそこに付着したもの。
つまり食肉の産業廃棄物は全てレンダリング工場行きとなるのです。〕
そのほかに、レストランやスーパーマーケットが出したゴミ、死んだ家畜、路上轢死動物、安楽死させられた犬や猫などのコンパニオン・アニマルが巨大な容器に投げ込まれます。そして機械がこれらの原料を砕き、その後104℃から132℃の間で20分から一時間加熱処理します。すると脂肪や獣脂が上に浮いてくるので、これらを取り出します。
これがペットフードに含まれている動物性脂肪の元になるのです。
最後に残った原料は加圧して水分を搾り出し、肉骨粉になるのです。」
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http://www.apsodog.com/bon08_2.html

※以下には、アン・N・マーチンの本のもっと詳しい紹介があります。
http://www.inualle.com/main/dogfood.html
これを読みますと、犬やネコの死骸もレンダーされて、油脂や肉骨粉にされ、ペットフードとして「再利用」されていることがわかります。

すなわち、

動物の死骸→【レンダー】→動物性脂肪+肉骨粉

ということになります。

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日本で販売されている有名〔ペット〕フードの多くは、海外のこうしたレンダリング工場でつくられた肉骨粉を原材料としてつくられています。各メーカはこの肉骨粉に自社のオリジナルの材料や添加物をくわえてフードとして完成させるのです。
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http://www.apsodog.com/bon08_2.html

海外の動物性脂肪と肉骨粉を使ったペットフードには、保存剤、殺虫剤、薬剤(動物を安楽死させるときに使う毒薬)などの化学物質も含まれています。そういうペットフードがどれほど恐ろしい食べ物かということ、そして、そういうペットフードばかり食べさせていれば、ペットが病気になるということは、上の二つのサイトで十分に説明されていますから、ここでは触れません。

肉骨粉とBSEの関係に戻ります。問題は、肉骨粉がペットフードだけではなく、家畜の飼料としても使われることです。

パッチ・アダムスと笑いの医療

2006年01月09日 | Weblog
娘が借りてきたDVDで『パッチ・アダムス』(1998年制作)という映画を観ました。

これは、人間性を失ったアメリカの現代医学のあり方に疑問を持ち、笑いと愛と思いやりによって患者の生活の質を高めようとする医師の生き方を描いた映画です。

主人公のパッチ・アダムスの医療(ケア)において、もっとも重要なのは「笑い」です。そのため、パッチは道化の格好をして、患者を笑わせます。このような行為は、アカデミズムの牙城としての医科大学や権威主義的な医師の世界と衝突しますが、彼は、自分が理想とする医療が行なえる施設(Gesundheit Institute)の建設を目指します。

※Gesundheitというのは、「健康」という意味のドイツ語で、日常生活では、相手がセキやクシャミをしたときに、「お大事に」という意味で「ゲスントハイト!」といいます。

▼ストーリー
http://www.sankei.co.jp/mov/review/99/patchadams/

この映画には実在のモデルがいます。ハンター・アダムス(1943年生まれ)さんです。「パッチ」は「絆創膏」という意味ですが、ハンターさん自身が自殺未遂で精神病院に入っていたときのエピソードによって付けられたあだ名です。

そもそもアダムスさんは、自分が精神病院に入院中に他の患者を助けた体験から、医科大学に入学し、この映画で描かれたような医療を行なえる施設の建設を目指していましたが、なかなか資金が集まらず、資金集めのために本を書きました。その本が元になってこの映画が作られたのです。(施設はまだ建設されていません。今も資金を募集中です)

ただし、映画はアダムスさんの実際とは少し違っているようです。アダムスさんのホームページは、「多くの場面や出来事は誇張されています。多くが芝居がかり、実際の出来事のいくつかはまったく言及されていません」と述べています。
http://www.patchadams.org/about/faq.html

日本語のインタビュー記事の中でアダムスさんは、「僕は、黒澤監督の『赤ひげ』が好きです。アメリカの赤ひげ・・・のように描かれることを希望していました」と述べています。
http://www.rsk.co.jp/attochannel/report_adams/

ロビン・ウィリアムズ主演の映画は、たしかに笑いをねらった誇張した場面も多いですが、アダムスさんが伝えたかった大切なメッセージは失われていません。それは、医療は、「病気」を治療する冷たい科学ではなく、苦しみをかかえた「人間」の温かな癒やしであるべきだ、というメッセージです。

「笑い」を医療に取り入れようというアダムスさんは、医学界の異端児、変人と見られました。パイオニアとしての困難に直面しましたが、彼の考えに賛同する医師も徐々に増えているようです。「笑い」が健康を増進するということは、経験的に認められる事実であるからです。

最近では、村上和雄先生の笑いと遺伝子の研究によって、「笑い」が健康促進に効果があることが科学的にも証明されつつあります。村上先生には、吉本興業とだけではなく、ぜひアダムスさんとも最強タッグを組んでいただきたいものです。

※村上先生についてはこのブログで時々書いていますので、「村上和雄」で検索してみてください。

実際に、日本の医療現場でも、「笑い」を取り入れる試みが始まっているようです。

アダムスさんは2004年に神戸を訪問し、それがきっかけになって、医療現場に「笑い」を届ける「ケアリング・クラウン」という集まりができました。
http://www.geocities.jp/we_love_patch/index.html

アダムスさんの目的は、理想の医療が行なえる病院の建設だけではありません。アダムスさんは、一人一人の人間が尊重される世界を作るために、諸外国を訪れる「民間外交官」(citizen diplomat)でもあるのです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Patch_Adams

