おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

国連は脱退すべし

2006年09月04日 10時37分06秒 | Weblog

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日本の国際連合加盟50周年を記念して発行される千円銀貨。

その打ち初め式大阪市北区の造幣局で行われた。

発行枚数は7万枚で、販売価格は6千円だという。

United Nations、日本が“国際連合(略称:国連)”と勝手に翻訳している原語である。

しかし、これを直訳すると“連合国”となり、文字通り第二次世界大戦の戦勝国連合、

すなわち日本の敵国連合なのである。

この“連合国”がいつの間にか“国連”と翻訳されるようになった。

この“国連”という言葉だけを聴くと、ほぼ世界の全ての国が加盟する“中立的国際機関”

のように聞こえてしまうが、そう錯覚させるために敢えてそう翻訳したのだろうか。

だとすると見事な“迷訳”である。

それはともかくとして、近代に入り、わが国並びにアジア周辺国は自らが自らでない国に

変わることを強要されつつ今日にまで至っている。

近代以前は、国家も国境も領土も持たず、山川草木と調和・融合しながら生命を育んできた。

蝦夷地にはアイヌ人が住んでおり、沖縄は琉球王国であった。

ハワイには英語を話す白人などは存在せず、

ハワイ語を話し、カメハメハ大王の君臨した平和な島であった。

朝鮮半島も現在の中国領土との境界は曖昧であり、清国の支配はチベットやウイグルにまでは

その影響力は及んでおらず、台湾島は一応というくらいの清国であった。

東南アジア、とくに現在2億1000万人を有するインドネシアは、数万の民族があり、

一つの国家という意識はなく、それぞれ平和に生きていた。

それ以上の民族と言語があるのが印度である。ここも現在は10億を超えているが、

地域的意識はあっても国家意識はなかった。

勿論、領土争いが全くなかったわけではない。それは王族や豪族、武士同士の戦いであり、

今で言えば、ヤクザ同士が戦っているわけで

(近年は銃撃戦が多く、堅気に対しての誤射も多いが)、欧米に比べれば一般市民が

巻き込まれることは少なかった。

欧州とりわけ英国に端を発する西洋文明は、自然を征服する文化である。

この要因をキリスト教文明即ち、イエス・キリストの教義だとする説が多いがこれは違う。

今回はこれに言及しないが、とりあえず資本主義が作り出したものであると述べておくにとどめる。

彼らの思想は人間と自然を白黒にわけ、別個のものであるとして二元化する。

明確な境界を作りたがるのである。小学生で言うと「自分の机に入ってきてはダメ。

自分の陣地だからと主張する。そこでそういう子どもに対して他の子どもは意地悪に

その机の上に手を突っ込んできたりするので「空中もダメ」と言い出すのである。

こうして、「ここからここまでは俺の縄張り」という小学生レベルの考えで作り出されたのが、

ヨーロッパの諸国である。

ところで、アジアには豊富な水があるため、自然調和型の稲作によって発展してきた。

ところがヨーロッパの主食は小麦である。小麦の畑作は、毎年同じ場所で耕すことができないので、

いったん休耕地にして別の場所を耕す必要がある。

生きるためには他の所有地を犯さざるを得なくなる。

そこでヨーロッパの諸国はつねに隣国に侵略しようとか、

いつ自国が侵略されるかもしれぬという不安に苛まれることとなる。

また、食料資源がアジアに比べて少ないことと、資本主義の発展により貨幣に依存し、

アフリカなどからの搾取をしていくこととなる。果てはアメリカ大陸を「発見」したなどと言って

多くの自然人・東洋人を殺害したり、苦役を強いたりした。

先進国などと言っているが、これら白人文明はアジア、アフリカ、アメリカ・インディオ、オセアニアの

犠牲によって築かれた侵略文明である。この先進国の中に日本は黄色人種であり、

東洋人でありながら入っているのだ。

しかしわが国は欧米列強に抵抗すべく戦った歴史も持つ異例の国である。

ところが今では米国従属となり、白人文明と同じく、有色人種を見下す立場に成り下がってしまった。

故人となった藤田田日本マクドナルド社長は「日本人もハンバーガーとフライドポテトを食べ続ければ

やがてアメリカ人のように背が高くなり金髪になり、優秀な民族になる」などとのたまう人物も出てくる

始末だ。彼らの本質は西洋科学で作られた製造品を、西洋の経済学でもって売るという商売である。

中国も韓国も印度も東南アジアも、欧米資本主義の価値観を一刻も早く身につけて

追いつこうと懸命である。彼らはこれを進歩・発展と呼ぶのである。

アジアもアフリカもそうだが、国境の線引きは近代になってから、

欧米のその世界観によって作り出されたものだ。朝鮮半島は一時、日本の領土であったが返還され、

米ソによって南北に分断され今日に至っている。台湾も同様に日本の領土から返還され、

西洋思想たるマルクス主義に対峙する国民党が中華民国を名乗りだした。


インドネシアは自分たちがひとつの国家であるとの認識は持っていないのに、


一括してポルトガルやオランダが植民地としていたために一国扱いされ、独立後は


やむなく国家となった。ベトナム、カンボジア、ラオスの三国もフランス領土を

三分割しているが、それぞれ無理やりに一国制度をとらされている。

現在10億人を有する印度も英国領土ゆえに

「インド」という英語の概念を外から与えられただけだ。

アフリカでは国境が直線で引かれていることが多い。

近代国家の概念のないアフリカ諸民族を欧米論理で作り上げた結果だ。

中東にいたっては、全て英・仏・露の領土争いに巻き込まれて国境に線引きがなされている。

イラクにはシーア派、スンニ派、クルド人がいるが強制的に一国にされたので国内では紛争が絶えない。

