新進党とは、94年から4年間にわたり、自民党かに次ぐ第2党で、平成最初の最大保守野党であった。
小沢一郎幹事長が作り、小沢一郎党首がぶちこわした政党である。
小沢氏は、羽田孜氏を党首にかつぎあげ新生党を作り、その後、公明党・日本新党・民社党に加えて自民党脱党組を統合して新進党を作った。
この最初の新生党というのは、竹下派分裂によって生まれた政党である。
竹下派には七奉行と言われる人たちがおり、
●小沢一郎
●羽田 孜
●奥田敬和(故人)
●渡部恒三
●橋本龍太郎(故人)
●小渕恵三(故人)
●梶山静六(故人)
というメンバーであった。
このうち下の三名は竹下派の後継・小渕派となった。(小渕首相死去の後は橋本派、現・津島派)
上の四名は羽田派で、やがて自民党を派閥単位で飛び出して新生党を結成する。そして新進党へと
巨大化していくのである。
私の政治活動の中では、敵陣営に相当しながら味方陣営になることもあった。
この四名は新進党の中で中核を担うこととなるが、
そのうち、羽田・奥田の2名は小沢手法にこりて、太陽党を作って飛び出していく。
そこから新進党が徐々に崩壊していく。渡部は、衆議院副議長であったので党務に携わっていない。
議長・副議長は党籍を離脱して無所属になっているのが慣行。
その無所属のあいだに新進党は解党することになった。
羽田・奥田の太陽党は、新進党解党直前に飛び出した細川護煕元首相の「フロム・ファイブ」、新進党解党にともない保守系の反小沢グループが結成した「国民の声」(代表・鹿野道彦、幹事長・石井一、所属議員に岡田克也など)と合併し民政党を結成。
民政党は、旧民主党(代表・菅直人)・新党友愛(代表・中野寛成)・民主改革連合と合併し、現在の民主党の原型となる。
奥田がなぜ自民党に復党しなかったかというと、地元・石川では、森喜朗との戦いがあった。
そこで、地元石川では、奥田系の地方議員は自民党にも復党せず、また民主党にも参加せず。
石川県ではいまだに新進党として、「新進石川」というのが存在する。
奥田死去後も、民主党とは一線を画し、独自路線を歩んできた。
2004参議院選挙では、民主党公認候補は支援せず、自民党候補者を支援。
昨年の総選挙では、民主党の候補者を支援。
わけのわからぬ状態が続いている。
新進石川は県議会で、8人もいるというから影響力はあろう。
以下、石川県議会の会派構成。
●自由民主党石川県議会議員協議会
中川 石雄 福村 章 長 憲二
稲村 建男 矢田 富郎 上田 幸雄
向出 勉 吉田 歳嗣 長井 賢誓
米田 義三 小倉 宏眷 和田内幸三
紐野 義昭 木本 利夫 藤井 義弘
山田 省悟 山田 憲昭 下沢 佳充
吉 吉規 中村 勲 宮下源一郎
宮元 陸 作野 広昭 宮本惣一郎
宮下 正博 小泉 勝 宮地 治
米田 昭夫 森 祐喜
計29人
●新進石川議員会
金原 博 宇野 邦夫 石坂 修一
北村 繁盛 粟 貴章 米澤 賢司
米光 正次 新谷 博範
計8人
●スクラム喜望
宮下登詩子 山根 靖則 若林 昭夫
盛本 芳久
計4人
●民主クラブ
中谷 喜和 広岡 立美
計2人
●公明党
庄源 一
計1人
●政心会
田中 博人
計1人
●日本共産党
尾西 洋子
計1人
小沢一郎幹事長が作り、小沢一郎党首がぶちこわした政党である。
小沢氏は、羽田孜氏を党首にかつぎあげ新生党を作り、その後、公明党・日本新党・民社党に加えて自民党脱党組を統合して新進党を作った。
この最初の新生党というのは、竹下派分裂によって生まれた政党である。
竹下派には七奉行と言われる人たちがおり、
●小沢一郎
●羽田 孜
●奥田敬和(故人)
●渡部恒三
●橋本龍太郎(故人)
●小渕恵三(故人)
●梶山静六(故人)
というメンバーであった。
このうち下の三名は竹下派の後継・小渕派となった。(小渕首相死去の後は橋本派、現・津島派)
上の四名は羽田派で、やがて自民党を派閥単位で飛び出して新生党を結成する。そして新進党へと
巨大化していくのである。
私の政治活動の中では、敵陣営に相当しながら味方陣営になることもあった。
この四名は新進党の中で中核を担うこととなるが、
そのうち、羽田・奥田の2名は小沢手法にこりて、太陽党を作って飛び出していく。
そこから新進党が徐々に崩壊していく。渡部は、衆議院副議長であったので党務に携わっていない。
議長・副議長は党籍を離脱して無所属になっているのが慣行。
その無所属のあいだに新進党は解党することになった。
羽田・奥田の太陽党は、新進党解党直前に飛び出した細川護煕元首相の「フロム・ファイブ」、新進党解党にともない保守系の反小沢グループが結成した「国民の声」(代表・鹿野道彦、幹事長・石井一、所属議員に岡田克也など)と合併し民政党を結成。
民政党は、旧民主党(代表・菅直人)・新党友愛(代表・中野寛成)・民主改革連合と合併し、現在の民主党の原型となる。
奥田がなぜ自民党に復党しなかったかというと、地元・石川では、森喜朗との戦いがあった。
そこで、地元石川では、奥田系の地方議員は自民党にも復党せず、また民主党にも参加せず。
石川県ではいまだに新進党として、「新進石川」というのが存在する。
奥田死去後も、民主党とは一線を画し、独自路線を歩んできた。
2004参議院選挙では、民主党公認候補は支援せず、自民党候補者を支援。
昨年の総選挙では、民主党の候補者を支援。
わけのわからぬ状態が続いている。
新進石川は県議会で、8人もいるというから影響力はあろう。
以下、石川県議会の会派構成。
●自由民主党石川県議会議員協議会
中川 石雄 福村 章 長 憲二
稲村 建男 矢田 富郎 上田 幸雄
向出 勉 吉田 歳嗣 長井 賢誓
米田 義三 小倉 宏眷 和田内幸三
紐野 義昭 木本 利夫 藤井 義弘
山田 省悟 山田 憲昭 下沢 佳充
吉 吉規 中村 勲 宮下源一郎
宮元 陸 作野 広昭 宮本惣一郎
宮下 正博 小泉 勝 宮地 治
米田 昭夫 森 祐喜
計29人
●新進石川議員会
金原 博 宇野 邦夫 石坂 修一
北村 繁盛 粟 貴章 米澤 賢司
米光 正次 新谷 博範
計8人
●スクラム喜望
宮下登詩子 山根 靖則 若林 昭夫
盛本 芳久
計4人
●民主クラブ
中谷 喜和 広岡 立美
計2人
●公明党
庄源 一
計1人
●政心会
田中 博人
計1人
●日本共産党
尾西 洋子
計1人