「日本には資源がないから一生懸命働いて(別に働かなくても金融制度における金儲けでも)外国から食糧・エネルギーを輸入せざるをえない」と誰もが言う。
これが大きな間違いのもとである。
昨日より吉野家では牛丼復活祭と称して、長蛇の列ができていた。
外国から輸入する事で、安く食べられるのが貿易の利点である。
20年くらい前は、寿司なんて高かったものだが、今では低価格で食べられる。
そのかわり得たいの知れないものを使っている場合も多いが、
なにしろ、南米やら東南アジアなど遠方の魚介類を食べているのである。
工業製品においてもしかりである。
ぬいぐるみなんて結構高かった記憶があるが、今では格段に安い。
安い労働力である中国や東南アジアにおいて作っているからである。
人々は国産という安全なものよりも、安価なものを好むようになっていった。
国産はなぜ安全とされるかというと、国内のものだから信用がある。すなわち自らの近くで作られた農林水産物に人々は安心するのだ。さらに国家単位よりも小さい地域であるのなら、なおよいことが生まれる。地域で生産して、その地域で消費し、その地域で廃棄すればサイクルができる。
しかし、これは貨幣制度という方法によって、高価格となるのだ。
これによって自然破壊が生まれる。また、人体に危険なものを取り入れることになる。
二度の世界大戦は、貿易がスムースにいかないかったから起きたのだということで、その反省が生まれる。戦後のブレトンウッズ体制からこうなっている。
WTOかつてはGATTなど、鎖国的貿易政策については圧力をかけてくる。これが世界平和のためなのだと。
しかしながら、日本は鎖国していた江戸時代は平和であり、その後開国したら戦争だらけであった。
戦争の要因について、いろいろ見方はあろうが、その根底には資源の争奪がある。
輸出入せずに、自国で生産・消費が可能であるのなら、海外に依存する必要はない。
だが、はたして本当に海外依存しなければ日本は成り立たないのだろうか。
日本での食糧自給率が低いのは、低くしているからではないだろうか。
石油はたしかに日本にはないが、自然エネルギーの技術たるや、国際社会の中では随一だと思う。
その自然エネルギー設備を作るのに、石油エネルギーが必要だと言うのはわかる。
しかし、「自然エネルギーだけでは日本のエネルギーは自給できない」との思い込みがあるようだ。
はじめから、あれは無理だと考えるのではなく、どのようにするのがいいのかということを先に考えて、無理なものに挑戦して、成功してきたのが、今までの人類が行ってきたことである。
食糧については、日本は水という他国には類まれなる資源がありながら、それを全く利用していない。
下水管を使って雨水を流している。
食糧の生産には、役立てようとはしない。
食糧の生産で経済力を高めるよりも、商業・金融で高めたほうが効率が良いからである。
平和党は、ここのシステムを変えていこうと提唱している。
つまり人間は、お金によって生きているのではなくて、太陽の光・エネルギー、月による引力の動き、火力のエネルギー、水による循環、樹木等植物の酸素生成、金属の利用、土壌による食糧生産などによって生きているのであり、お金はそれらを交換するための道具にすぎない。
しかし、人類は先進国だと思っている国々に限って、お金の道具として人間が動くようになっている。
平和党の自然主義経済は、このお金の力を自然の仕組みの下に置こうとしている。
自然の仕組みと同じようにお金も時間とともに減価していくのである。
そして、自然の仕組みによって、食糧とエネルギーを国内で完全自給する。
やがては、地方自治体ごとに自給できる地域づくりをする。
今、海外から届けられている安価なものは極めて危険なものが多い。
中国などは自然破壊が大規模に進んでいる。そのとばっちりは日本に来るだろう。
そのためには、日本一国で経済システムが完結できる方法を模索しなければならないのである。
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