日本の場合は、水が豊かである稲作を中心とした那づくりがなされたが、ヨーロッパの場合は畑作である。こうなるともっと大変な事になる。
ヨーロッパの歴史も日本と同じように、狩猟・採集から農耕になる。その農耕は、アジアと違いコメではなく小麦だ。
ヨーロッパの主食は小麦である。小麦の畑作は、毎年同じ場所で耕すことができないので、いったん休耕地にして別の場所を耕す必要がある。生きるためには他の所有地を犯さざるを得なくなる。そこでヨーロッパの諸国はつねに隣国に侵略しようとか、いつ自国が侵略されるかもしれぬという不安に苛まれることとなる。<o:p></o:p>
そこで、農耕よりもさらに富が貯蓄・増殖できる資本主義が発達してくるとヨーロッパ人の考えは、植民地支配となる。スペイン・ポルトガルに始まり、つぎつぎと狩猟・採集民族を自分たちの配下に治めていくのである。彼らが勝手に発見したと言っている「アメリカ大陸」はそもそも先住民族インディアン(この名称もヨーロッパ人の命名であるが)がいた。彼らは狩猟・採集民族であり、動物をとって捕まえて食べても、他国に侵略して人を殺したりはしない。人を殺していって、支配していく考えは農耕から発達した資本主義から来ている。彼らヨーロッパ人がインディオを苦役させ、過労死させ、女がいれば強姦し、子どもが死のうともなんとも思わない殺戮行為によって現在のアメリカ合衆国がある。コロンブスもマゼランも英雄のように言われているが、昨今彼らの残虐性が暴露されてきている。
第二次世界大戦は、日本がアジアを守るという大義の元に行われたことも事実である。
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/39572083.html<o:p></o:p>
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で、書いたように欧米列強の植民地支配に対抗できる軍事力と経済力を備えたのは、日本しか存在せず、日本に頼らざるを得なかった。
しかしながら右派は、これに対抗するために欧米の論理に乗り、西洋近代国家の尺度で争うという、向こう側の土俵で相撲をとろうとしているため、真に民族派とは言えないのだ。
おわかりいただけるだろうか。戦争の要因・国際紛争も経済の混迷・財政赤字、医療・福祉・教育・年金・犯罪・環境問題、ありとあらゆる政治諸課題の根っこは同じなのだ。
自然主義経済というただ一つを行うことによって、全ての問題解決がそれに集約される。
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ここであげた戦争の問題は、富が蓄積できるというところから始まっている。しかし、この現代文明において、縄文時代のように戻す事は不可能に近い上に、そのようなことを望む人もいない。
だから、お金の仕組みについて、価値観の大転換を行うというのが自然主義経済である。
保有していると減価していくという仕組み。これにより、お金よりもモノを大事にし、人間を大切にしていくことになろう。食糧・エネルギーが自給されれば、領土・領海で争う事はない。モノに不自由なく、心に余裕が生まれれば、宗教上の争いもなくなる。現代日本はモノに不自由なくなったが、モノが豊かになりすぎたために心に余裕がなくなった。
自然主義経済下では、自然通貨を得たら、より早くモノ・サービスと交換しなければならないので、今まで所得とはなるはずのないスポーツ・文化・芸術部門においてもその活性化が図られる。また、即利益に繋がらないといって科学技術の研究に資本が回らないといったことも解決される。財政破綻も年金破綻もなされたところで、経済社会に何の影響もなく、生活ができる。高齢者・児童・障害者福祉においても、ボランティアが活躍できる。今までは、どのようなことをするにも資本が必要であり、お金の奴隷となってきた。
自然主義経済により戦争も回避できるし、国内のあらゆる政策問題も解決できる。
平和とは、声高くして武力の放棄や憲法九条擁護を叫ぶ事や無防備になることでもなく、核兵器を持ち軍事力を増強する事で相手国に脅威を与えて得られるものでもない。
だから第三の選択案が必要であり、他の既成政党が常識に呪縛されていることから脱却すべく平和党を作ったのである。