おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

狩猟と農耕 2 =戦争をなくすには=

2006年09月06日 13時58分12秒 | Weblog

日本の場合は、水が豊かである稲作を中心とした那づくりがなされたが、ヨーロッパの場合は畑作である。こうなるともっと大変な事になる。

ヨーロッパの歴史も日本と同じように、狩猟・採集から農耕になる。その農耕は、アジアと違いコメではなく小麦だ。

ヨーロッパの主食は小麦である。小麦の畑作は、毎年同じ場所で耕すことができないので、いったん休耕地にして別の場所を耕す必要がある。生きるためには他の所有地を犯さざるを得なくなる。そこでヨーロッパの諸国はつねに隣国に侵略しようとか、いつ自国が侵略されるかもしれぬという不安に苛まれることとなる。<o:p></o:p>

そこで、農耕よりもさらに富が貯蓄・増殖できる資本主義が発達してくるとヨーロッパ人の考えは、植民地支配となる。スペイン・ポルトガルに始まり、つぎつぎと狩猟・採集民族を自分たちの配下に治めていくのである。彼らが勝手に発見したと言っている「アメリカ大陸」はそもそも先住民族インディアン(この名称もヨーロッパ人の命名であるが)がいた。彼らは狩猟・採集民族であり、動物をとって捕まえて食べても、他国に侵略して人を殺したりはしない。人を殺していって、支配していく考えは農耕から発達した資本主義から来ている。彼らヨーロッパ人がインディオを苦役させ、過労死させ、女がいれば強姦し、子どもが死のうともなんとも思わない殺戮行為によって現在のアメリカ合衆国がある。コロンブスもマゼランも英雄のように言われているが、昨今彼らの残虐性が暴露されてきている。

第二次世界大戦は、日本がアジアを守るという大義の元に行われたことも事実である。

 http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/39572083.html<o:p></o:p>

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で、書いたように欧米列強の植民地支配に対抗できる軍事力と経済力を備えたのは、日本しか存在せず、日本に頼らざるを得なかった。

しかしながら右派は、これに対抗するために欧米の論理に乗り、西洋近代国家の尺度で争うという、向こう側の土俵で相撲をとろうとしているため、真に民族派とは言えないのだ。

おわかりいただけるだろうか。戦争の要因・国際紛争も経済の混迷・財政赤字、医療・福祉・教育・年金・犯罪・環境問題、ありとあらゆる政治諸課題の根っこは同じなのだ。

自然主義経済というただ一つを行うことによって、全ての問題解決がそれに集約される。

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ここであげた戦争の問題は、富が蓄積できるというところから始まっている。しかし、この現代文明において、縄文時代のように戻す事は不可能に近い上に、そのようなことを望む人もいない。

だから、お金の仕組みについて、価値観の大転換を行うというのが自然主義経済である。

保有していると減価していくという仕組み。これにより、お金よりもモノを大事にし、人間を大切にしていくことになろう。食糧・エネルギーが自給されれば、領土・領海で争う事はない。モノに不自由なく、心に余裕が生まれれば、宗教上の争いもなくなる。現代日本はモノに不自由なくなったが、モノが豊かになりすぎたために心に余裕がなくなった。

自然主義経済下では、自然通貨を得たら、より早くモノ・サービスと交換しなければならないので、今まで所得とはなるはずのないスポーツ・文化・芸術部門においてもその活性化が図られる。また、即利益に繋がらないといって科学技術の研究に資本が回らないといったことも解決される。財政破綻も年金破綻もなされたところで、経済社会に何の影響もなく、生活ができる。高齢者・児童・障害者福祉においても、ボランティアが活躍できる。今までは、どのようなことをするにも資本が必要であり、お金の奴隷となってきた。

自然主義経済により戦争も回避できるし、国内のあらゆる政策問題も解決できる。

平和とは、声高くして武力の放棄や憲法九条擁護を叫ぶ事や無防備になることでもなく、核兵器を持ち軍事力を増強する事で相手国に脅威を与えて得られるものでもない。

だから第三の選択案が必要であり、他の既成政党が常識に呪縛されていることから脱却すべく平和党を作ったのである。

狩猟と農耕 1 =戦争をなくすには=

2006年09月06日 13時57分36秒 | Weblog

平和党は東洋文明の原点回帰を訴えてきている。米国の属国に等しい日本国は、政治・経済はおろか文化面においても隷従している。そこで、日米のこうした関係から抜け出そうと繰り返し提案してきている。これを聞いて、党意に賛同しているのだと思うが、言われる意見に次のようなものが多々ある。(いろいろな人の総合的意見だから、一個人でこの意見があるわけではない)