とくにクルド人はトルコ、イラン、イラク、アフガンに跨っており、自分たちの国を作ることもできず、

また作ろうとすると必ず潰され、跨る各国に虐げられている。

この上、米英をはじめとする西洋諸国家は、“国際連合”などという偽善組織をつくりだした。

そもそもは“連合国”だが、現代ではほとんど全ての国が加盟しているため、

「国連合」と言えなくもないが、その実体は伴っていない。この「国連合」は、

地球上のごくわずかな文明観であるアングロ・サクソンの生き方を基にしている。

西洋近代国家という概念が彼らの論理であり、本来、自然人たる東洋人の論理ではない。

国連本部の所在するニューヨークでの勤務はまずアメリカの「常識=競争」でのしあがり、

他人を蹴落としてでも出世する仕組みを身につけなければならない。

地球上のごくわずかな面積と一億にも満たない人口の島である英国から発祥した言語を

世界共通の言葉として話さなければならないという、他文明排斥主義に基づくのが“国連”である。

“国連”は戦争をなくすための組織だという。米国もまた「非人道」「人権無視」をなくし、

いまだにどこかに独裁政治があれば、民主主義を押し付けるため、「非人道」「人権無視」の

帝国主義を世界に出かけていってバラ巻いている。それと同じく、

“国連”も「戦争をなくすための戦争」「平和のための戦争」という人殺しを日夜行っている。

NATOも同様である。

米ソ冷戦終焉後に起きている国内紛争、民族闘争も「正義」という錦の御旗を持つ“国連”は、

世界平和のため征伐を加え、悪徳政府に隷従している多くの民間人を殺していく。

彼らの作り出した、当初は畑作のためだけの国家という概念が、勝手に線引きすることを

全世界で始めだしてからおかしくなってきた。もはや小麦を作る必要はないが、石油はほしい、

他の食料がほしい、建設利権がほしいなどなど際限なく続いていく。

そのうち、自然物よりも紙でできた貨幣を大切にし、マネーゲームでの勝利が生活を豊かにする

という「不自然社会」を押し付けるマッチポンプが“国連”の仕事である。

この“国連”を崇めているのが、日本では自由民主党から日本共産党にいたるまでの全ての

政党である。自民や民主が米国信仰ボケなのはよくわかるが、共産・社民が“国連”を

信仰しているのは矛盾も甚だしい。“国連”に加盟するにはまず、軍隊を持っていることが、

必須条件なのである。民主党、とくに小沢一郎代表などは「米国従属をやめて、

“国連”中心に」などと主張していたが、どこにその違いがあるのか。

彼らは政権にいないため、無責任に言っているだけだろうが、米国に追従しないけれども

米国的なものには追従するというわけである。

小沢氏の言っていた「普通の国」という考えも欧米先進国が普通でそれ以外の9割以上の国々は普通では

ないという考え方である。

「世界の常識」というのも、だいたいが米英帰りで、ハクをつけたと勘違いしている、

政策音痴の閣僚や政治評論家の意見を鵜呑みにしている政治屋が国会で議席を

多数占めるにいたっているところに端を発している。

とくに「松下整形塾」で形だけを変えればいいと思っている若者議員諸君。

こうなると国連での力こそが求められ、“安保常任理事国入り”が再々燃してくることは当然である。

以前のそれは「安保理=軍事大国」を目指すのかと言われたが、今日のそれは極めて現実的であり、

よりいっそう具体化を帯びてきた。

いまだに『連合国』の敵国と明文化されている日本とドイツが安保理入りすることで

蹴りをつけようとでも言うのだろうか。

国連分担金を滞納し続ける米国が支配する国連傘下にいる以上、

従米政策から抜け出ることは決してできない。したがって“国連”は脱退すべきであるという

当然の結論に達するのである。この主張はつい最近まで異端扱いされてきた程、

日本には国連信仰が根付いていた。だが、昨今出版されている書物のタイトルだけをみても、

随分と国連脱退論が多くなってきたのは国連脱退論を主張し続けてきた、

わが党の功績も少しは有るのかもしれない。

いずれにしても、『連合国脱退』を党是にしている政党はどこにもない。

安保理入りどころではないのだ。欧米「先進国」によって身勝手に作られた近代国家と

その論理で作られた『連合国』などは一刻も早く脱退し、

自然調和型の地域連合をアジアから始めようではないか。


夏の楽しみ方(蚊編)

2006年09月04日 10時35分35秒 | Weblog
今、国連のこと記事に投稿したら、

腕に蚊が刺しにやってきた。国連脱退論を主張している平和党だから、

おそらく、彼は国連から派遣された蚊だと思う。つねひごろから平和党の情報を国連安保理に流しているに違いない。

この、国連から派遣された蚊をただ殺すのはもったいないと思い、私の腕でうまそうにしている食事中の蚊。

ここで思いっきし、腕に力を入れてみた。

するとどうだろう、彼は口のストローがはさまって抜け出せなくなっている。

ばたばた暴れている。足は宙に浮いて飛び出そうとしているが、口がはさまって逃げ出せない。

そこで、一発うちたたいて、彼は戦死した。

けっこう、血をすっているようだった。

だが、問題はそのあとである。

力をいれたもんだから、その部分がかゆいどころか、筋肉痛のように痛くなっている。

ああ、やんなきゃよかった。


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自然主義経済とは

2006年09月04日 10時34分22秒 | Weblog

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つい最近まで、インド人や中国人は商品を売るとき、例えば一個の商品が100円だとすると、三個まとめて売った場合500円にしたりする。

