おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

遠距離グローバルから近距離ローカルのための自然主義経済

2008年04月11日 22時58分31秒 | 財務金融
私は毎週日曜日の夜九時に、道場で銃剣道を個人指導していただいています。

この時間帯に、車を走らせると、途中二か所ほど学習塾があるのですが、その塾の周りは保護者達の車でいっぱいになっているのを見かけます。

この道場においても同じです。親御さん方が子供たちを迎える。これらは東京で生まれ育った私にとっては、実に見慣れない光景でありました。

東京区部ならばたいがい皆、歩くか自転車でしょう。三多摩のほうはまた違うかもしれないが、大都市部では、塾や稽古帰りに、親が車で送り迎えすることなどほとんどないのではないでしょうか。

でも東金市のような田舎では、車がないと生きていけません。そしてこれが全国的には一般的なのだろうなと感じました。

私は全国一自動車の保有台数の少ない中野区にいましたが、この東金市に引っ越してしばらくは徒歩と自転車で頑張りました。しかし、あっち行って次の時間までにこっち行くということが絶対に不可能であるために、ついに車を買い、車での交通手段ばかりになりました。レーサーを断念して以来、車を買うのは実に18年ぶりです。人生の18年ごとに車を買うのだろうか。

今は女性でも老人でもドライバーになっています。かつてはそれほどなかったはずです。まして「アクセルとブレーキを間違える」などという馬鹿な事故もなかった。今は、誰でもが手軽に車に乗るようになった。これはいったい何を意味しているか。


都市部では人口が密集しているため、自宅と塾が近い、農村部であると遠い。ただそれだけのことですが、では車がさほど普及していなかった時代に農村部の子供はどうしていたかというと、やはり歩くなり自転車を使っていたのではないでしょうか。

だから私が子供のころなんかは、地方から転校生がやってきたりすると、たいがい喧嘩が強い。足腰がよく鍛えられているからでしょう。

ところが自分が大人になってみて、私が不動産業を営んで、よく気づいたのですが、地方から東京に上京するためにアパート探しに来る人たちに物件を案内すると、すぐに彼らは疲れてしまう。

当社では、物件案内に車を使わず電車と徒歩で案内します。地方から出てきた若者はすぐにバテてしまうのです。

東京の人間は、ふだんから電車に乗り降りしていますが、地方で育った現代の子供や若者は、小学生時代は学校まで歩くけれども、あとは皆、親が車で送り迎えする。18歳ですぐに免許をとって車での交通手段が多くなる。だから東京の人間よりも地方の人間は足腰が弱いのです。

そんな東京の中でも、世田谷区・練馬区・足立区などは、駅から遠いところもあって車での移動が多い地域もあるので一概には言えませんが、とにかく都市農村問わず、車社会になっていることは事実です。

一方で、東金駅の商店街を見ると実にさびれている。旧道沿いの商店街もさびれている。40歳くらいの東金の地元の人に聞くと、彼らが子供のころはこの商店街が栄えていたんだと言います。

そう言われば、私の地元である総武線東中野駅も、自分が子供のころはもっと栄えていた。でも今では、近所で買い物すると高いので、電車で五分しかかからない新宿や二分で着く中野に出る。みなそこで買い物をすませ、レジャーをすませる。家の近くのお店には一度も行ったことのない人が増える。そして地域コミュニティは崩壊し、地域教育が忘れ去られる。

そして勤務形態もそうです。中野区民の半分以上は新宿をはじめとした他区に出ています。練馬区民は池袋近辺、目黒・世田谷あたりは渋谷でしょう。地元のアイデンティティが衰退するのも当然です。新宿駅で署名運動したことがありますが、200人集めて新宿区民は一人もいませんでした。

大資本による大量生産・大量消費の経済システムが地元商店を食い荒らし、人々の交通を遠くにさせているのです。

東金市や山武郡、茂原市や長生郡で考えてみると、新しい店はすべて国道沿いに位置し、すべてがフランチャイズであり、大規模小売店であり、チェーン店です。すべて店内は画一化された規格にのっとって大量生産された省コストで建てられています。

ガソリンスタンドというものも、かつては路地にもあったのですが、現代では幹線道路でしか成り立たなくなっています。

小さな居酒屋もこじんまりしてたくさんあったものが、どんどんつぶれていく。チェーン店の安さにはかなわないからでしょう。飲酒運転が問題になってくるのもここに原因があります。歩いていける距離に飲み屋がなく、車で移動しなければならないところにある。

商店は商店の集中するところ、住宅は住宅の集中するところ、こういう都市計画をやってきた。そしてそれは大資本にとって有利であった。これが資本主義を加熱させた。人々にとって移動手段の自動車を必要とさせた。

多くの諸問題は街のコンパクト化によって解決されるということです。

しかし大資本によるものは強い。これに対抗できるのか自然主義経済というわけです。

小規模の商店は、その店ならではのものができます。しかし、全国共通のお金・目減りしないお金では、必ず大資本に負けます。コストがかかるからです。

しかし地域通貨・目減りするお金ではどうなるでしょうか。

地元産のものを直に売ります。そのためには緑や自然が必要です。木材の加工も必要になってきます。廃れた林業を再生できます。金属品はリサイクルするしかありません。しかし通貨が時間とともに減価するので、石油を使わない限りはこちらのほうが得です。そして石油は輸入に依存していますから、自分たちでエネルギーを生産するでしょう。太陽光発電が必要になるし、バイオ燃料が必要になります。

医療は西洋科学よりも、地元産の薬草・ハーブあるいは予防治療を中心とした東洋医学になっていくでしょう。

どこに廃棄されるかわからない化学薬品も、地元で限定されれば自然に還るものを選ばざるを得ない。

そして、近距離において経済圏が成り立ちます。

グローバルに対してローカル経済を作るのが自然主義経済であり、これが格差社会を生き抜く、貧者たちの光となるでしょう。

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