「欧米は狩猟採集民族であり、植民地など支配してきた。それに比べて日本は農耕民族だから戦争を好まない。」

実は、これは大きく間違っているのだが、本筋ではわが党が「東洋回帰」を言うために無視ないし傍観というか、そのまま反論せずに放置してきた。

だが、ここで安倍内閣が誕生しそうなこと(まだわからないが)から此処に書き記そうと思った。

思い出していただきたいのは縄文時代と弥生時代である。そんなとき生まれてないから思い出せネーよという方は、歴史の教科書を思い出してください。

縄文人は、狩をしたり、魚を採ったり、木の実を採ったり、山菜を採ったり、そこら辺に生えているものを採っては食べた。定住せずに食物のある場所を求めて、臨機応変に移動していく。だから、歯は頑丈であり野蛮人のような骨格と言われている。

弥生人は、定住するようになる。この理由は農耕を始めたからである。食べ物がどこにあるかわからない不安定な経済生活よりも、一箇所に場所を定めて稲作で収穫する。コメは保存という事ができる。蓄えもできるから持ち運びはしない。畑によって野菜も栽培する事で、狩猟採集の縄文時代よりは安定している。

こう考えると、縄文時代の発展したものが弥生時代だと言えなくもない。だが、日本人はここで戦争というものを弥生時代から始めたらしい。

縄文人の遺骨にはないが、弥生人の遺骨に存在するものは、人間が人間を殺した形跡である。骨に矢が突き刺さっていたりしているのは、弥生人だけだ。

縄文人の方が、イノシシつかまえたりうさぎ捕まえたりしているから、いかにも野蛮であるとの認識があるが、彼らは人間同士で殺しあったりしない。あくまで自分たちが生きるために他の生物を食べることはする。だから生き物を敬う宗教がある。

ではなぜ弥生人は人間同士で殺しあったりするのか。これは農耕ということに秘密が隠されている。狩猟・採集の場合は、そこで採って食べてそれで終わりであるが、農耕の場合にはコメを貯蔵できる。その貯蔵高を巡って貧富が生まれる。そこで、より多くの貯蔵があることによって、政治的支配が生まれる。政治的支配に立つ人間は、直接農耕という労働には携わらなくなり、不労所得によって政治を行う。

そうなってくると、人間は限りない欲望の道に進む事となる。相手の陣地を欲しがり、戦争になる。やがて那(くに)が正当性を持つ。

現代国家は正当性を持っているが、そもそもは暴力団でしかない。暴力団が勝ち進んでいくと官軍になり、やがて国家として認められるようになる。125代続いている天皇家、あるいはヨーロッパなどでも優雅な国王生活をしている人々の祖先は、豪族である。豪族として勝ち進んで何百年か経つと正当性が得られるのである。


朝ごはん

2006年09月06日 03時38分09秒 | Weblog

平和党http://www.heiwatou.jp

前の記事は出す方だったので、今度は入れる方の話。

米国では朝にも学校給食があるという。

そして、今また米国の真似をしようという「改革派」諸氏が日本にもそれを取り入れようと言い出した。

理由は朝食をとらない子供が急増しているからだという。

日本スポーツ振興センターが六年前に実施したアンケートによると小学生の15%、中学生の20%が、週に2、3回以上食べないことがあると答えている。

食べない理由には時間がない、食欲がないなどというものだけではなく、朝食が用意されていないという答えもあった。つまり、親が作らないのである。

家族揃って食べるという習慣がなくなり、さらに米国の真似をして朝食の給食をやろうということにまで成り果てている。

このように経済優先主義が、親子のコミュニケーションを奪い、各家庭に継承されてきた食文化を失い、金ですべてを買うことが正義であるとの考えが蔓延してきている。

では、これを解決するにはどうしたらよいか。

家族が家族同士の時間を持つには、経済的裕福になる事が求められる。そのために日々無駄な労働をする。この悪循環をたちきるため、自然主義経済は存在する。すなわち、金にもならない行為が、自然通貨であるときちんと循環する。こうした仕組みを作らなければならない。