この仕組みはミャンマーではいまだにそうしている商売人もいる。西洋近代の経済思想に基づく先進国の発想からすると、三個まとめて買うのだから280円とか250円とか安く売るのが普通であるが、彼らはそうしない。

なぜなら商品を一人の人に集中的に売れば財が一人の人間に独占されることになるし、資源の枯渇速度を速めるからであるという潜在的概念がある。

これこそが自然の摂理に則った商売であるが、大量に生産し、大量に消費することをよしとしてきた近代経済学では全く信じられないことであろう。このような自然の摂理に則した経済が、貨幣価値を減価する自然通貨には可能なのである。

資本主義経済は競争の中で勝ち上がった強いものに資本を集中され、共産主義経済は国民に有無を言わせず政府に資本を集中させることができる。この資本の偏在が、人々を経済優先主義にさせ、貨幣が暴力を奮い、地球資源の略奪を企てる。これをなくすのが、新たな経済システムである。モノと同じように腐敗していく通貨こそ、共生できる社会を作り出すことができる。これをわが党では、自然主義経済と呼んでいる。

日本銀行券で日々、経済生活をし、その常識が骨の髄まで染み込んでいる私たちには、勝手に貨幣を発行するなどという方法がうまくいくはずがないと考える。ところが、そもそもの貨幣経済の原点はこの地域通貨の方法と何ら変わらない。

現代経済の常識である「借りた金は返すのが当然」というのは利子というシステムを採用している限り、これは大きな間違いで、モノと金を交換しているうちには、ゼロにならず、プラスになる人もいるし、マイナスになる人も必ず出てくるであろう。そうしていくうちに、それを貸し返し、売り買いすることが目的となり、損得だけの価値観で人々は行動をはじめ、やがて経済活動のためだけに人間が生きていくことになってしまうのである。

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昭和天皇の映画

2006年09月04日 10時32分38秒 | Weblog

『太陽』はアレクサンドル・ソクーロフ監督がこれまで誰も描かなかった昭和天皇をテーマを主人公とした映画。

日本からはイッセー尾形、桃井かおり、佐野史郎らが出演。

昭和天皇役のイッセー尾形は、そのしぐさが昭和天皇を再現していると専らの評判だとか。

第55回ベルリン国際映画祭のコンペ部門に出品、ロシアでは第13回サンクトペテルブルク国際映画祭でランプリを獲得した。

内容は、「天皇の防空壕での生活や、マッカーサー連合国軍最高司令官との会見、人間宣言に至るまで苦悩」。

ところが、昭和天皇を主人公にした映画ということで、日本の配給会社はビビりまくり誰も手を出さず。

いろんな難航の末、銀座シネパトスの運営会社ヒューマックスシネマが上映を決定。

天皇メモはこの映画の人気に拍車をかけている。

日経新聞社ごくろう!


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かな入力の「芸術性」とローマ字入力の「機械性」

2006年09月04日 10時31分09秒 | Weblog
59歳になるおじさんが、パソコンで文章を打つためにワープロ入力の練習に必死な人がいる。

その人曰く「ローマ字入力は頭の中でいちいち考えなければならないので時間がかかる」といって嘆いていた。

私は「かな入力」をいつも人に勧めている。いちいち西洋式のアルファベットを頭に浮かべる必要はないからだ。

だが、かな入力で打つ人というのは極めて少ない。

入力するプロフェッショナルの場合は別だが、一般にはあまりないようである。

私はローマ字入力もできるが、ほとんどかな入力している。他人のパソコンを使うとき、いちいち設定を変更するのが面倒な時はローマ字でやるが、九割以上かな入力だ。

かな入力できる人間は、100%ローマ字入力はできる。逆にローマ字入力できる人間のほとんどはかな入力ができないといっていいだろう。かな入力する人間も英文字は打つから、全員が全員、かな・ローマ字の両方で入力できると思う。

私がかな入力を勧める理由は、「日本人としての感性を大事にできるから」である。

民族主義者や理論右翼の人ですら、かな入力ができない。それで愛国などとのたまっている。

人と話しをするとき、いちいち、自分の言葉をローマ字で置き換えることはしないだろう。

ところがワープロで文字をうつとき、知らず知らずのうちにそれが文章に表れる。だから、とくに文学的文章(詩・短歌・俳句・小説・随筆)や芸術的なもの、音楽・映画の批評を記すとき、ローマ字入力ではその思いが、微妙に伝わらないのである。

ローマ字でいったん置き換えることは、きわめて機械的に脳を使うことになる。したがって右脳で感じたことでも、いったん左脳を通してしまうのがローマ字入力である。

そこで、今こみあげられた思いは、機械的に生産工場でできた製品と化してしまうのである。

かな入力をいったん覚えてしまうと、ローマ字入力などというのはかなり無駄な労力をしていたと気づかされる。

ローマ字入力は覚えるキーが少ないといっても、それは初心者のうちだけ。かな入力に慣れてくると、こんなバカみたく、めんどいことしてたのかとつくづく思うだろう。

とにかく英語をうたない限り、ローマ字にはなんのメリットもない。なのに、圧倒的多数の人々はなぜか、このような無駄で有害な機械運動的なことをしている。

中国などは漢字しかないため、それをすべてこのキーボードに表示することはできないゆえに、いったんローマ字で入力し、音声によって変換せざるをえないことから比べると、わが国文化を差し置いて、日本人は実にもったいないことをしているのである。