インタビューの中でアダムスさんは、

「みなさん! 世の中の問題を解決する決意をして欲しいのです。普遍の友情を周りの人に向けて欲しい。他の人を思いやることに大きな人生の意味があると考えて欲しいのです。そして、笑いというのは、私たちの生命にとって、水や空気と同じくらい必要です。愛、笑い、思いやりを他の人に届けてください。」

とおっしゃっています。アダムスさんは、医者というカテゴリーさえも超え、人々の心の変革を通して世界の平和のために働く人なのでしょう。


カラシニコフとドゥホボール

2006年01月08日 | Weblog
ロシアのニュース――

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カラシニコフが“至宝”に ロシアの博物館に収蔵

 【モスクワ4日共同】ロシアの歴史的価値のある美術品や宝物を集め、博物館にもなっているモスクワ中心部のクレムリンの武器庫に、このほど、ロシア製自動小銃カラシニコフが収められた。
 イラクやアフガニスタンなど世界中の紛争地で反政府勢力らが多用し、今や最も入手が簡単な武器ともいわれるカラシニコフが、「大国ロシア」を象徴する逸品として“至宝”の仲間入りを果たした格好だ。
 収蔵されたのはロシア人銃器設計者ミハイル・カラシニコフ氏の考案による自動小銃や銃剣など約30点。
 カラシニコフは1940年代末に旧ソ連軍の武器として採用された。今では全世界で出回るカラシニコフは改造品も含めて7000万-1億丁といわれるが、武器庫の担当者は「技術、設計分野における偉大な創造で、ロシア文化を代表するもの」と絶賛した。
(共同通信)
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060104-00000122-kyodo-int

銃がロシアの「逸品」「至宝」とはね。

もちろん、武器も人類の歴史の一部ですから、博物館で保存し展示する意義はあるでしょう。また、日本刀のように、美術品としての価値のある武器もたしかにあります。

しかし、カラシニコフは今でも使用され、人々の命を奪っています。そういう武器を「ロシア文化を代表するもの」と自慢する心理が理解できません。カラシニコフによってロシア文化が代表されたら、心あるロシア人とロシア文化が泣くのではないでしょうか?

ロシアには非暴力の文化的伝統もあります。

19世紀ロシアにはドゥホボールという宗教がありました。ドゥホボール教徒は兵役を拒否し、武器を焼いたことで知られています。文豪トルストイはドゥホボールの非暴力の生き方に深い感銘を受け、中断していた長編『復活』を書き上げ、その印税をドゥホボール教徒がカナダに移住する資金として寄付しました。

五井先生は、『神は沈黙していない』という本の中で、木村毅氏の『ドゥホボール教徒の話』を引用し、紹介しています。

ロシア人が、ドゥホボールやトルストイの非暴力の生き方こそ「ロシア文化の代表」だ、と一日も早く言ってくれるようになることを祈ります。

参考:ドゥホボール教について
http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/review/gottesmutter.htm


自分史(2005年12月)

2006年01月07日 | バックナンバー
 『地球のまわる音を聞きながら』(光文社)という本の著者・原水音さんは、若くしてアメリカに渡航し、人里離れたカリフォルニア山中で暮らし、その後、日本に帰国してからも、屋久島や熊野山中で自然と一体の生活を送ってきた女性である。原さんは、「結婚願望ゼロ、子どもがほしいなんて思ったこともない。都会志向の私が、電気もガスも水道もない山のなか、赤ちゃんを産み育てることになるなんて、つくづく人生って不思議だ」と書いているが、たしかに、世間一般のルートからはかなり逸脱する、不思議で波瀾に富んだ人生である。

 この本は、第一四回北九州自分史文学賞の佳作に入賞した作品だという。この賞は、「誰もが一編の物語をもっている。人生はひとつの長編小説です」というコピーで、作品を募集している。

 「自分史」という言葉は、いつから使われるようになったのだろうか。この賞は平成の初めから開始されているので、その頃から一般的になったのだろう。

 自分史は言うまでもなく自伝の一種である。ただし、自伝が著名な人物の自分史であるのに対し、自分史は、いわば名もない庶民の自伝である。著者が有名人ではないからといって、その人生が興味深くないということはない。どんな人生にも、その人独自の貴重な体験が含まれている。それが自分史の魅力である。

 自分史の流行の背景には、個の自覚の高まりがあるのだろう。たとえ自分の人生が世間の華やかな脚光を浴びるものではなくても、そこには何かの意義があるはずだ、それを本という形で確認し、できれば他の人々とも共有したい――そういう願望があるのだろう。そして、パソコンやインターネットの出現によって、自分史を本として出版することが、以前よりもはるかに容易になっている。

 だが、自分史を書くには、まず書くに値するだけの人生を生きなければならない。人生は「長編小説」、人によっては「短編小説」かもしれないが、たしかにある種の物語ではある。その物語が波瀾万丈の方もいれば、平凡な方もいるだろう。平凡だからといって、それが無意味ということにはならない。大切なことは、人生という物語を通して何を学ぶか、ということであろう。その物語が苦労や失敗の連続であったとしても、愛や感謝や希望の結末になれば、それは素晴らしい物語である。逆に、成功と幸福の人生でも、内面性の成長が感じられなければ、つまらない物語となる。

 自分史を本として著わす人は今でも少ない。だが、執筆とは無関係に、私たちはすべて、日々の想念行為によって、宇宙に一つしかない自分史を創造しつつあるのだ。それを光明の自分史とすることは、私たちの責任である。

原さんのHP