平和党http://www.heiwatou.jp


ウンコ製造マシン

2006年09月06日 03時37分07秒 | Weblog

もう、すでに亡くなった著名な某市民運動家の人がいた。

彼は収益を上げずに、フリーター、ニートをしている人に「おまえらはウンコ製造マシンだ」とののしっていた。

金を稼がずに、ただメシという原料を食らい、くそを作り出すだけならば、そうだというのだ。

ようするに人間が生活するのには、金を稼ぐということが基本であるということだ。

ところが私にしてみれば、人間は金を移動させているだけで、経済という制度の奴隷になっていると思う。

むしろ、ウンコ製造マシンのほうが健全である。

なぜなら、自然は本来、食糧を得て、排出したものは、他の生物に還元され、それがめぐりめぐって循環されるからだ。

ところが、人類は経済を優先しているため、あるいは、衛生の一つの方法として上下水道を開発した。水洗トイレ社会では、われわれのウンコは、ただのゴミであり、何の資源にもなっていない。

金を稼がずにウンコを作り続け、それが土壌や微生物に還元されているのならまだそっちの方がいい。

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キューティハニー

2006年09月06日 03時35分25秒 | Weblog

http://youtube.com/watch?v=5MgkifcPU9Q&mode=related&search=

よせグロ茶らがな なー、KAT-TUN尿茶
おんどいが茶子役 なー、加藤尿茶
なるほど糞投ロボ゜honey
だって立ってたら だって立ってたじゃない
豚かけ 豚かけ 殺虫中耳飽きる
でもすげぇ 犬 鳩が つくづくコレじゃなあ
田代 田代 田代 ちゃんと亡命しろ honey flash

よせグロ茶らがな なー、KAT-TUN尿茶
とんとん反吐ボリューミーな 加藤尿茶
なるほど糞投ロボ゜honey
だって立ってたら だって立ってたじゃない
豚かけ 豚かけ 殺虫中耳飽きる
丸めろ 招き猫が 感じる感じるコレじゃなあ
田代 田代 田代 ちゃんと亡命しろ honey flash

よせグロ茶の絹 なー、KAT-TUN尿茶
ようケチ ティンキに なー加藤尿茶
なるほど糞投ロボ honey
だって立ってたら だって立ってたじゃない
豚かけ 豚かけ 殺虫中耳飽きる
営業犬 萎えぬ頓挫が けちょけちょコレじゃなあ
田代 田代 田代 ちゃんと亡命しろ honey flash


河野洋平・加藤紘一の関係修復

2006年09月06日 03時33分47秒 | Weblog

河野洋平衆院議長と自民党の加藤紘一元幹事長が4日、都内の衆院議長公邸で会談し、加藤氏の実家と事務所が放火された事件を契機に関係修復をはかっていたことが5日分かった。河野氏が事件直後にお見舞いの電話を入れたことのお礼に加藤氏が訪れた。

宮沢派の跡目問題で二人は別れた。

だが、昨今の小泉・安倍外交が主流派となった今、結束していくのだろう。

宮沢派(宏池会)のあと、加藤派(宏池会)と河野グループ(大勇会)に分かれた。

そのあと、加藤派は小渕内閣時代に加藤の乱を決行して、さらに分裂にいたる。

私の仲間は宮沢派分裂期にその職を離れた。

加藤派は、加藤派・堀内派に分かれ、双方とも宏池会に別れる。

加藤紘一氏は秘書の不正事件で議員辞職し加藤派は、小里貞利氏に引き継がれ小里派に、その後、小里氏が引退し、今の谷垣禎一財務大臣による谷垣派に。

堀内氏も引退し、丹羽雄哉・古賀誠氏による丹羽・古賀派に。

河野グループは麻生太郎氏を総裁候補として何度か担いでいるが、谷垣氏ほどハト派ではないことに河野議長は不満を抱いてるのだろうか。

丹羽・古賀派はその外交姿勢とは違って、勝ち馬に乗るという「政治理念」もあるから、安倍支持に回っている。

ケインズ経済による財政・金融注入の発想をもつ宏池会系統は、

遡ると、宮沢喜一→鈴木善幸→大平正芳→前尾繁三郎→池田勇人にいく。

小泉首相によって追いやられている利権政治王道の津島派系統は、

橋本龍太郎→小渕恵三→竹下登→田中角栄→佐藤栄作にいく。

池田勇人も佐藤栄作も吉田茂の配下であった。これら系統はいずれも今、反主流におかれている。

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http://blogs.yahoo.co.jp/heiwatoudaihyou


政治を行う者必読

2006年09月06日 03時27分51秒 | Weblog
政治を行う者必読
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作成日付 2006/9/6(水) 午前 1:34  |  書庫 平和党の政治哲学  |  カテゴリ 政治学

当ブログのゲストブックに、自分の政治思想も国家を消滅する考えがあると書いてきた人がいた。
彼の言わんとすることは、既存の政治学の枠組みに平和党をあてはめようということだ。