この一見でたらめな配列に見られる五十音でも、覚えてしまえば楽だから面白い。

私がかな入力にするきっかけとなったのは、そもそもは民主党国会議員にもらったワープロでローマ字入力を覚えたが、それにはあきたらず一応かな入力の練習もした。その後、ある若手改革派市長が、市議会に速記をパソコンでやろうと言い出した自治体があり、そのためにはローマ字よりもかなで打つ方が断然に速度が早いため、そういう人間が欲しいということで私に依頼があり、さらに特訓を重ねた経緯がある。結局、その市議会は実現できなかったが、物事を考えて文章を書くには、この方法が一番、自然な形であると今、気づかされている。

「美しい」はあくまでも「うつくしい」であり、決して「utukusii」ではない。日本の伝統・文化を守れという立場の人であるのなら、当然にまずはかな入力を覚えていただきたい。

また、文学・芸術などの分野に携わる人もそうだろう。

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上司能力欠乏症

2006年09月04日 10時29分18秒 | Weblog

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私はそんなに長く生きている人間ではないが、政治家の若い秘書に対しての教育、経営者の部下に対しての教育、地域社会での若者に対する教育などが、一昔前よりも低レベルになっていると思う。

いつも、この「平和党教育部会」で述べている事は、「大人たちは現代の若者が悪いといって教育のせいに押し付けようとするが、それはとんでもない間違いで、今までの大人が間違っているからそうなっただけ」ということである。それがここにもあてはまる。

教育を変える前にやることは山ほどある。

近年、一にも二にも、「先輩が持つべき教育能力」が著しく低下しているのである。

この理由を語るに、ここでは、政治分野・社会分野をおいておいて、経済分野たる企業での例をもって説明したい。

現代はバブル以降、過剰人員に懲りて、なるべく人を雇わない構造ができている。

そのために経営者・幹部は若者を手足のように使おうとする。若者が手足になって経験をつむ事は重要であり、以前からそうではあるが、人手不足からその負担は大きくなっている。

そこでなされることは仕事をいかに効率よくするかということである。これも以前からあることで、あたりまえといえばあたりまえだが、ただし現代では、仕事をいかにするかということが教育よりも、大幅に上回っているのである。

私は以前、新入社員に対してこのようなことをしたことがある。

その新人君は営業マンとして入ったのだが、営業日報のつけかたがわからない。

その内容は、「何人と接客して何人の成約に持ち込んだか」という表なのだが、その決定率の計算方法がわからないと言うのだ。

新人君は「2人接客して1人成約したら決定率は50パーセントだということは、なんとなくわかります。3人接客して3人成約したら100%だということもわかります。しかし、3人接客して1人成約した場合は、決定率が何パーセントなのかわかりません」と言う。

彼は高卒後、パチプロの手伝いか単純肉体労働しか、それまでにしたことがない。

しかし、これくらいの計算方法は中卒の私にもわかることだから、当然にわかるだろうと思ったが、わからないと言う。

そこで私が彼に言った事は、「ではなぜ決定率がわかるのとわからないのがあるのか。その相関関係について調べよ」「きみの今の仕事はこの営業日報をつけることである」ということであった。「こんなもんは割り算すればいいんだ」といって式を教えたところで彼の体にはしみつかない。

勤務中に、彼を考えさせた。一時間くらいかかって、彼はその「法則」について発見したのである。

その後、彼は自分で物事を考えるようになり、営業成績はトップとなり活躍するまでにいたった。

勿論この出来事だけが原因ではなく、そのほかにもいろいろあるがだいたい同じようなやり方だ。

彼は会社の先輩たちがやったことのない事業分野にまで、積極的に進んでいき、効率の良い営業成績を積み上げていった。

このことを私が行ったとき、自分はまだ社長ではなかったから上司に非難ごうごうを浴びた。それだけの時間を裂くなということだろう。営利を目的とする会社としてはそれが当然だというのが回りの意見だった。しかし、それが私の教育方針であるし、この一時間を無駄にしても長期的には会社の利益につながった一因になったのである。

実際、自分が社長になってからは、この方針で間違いはないと自負している。

会社でも組織でも政党でも、その着目点が人間に向かず仕事内容に向いていることが問題なのである。

はじめは人間に目が向いているつもりでも、それがだんだん嫌気がさしてきて、上司は腹を立てたり、「あいつはだめなやつ」としてのレッテル貼りで終わろうとしてるのが、今の団塊世代以降の上司である。そんなことは誰にでもできるものだ。その人たちは上司である意味は全くない。

新入社員や若者との根競べに負けてしまい、「どうでもいいや」となる。それは自分の仕事で手一杯だからだ。だから結局、人間には目が向かなくなる。人を預かる責任ほど大きいものはないのに、現代の中年連中は根気に欠けている人が多い。

これは会社に限らず、親が子に対する教育についても、親が「どうせ言うこと聞かないからつきあわなければいい」などと弱音を吐く。一昔、二昔前の親には威厳があったが、総じて今はない。学校においても同じだ。