彼は、レーニンが国家消滅を唱えていたことを、私が知らないのだろうと解釈して、彼はそのことを「やーい知らないんだ」的に、そのことをムキになって追求してきた。


彼にとっては、それを知っているか、知らないかが、大きな問題であると考えているようだ。

つまり平和党をレーニン主義に引っ張り込みたいということか。国家をなくすことイコール「レーニン思想」であるという既説に封じ込めたいのはよくわかる。

だが、彼は人々を幸福にするために政治を論じているのではなく、自分自身が自分のために知的好奇心を満たすための自己満足のために政治を論じているようだ。それは彼がわが党以外のブログにおいても、無礼なる態度で、コメントしているのをあちらこちらでしているからよくわかる。彼は、ほうぼうのブログで人を小ばかにしたようなものいいをしている。

このような儀礼を欠く人間は、誠実に国家の諸問題を考えることは、できはしまいだろう。

そのコメントを私が書いて以来、反省したのか、反発したのかは知らないが、彼は当ブログでの彼が書いたゲストブックを削除したようである。

頭を鍛えることに偏り、ハートを忘れた政治活動家を私はよくみてきているが、最近はとくに若年層(政治家を志す大学生や20代の政治家)に多いような気がしている。

私はつい先日、日本平和党予定党首を名乗る大泉氏とチャット討論をしたが、結局のところ、あまりにもものを知らなさ過ぎて議論にはならなかった。彼には、情熱もなかった。だが、しかし、彼は誠実であった。だから私は物足りなくても議論に応ずることができる。

だが、冒頭の某氏は、近年よく見る「政治家を志す大学生」に多い。

それから、「2ちゃんねる」などのネット上での政治討論も下劣で、チンピラ的な言い回し、自己満足に政治主張を通すだけで、世の中の幸福、便利さ、向上を考えているとは到底思えないような低レベルなる罵りあいが行われているのも多く見る。

もう一つは、彼らの考え方が未だ、既存の政治学ないし経済学に拘束された範囲内でしか、物事を考えられないこともある。

若気の至りで行動に走る、はみ出したことをする、若いからこそ、今までの常識をぶち破る勇気すら持ち合わせていない。命を賭けるなんてことは全く無縁だろう。

自ら血も汗も流すことなく、本で読んだことを口に出したり、文書にしたりして、能書きをたれているだけだ。したがって、こういう人々が育つと人を殺すことなど、容易にできるようになってくる。息をする人間、肌と肌がぶつかりあう人間を経ずに、空論だけが先行するのはよろしくない結果を生み出す。


 たとえば現代では、科学技術が発達し、ボタン一つでいとも簡単に大量虐殺ができる。ボタンを押した人間は、その着弾点には、何千人もの内臓が飛び出した人々、両親を失った幼い子どもたちの顔をみることもなく、兵士は冷静に職務を遂行できるだろう。人種が違う、そんな低次な民族は殺しても構わないだろうという考えになり、女がいれば強姦する。次第に剥き出しの肉や骨をみてもなんとも思わなくなる。

これが戦争のパターンだ。これを知っていて、タカ派を称していた政治家はほとんど生きていない。

今の政治家では、国防積極派は、拳の喧嘩すら経験したこともなく、ただ日本が平和ボケで、「米国が主導の国際社会の秩序」に遅れているとして、現状を「ただ単に変えたい」だけのところから、人間のぬくもりを知らない教育環境が、これを生み出す。

議員の名前を列記したいが、このブログに書くとすぐヤフーやグーグルの検索で出てきてしまうのでやめておく。

 経済についても「利権」から「市場競争経済」に「ただ単に変えたい」のである。松下政経塾出身の決められた改革方程式しかしらない人ばかり。横浜市や杉並区にいる。それはそれで進んだものではあるが日本が将来的に生きていく光の方向ではない。

改革の方法は、すでに大学で教えている学問にすでにお膳立てされていて、それを実行さえすればよく、あとは詳細部について、ああでもない、こうでもないとこれまた既存の定説に基づき、小さな枠の中で話をしている。彼らにとって、それが生きがいであるのは一向に構わないのだが、社会を幸福にすることよりも、自分の理論を押し通すことが重要であると考えているからたちが悪い。


わが党は、この小さな枠からはみ出した未常識の分野に大きく足を踏み出しているため、わが党のようなものが出てくると、自分たちの常識の範囲内にある既存の学問の枠組みに無理してでも、はめたがるのだ。

はめたがること自体が、単に自分たちのエクスタシーを得たいというだけで、彼らは現代社会の行き詰まりを打破することは目的としていない。

私がこのブログで、政治とは全く無関係の話を書いたり、全く違う分野のブログをお気に入りにしているのも、すでに政治を知っている人の95パーセント以上は、既存の政治の考え方しかできないために、他

分野の人々を募るしかないと考えているからだ。


私は先ほど、政治家を志す大学生や、20代の政治家のほとんどが改革者にはなれないと言ったが、むしろ政治とは関係のない、あるいはこれからも自分にとっては、政治など無縁だろうと考えている20~30代の世代の人ほど、平和党の自然主義経済はよく受け入れられる。「それはごく当たり前の話」という反応もけっこうあるのも事実だ。

平和党の主張が受け入れられないタイプは、政治家(世代を問わず)や経営者である。しかし、逆に「すでに経営者としての役割を終えた人」や「戦前を経験している人」などには理解されやすい。私は、平和党の考え方が、中間世代においては、なかなか理解されないということは早くから気づいていたが、最近では確信に変わりつつある。

とにかく、今の時代は、世界観の転換を求めている。この時代に大事なことがある。それは「基本を覚えない、身につけない」ことである。

私は社員に指導するとき、マニュアルは一応あるが、これを見ないようにしろと言う。選挙のときにウグイス嬢に対しても同じようにする。いきなりマイクで喋らせて、徐々に修正していくというやり方だ。

基本ほど難しいことはない。これは掘り下げればいくらでも、探求しなければならないことになる。だから、今の目の前に突きつけられたものから処理していくようにする。基本は教わるのではなく、自分でみつけるようにする。常識というものも、基本というものも、探求すればするほど難解になる。
1+1=2 を数学的に細かく証明することは難しいのと同じだ。

だから基本などというものは後から、自分一人で考えるものなのだ。
そうでないと創造力が育たず、すでに誰かが作ったものだけに頼るようになる。そうなってくると、今までのルールはなしにしましょうと言われたときに、何も対応できなくなるからだ。

だから平和党のように、今までのルールはなしにしましょうなんてことを言われると、ムカッ腹が立つ人が多いのである。

憲法の廃止もそうだし、国連の脱退もそうだし、ほっといたら金が減るというのもそうだ。

無税国家も実現できるとしているが、これには税理士がくいっぱぐれる。

法律も簡単にしようと主張しているが、弁護士がくいっぱぐれる。

経済学も根底からひっくり返そうとしているが、経済学者は今まで学んだことはなんだったのかとなる。


日本共産党のように、今までのルールはやめて、共産主義にしましょうと言われた方が、まだ前例が、他国にはあるからマニュアルが想像できる。

平和党の場合は、政治学上にも経済学上(ごく一部にはある)にもないことをしようと言うのだから、さらに腹が立つであろう。あるいは「平和党は資本主義には反対しているから社会主義の分類にいれておけ」という暴論もよくある。

自然主義経済は我々が知的好奇心を満たすためにやっているのではなく、日本の問題を全て解決するためにはどうしたらいいのかということを考えて、到達した考え方である。目的は自然主義経済ではないからいつ放棄しても良い。

いろいろ述べたが、最も重要なことは、「自説を主張し貫き通す」ことよりも「全ての人々が貧しくなく、安全に暮らせる世の中を作る」ことにある。頭がどんなによくても心が腐っていたり、利己的なものはダメだ。したがって、自説を主張するためだけのものには、お付き合いしないが、自然主義経済よりも、納得のできる「全ての人々が貧しくなく、安全に暮らせる世の中を作る」案があるのなら、いつでもそれに乗り換えてもいい。然しながら、ここに喧嘩を売ってくる人間は、「自然主義経済は無理だ」という論破のためだけの人ばかりである。彼らの共通点は、幸福になる結論に至らせようとはしないのだ。

「日本が食糧を完全自給するのも無理」 「石油以外の方法を使ってエネルギーを自給させようとするのも無理」「平和党が政権をとるのも無理」などについて論じてくる人は数多くいた。

私は、その「無理」だとする側に立っても、論じることは可能だ。無理な理由はいくつでも挙げられる。

だが、それが何になるというのか。

可能なことを見つけ出すのが、価値観の大転換期にすべきことである。

できないというのは「今までの考え方では」できない。

できないというのは「現在の事情では」できない。

という、非常に重要な部分が意図的に省略されているのである。

全て、政治でも企業でもスポーツの新技でも科学技術でも、不可能とされてきたことが可能とした努力した人間がいたからできたのである。



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