もう一つは自己防衛反応である。現代の上司は一昔前の上司に比べて、自己のリスク回避を最優先としている傾向が強い。男らしさというものが、差別という意識が蔓延してきたからというのもあるが、現代の上司にはその自覚はなくとも、利己的な経済優先社会で蓄積された自己防衛本能が働く。そうした人は、自分のはっきりとした考えがないために、部下から提案があってもさらなる上司や周りの人々に対して、それを動かせるだけの自信がない。

部下の育成よりも自分のメンツを気にする。

挙句の果てには、中途半端な経験があるため、あれはできない、これはできないと言いたがる。

彼らダメ上司の共通する口癖は、「自分は経験豊富だからいろいろなことがわかっている」である。

そうなってくると、部下や若者は、表面上は年長者として扱っているが、腹の底では笑っているのがほとんどだ。私のようにこのような言葉を絶対に吐かないと決めている人間には、部下が皆、正直に「あの人のいう経験だとかいうことについて腹では笑っていました」と十人中十人が言ってくる。

何を提案しても無駄なのだから無気力な若者が出てくるのは当然である。ニートとして家に閉じこもっているほうがよほど生産的だ。

経営者・幹部・先輩というものは、ゴールを指し示してやって、その方法は若者にまかせるのである。方法は教えないほうが良い。聞かれたら助言程度すればよい。経験しているからといって、その結果はこうなると言って、押し付けてくる上司が多い。その理由は保身のためである。教育のためならやらせばよい。

また、「自分には経験がある」などとわざわざ言わなくてはならないのは、自分に自信がないからであろう。この言葉には、「自分はただ年齢だけがある人間なのだ」ということの自白でしかない。

上司は、その答えを知っていても、決して答えそのものを教えてはならない。

そして、その失敗は上のものが責任をとる。部下の失敗をみて「ほらみたことか。俺の言ったとおりだろう」などとは断じて言ってはならない。これは自分を認めて欲しいから出てくるあさましい言葉だ。

部下が失敗したら上司は勝ち誇らずに、まずは失敗の責任をとる。これが一番重要なことだ。これをしたくないから、みな保身に走るのである。

成功した場合は、そいつの手柄にしてやるという、それだけの男気のある中年が少なくなってきたということが問題なのである。そしてその問題は、ゴールを指し示せない、アイデンティティの不足から起きている。

もしかしたらああいうゴールがあるかもしれないが、失敗したら自分に火の粉がとんできたりしたら困るからといって、逃げ道を常に考えようとしている。

失敗した事実があっても、そこからなんとか、無理やりな筋道を作ってでも逃げようとする。

能力というものは誰にでもあるはずだが、それを引き出せるか引き出せないか、はその上司にかかっている。

「あいつはダメな部下だ」として切ることは、その上司が無能である事の証明に他ならない。根気のレベルで部下に劣っている。こうなれば、この若者が上司になったときはもっとひどい世の中になってくる。

世の中には、使えない人間はいないが、人を使えない人間は、かなり大勢いる。適材適所に人材を置く能力が時代とともにみな失っているのである。

それはなぜかというと、いかに金をかせぐかというところがあるからだろう。根気よく人間を育てるよりも、何につけても便利なお金というものを稼いだほうがよい…となる。

上司にも若者にも、大きな理念がないから、(あったとしても形だけで心からのものではない)

すぐに細かい短所ばかりに目が向いて、自分に負けてしまうのである。大局の目標があればそんな他人の短所には目は向かない。

人間には全て一長一短があり、それを使いこなせないのは責任ある立場になってはいけない。ボサーっと立っているしかできない人間がいたとしよう。その人間を使えなければ、その人は上司をやめてボサーッとしている人と同列になったほうがその上司のためにもなる。

向いてないことを無理にさせても、それは誰のためにもならない。どうしても向いてないことをさせなければならない場合は、その上司に根性がなければならないのである。

根気よく、前から後ろから、それがダメなら右から、左から、それでもダメなら道具を使って、とにかく最終的に納得して達成するまで粘り強くやること。途中で断念したら負けである。

これは普通に誰もが持てる力である。

が、それを簡単に放棄してしまい、全てを他人のせいにしてしまう世の中なのである。それが楽だとでも思っているのだろうが、かえって苦が待っている事がわからないのだろう。

こればかりは政治制度や立法によってどうになる問題ではない。

一人一人が心得ない限り、真の教育改革は無理なのである。

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憲法は廃止すべし

2006年09月04日 10時25分40秒 | Weblog

平和党 http://www.heiwatou.jp

憲法改正が国会であがってきている。与党だけで衆議院では三分の二を越えているが、参議院の問題もあるので民主党の協力は必要になってこよう。国民投票法の整備も始まった。

だが、ここでみなさんに知っていただきたいことは、日本国憲法及び戦前の大日本帝国憲法は、ほとんど守られていないということである。

憲法が他の法律と違う部分は、国の基本法というだけではない。

他の法律は、国が制定し、国民を支配下に置くが、憲法はその国の権力をけん制するものである。

したがって、国は都合のいいようにするためには、憲法を守らない場合がある。

学問上、あるいは理想上、憲法とは国家権力に先立つものであるが、実際には

国が憲法を封じ込めてしまうのである。

憲法について、口角あわを飛ばすほど議論しているのは右翼と左翼と、本当は左翼なのに市民派を自称する人達だけである。

戦争のない国づくりをしたければ自衛隊法でそうすればよい。

天皇を国民の象徴にしたければ皇室典範ですればよい。

人権を保障したければ諸々の法律に規定すればすむことである。問題は姿勢なのだ。

憲法には拘束力がない事が今までの歴史からすると明らかだ。

憲法は必要だという、固定概念にとらわれるのはやめたほうが良い。

姿勢もないのに基本法をつくりかえようとしたり、維持しようとしたりしても何も意味ももたない。

憲法では規範を規定しながら、守られていないことは山ほどある。

自衛隊の存在や死刑制度の存続については、各々に違憲かどうか賛否両論があるとしても、明確な憲法違反はあちらこちらにある。

まず、法律を作るのは国会の任務としながら、実際は内閣が作っている。この論理で行けば、裁判所にも法案提出権があると拡大解釈できる。また、私学助成を憲法では禁止しているが、実際にはどんどんやっている。憲法を守れという共産党は、各地方自治体議会で共産党所属議員がしきりに私学助成を要望することはしきりである。

これら、憲法無視の姿勢は日本国憲法時代だけの話ではない。

旧憲法即ち明治憲法においても議会制民主主義や言論の自由が保障されながらいっさい破られている。順法精神豊かな日本人は、なぜか抽象的な規定である憲法に関してだけは守らない風習がある。これは日本人というよりも国家権力は憲法に従わない習性を物語っているからだ。

どうせ守らない憲法であるならば、どう改正してもらってもかまわないし、そのままでも一向にかまわない。

わが党の目的は、戦争をなくすこと、貧富の差をなくすことである。

その方法は憲法によっては、決して達成される事はないと思っている。

憲法が、平和や経済の安定という政策に優先することはない。

憲法が平和や豊な暮らしをつくるのではない。

憲法などという紙に書かれたものをいじくる前にやることはあるだろう。

国会議員には憲法尊重擁護義務がありながら、その憲法自体を変える発議権を持っている。

これも一般国民には理解できないことだろう。

これは法学を学んだものでなければ理解できないといって学者にとってなんらかの屁理屈があるのなら、それは国民にとってわかりづらいものであり、直接国民には関係のないものであるから棄ててしまったほうがよい。

なにしろ、国会で審議されている憲法問題は、理念が見えてこないのである。

単に学術上の討論をしたくて、自分たちが大層なことをしているのを国民にアピールしたいだけならとっととやめてほしい。

憲法は権力を抑制するために存在するが、その力は発揮されていない。

憲法で軍事的にいかなる規定をしようともやはり時の政権は都合のいいように解釈するだろう。

何しろ憲法を守らないのが、国家権力を握った政治家・官僚だからである。憲法は権力を抑制する力を持っていないのは歴史が明確に示している。憲法は百害あって一利なしだ。

社会民主党党首の福島瑞穂参議院議員は、彼女の勉強会で次のような発言をした。

「自民党や民主党の議員は『憲法では国民の義務よりも権利について多く書かれているのはおかしい。

国民の義務をもう少し入れるべきだ』と言っているが、憲法とは国家権力の横暴を抑制するためのものであり、国民に義務を強要する憲法改正はおかしい」と。

成る程、もっともな意見である。

憲法とは暴君を生み出さないためにヨーロッパから生まれてきたものだ。

今では『君臨すれども統治せず』の英国国王や象徴となっている日本の天皇制であるから、現在抑止すべきは議会・行政・司法などの国家機関である。

しかし、憲法がきちんと抑止力を持っているかどうかというのは前述の通り、私学助成は例外であるとか、内閣の過半数は国会議員であるから内閣提出法案は許されるとか、自衛のための軍事力はかまわないとか、解釈改憲がいくらでも成立するのである。

共産党ですら解釈改憲しているのにいったいどんな抑止効果があるというのか。

福島党首はこうも言った。「野中広務氏は、憲法を条文として改正しようとする明文改正派、宮沢喜一氏は解釈改憲であるが明文改正はしないという護憲派。

だから宮沢氏は改憲しないという意味では仲間」こうなってくると“憲法オタク”としかいいようがない。文章を変えるか変えないかを問うているのは全く無意味だ。

野中氏も宮沢氏も軍縮志向であり、さきの大戦では戦争の悲惨さには、身をもって経験した政治家であるから同じような軍縮論を持っている。

「とにかく憲法を変えない」というのが政治信条であるなら単なる“憲法信者”であり、

戦前の天皇崇拝主義者とあい通じるものがある。天皇を憲法に置き換えたに過ぎない。

要するにどの政治家も「憲法」というそのものに捕らえられて、表面上の体裁や面子のことだけを考えている。

わが党の主張は「平和は憲法に優先する」である。

改正しようという方もする方で、とくに民主党は「今のままでは駄目だ」という思いが強いが、中身は全くない。

あったとしてもそれはすでに自民党内にも同じような意見がある。

変えることがいつも主眼であり、変える内容については二の次という考えを持っている。

とにかくなんとなく変えようとするため余計に悪くなる。それが民主党である。

公明党にいたっては、9条が改正されたとしても、平和を名乗る公明党は「私たちが与党にいたからこそ、ここまでで食い止めることができた」と言える言い訳探しに必死なほど中身はない。

自己満足のために国家の基本法をいじくるべきではない。

改憲と護憲、右翼と左翼という対立を生み出してしまう憲法はもはや平和理念を達成するためには、むしろ妨げであり、憲法は一刻もはやく廃止するのが

望ましい方法である。

しかしながら、憲法改正には国民投票が必要で、「国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」(96条)とあるが、

これは投票者の過半数と読むべきか、全国民の過半数か、全有権者の過半数かで
かなり違ってくることとなろう。その投票率はいったいどれくらいになるだろうか。

そこまで国民的議論がされているのだろうか。

どうしても政治家同士の趣味・娯楽・言葉遊びにしか見えないのである。

平和党は憲法をどうこうするよりも、自然主義経済を実行に移すことが

すべての政策課題の問題解決に繋がると考える。

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ハワイをアジアに

2006年09月04日 10時22分36秒 | Weblog

夏休みにハワイにいけば、わかるが日本人だらけ。

冗談で、「ハワイは日本だよ」などという人もいて、子どもたちはそれを信じてしまうから注意しないといけない。

ハワイはアメリカである。だが、元をただせばハワイはハワイであった。

カメハメハ5世以降は、ハワイは国王を選挙で選んだ。

明治18年(1885年)、ハワイ王国のカラカウア国王が来日した。

当時のハワイは独立国であったが、ほぼアメリカ合衆国の支配下におさめられており、米国の経済力で繁栄する反面、国民はアメリカに反発もいだいていた。

このときが近代史上初の外国元首来日。

カラカウア国王は、赤坂御所で明治天皇と会談する。

そのときの、国王の提案が以下のとおり。

●ハワイを日本に併合してもらい連邦国家をつくる。その際の君主は明治天皇とする。

●日本とハワイに海底を通じて、電線を敷設する。

●日本が主導して、欧米列強の植民地化に対抗。アジア連邦をつくり、明治天皇はその盟主となる。

●国王の姪で王位後継者であるカイウラニ王女と山階宮定麿王(のち伏見宮邦家親王王子)の婚姻。

この時代に海底ケーブル構想を出したのはすごいと思う。

明治政府はこの後、日米和親条約などの不平等条約が、改正されると、その必要なしとして断ったという。

尚、この提案の12年後ハワイ王国は滅亡、アメリカの属国となる。

以降、ハワイはアジアの一員から、アメリカの一州となった。本土のインディアンと同じく、ハワイ独自のアイデンティティも徐々に失われた。

その後、日米開戦のさいには、ハワイの真珠湾は重要な拠点とされた。

日本の真珠湾攻撃は、アメリカの戦争史上、アメリカの領土を攻撃した国は、日本が今のところ最初で最後である。

日本は戦争に負けて樺太・朝鮮半島・台湾を返還したが、もし万が一、日本が戦争に勝っていたらどうなるだろうか。ハワイ・グアムは返還されるということになろうが、

もっと遡れば、アメリカ大陸そのものをインディアンに返還できるところまでいったのだろうか。

日本とハワイが併合していても、太平洋戦争の敗戦によって、やはり返還されていたことになろうが、アメリカの属国になっていたことはないだろう。

歴史は遡れないから、それは置いておくにしても、なぜ、平和党はアジア重視の外交をとったほうがいいかというと、その理由は民主党・共産党・社民党などとは、大きく違う。

それはアジアのアイデンティティを大事にしなければならないということ。

米国式資本主義の後追いをするアジアであるならば何の意味も持たない。

そのためには、アメリカの文明が世界の正義であるとする価値観を転換しなければ、人々は心を忘れ、拝金主義にいたるということである。

太平洋戦争時代の日本とドイツのイデオロギーもこれに近いものがあったが、日独という他の列強に比べれば、戦力のない国家が互角までいけたのもその精神力による。

だが、当時の先鋭力は、やはり物質文明の科学技術である。

今でもそれには変わりはないが、当時よりは日本もドイツもモノに不自由なく生きている。

ここでやっと精神性、即ち人間がお金によって生きているのではないという、

自然によって生かされているという調和思想が開花する時期にきているのではないかと思う。

韓国、中国はもはや資本主義の虜になっていて、儒教・仏教は形骸化され、物質主義・利己心に走っている。この両国に主導権があると、アジア文明論の復興にはほど遠くなるだろう。

したがって、ハワイや東南アジア、あるいは印度などにそれを求めることが良いのではないかと思う。

マレーシアのマハティール元首相は、「ルックイースト」を言われた。アジアに帰れということだそうだ。

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歴代首相の支持順位

2006年09月04日 10時20分30秒 | Weblog

読売新聞社の調査によれば、戦後の歴代首相の中で誰を評価するか(複数回答)を聞いたところ、

1位 吉田茂(日本自由党総裁、民主自由党総裁)44%
2位 小泉純一郎(自由民主党20代総裁)41%
3位 田中角栄(自由民主党6代総裁)36%
4位 中曽根康弘(自由民主党11代総裁)30%
5位 佐藤栄作(自由民主党5代総裁)25%
6位 池田勇人(自由民主党4代総裁)18%
7位 岸 信介(自由民主党3代総裁)13%
8位 三木武夫(自由民主党7代総裁)12%

かつては海部俊樹(自由民主党14代総裁)、細川護煕(日本新党代表)などが
上位にきていたが、歴史の流れによって、いろいろと変わるものです。

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全ての日本の課題の解決方法

2006年09月04日 10時19分28秒 | Weblog

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さきほどケインズの話を転載 http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/39576830.html

したのは、平和党が提唱する自然主義経済こそが

全ての政策諸課題の唯一の解決方法であると言いたかったからだ。

今までの資本主義経済(国家型資本主義であるマルクス主義も含む)をやめて、

あるいは革命時期には自然主義経済と同時に併設することである。

では、自然主義経済とは何か。

簡単に言うならば、貨幣を所持しているとその価値が時間とともに劣化するというものである。

これは銀行に預けていたり、投資したり、保険にしたりしても、この減価から逃れる事が出来ない

というものである。

全ての物質が時間とともに腐敗・消耗していく以上、お金にもそういう機能を与えようというものだ。

これは今までの価値観・世界観を転換しなければ不可能。

なぜ、このようなことが必要かというと、人類社会がお金におぼれ、人間が人間としての価値を失ってきているからであり、これを目覚めさせる意味においてなされなければならないことである。

では、この方法をとると政策はどのように反映されるか。



●外交・防衛
戦争の要因は宗教・思想を除けば、資源の争奪が発端となる。食糧もエネルギーも自給できる国家を作ることで解決される。領土・領海の欲望は利権である。利権は資本主義を前提とした貨幣が発端である。

●財政
財政赤字はやがて限界に達する。この解決方法はリセット以外にはない。そのためには日本銀行券以外で経済活動できる手立てが必要。

●金融
増殖としわ寄せの機能を持つ金融も財政と同じく、限界に達する。物質経済と矛盾する数学的なバーチャル経済は崩壊する。そのためには実質的にモノ・サービスと転換できる自然通貨を必要とする。

●教育
経済史上主義下の社会では、いかなる教育政策を施そうとも、その手本は示せない。物質と精神の双方が両立する社会を作ることが教育の最も効果的な方法である。自然主義経済は人間関係を豊かにし、心豊かな社会を築くことができる。

●福祉・医療
政府に依存した社会福祉は、利権をもたらす。社会主義的資本主義と言われる日本はこれを今やめようとしているが、それもまた充実した福祉社会にはならない。第三の方法である自然主義経済を用いて、民間オンリーによる福祉・医療を築く。

●農林水産業
経済の基本であるにも関わらず、貨幣が力を持つ社会は第一次産業が衰退する。食糧の自給は勿論、自然有機栽培による生産効率を可能とするのが自然主義経済である。

●商工業
諸外国からの輸入を停止し、全て自国で自給できる工業を行えば自然調和型の産業におのずからなる。商業においては、自然主義経済の採用により、その流通速度は増し、誰もが好きな職業で生活ができるようになる。地産地消型経済になっていく。

●国土インフラ
これまで公共事業を優先せざるを得なかったのは、貨幣に依存し、政府に依存してきたからである。自然主義経済では民間のみで公共事業を行うため、いらない公共事業はなくなる。

●エネルギー
石油・原子力を使わなくなり、太陽・風力・地熱・バイオなどの力が主流となる。一箇所で大量に発電するよりも地域ごとに発電する方が効率がよいということになる。


国会では、一つ一つの政策についていろいろと論じられているが、実は問題の糸口は一つなのだ。

ここにメスを入れない限り、いかなる政策を論じても全く無駄なのだ。

以上の政策を実行に移せば、おねしょがとまらないとか、女房に浮気がばれて大変だとか、馬券があたらないとかいう個人的な問題以外はたいがい解決できる。

 

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山にゴミを捨てる不届きモノ

2006年09月04日 10時17分12秒 | Weblog
山にゴミを捨てる不届きモノ
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作成日付 2006/9/3(日) 午前 9:47  |  書庫 平和党環境部会  |  カテゴリ ごみ問題

アルピニストの野口健さん(33)とタレントの北川えりさん(31)、毎日新聞の読者ら約230人が

2日午後、富士山ろくの青木ケ原樹海(山梨県鳴沢村)で不法投棄されたごみを回収した。

ゴミを捨てるにも金がかかるといって、不法投棄するのが当然という人間は多い。

とくにその場合は、山に捨てることが多いようだ。

それがあたかも正当性があるかのようなことを言う。

常日頃より、地域のボランティア活動などに参加していれば、そんな気になるはずがない。

全く嫌な世の中だ。

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茨城県庁も全面禁煙

2006年09月04日 10時16分15秒 | Weblog
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作成日付 2006/9/3(日) 午前 9:58  |  書庫 北関東ブロック  |  カテゴリ 地方自治

橋本昌茨城県知事は1日、来年4月から県庁舎内を全面禁煙にする方針を明らかにした。

県庁舎内には現在、4カ所の喫煙所が設けられ、それ以外の場所を禁煙にする完全分煙を実施している。

来年4月からは喫煙所を撤去し、庁舎内を全面禁煙にし、庁舎外の敷地内に喫煙所を設ける。

もともとは知事は消極的だったらしい。

どんどんタバコが吸える場所がなくなっていきます。

県議会の委員会室なんてのはタバコ吸うのがあたりまえだったんですけどね。

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花月園競輪の不振対策

2006年09月04日 10時15分25秒 | Weblog
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作成日付 2006/9/3(日) 午前 10:10  |  書庫 南関東ブロック  |  カテゴリ その他ギャンブル

花月園競輪場(横浜市鶴見区)で2~6日、ビッグレースの第49回オールスター競輪が開催される。入

場者、売り上げの減少傾向に歯止めをと、県競輪組合(県、横浜市、横須賀市)は「団塊世代」をターゲ

ットにした作戦を始めた。

競輪開催自治体には、競輪議員というのがいる。

各自治体から2名ずつ出す。たいがいは自民党から出される。

自分はこのルートから特別競輪の特観席を手に入れる。

競輪議会は、れっきとした特別地方公共団体だ。

開催に参加する市町村の収入源になるわけだが、近年これが振るわない。

そのうち、自治体でパチンコでも始めるのではないか。

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長野県議会に新会派

2006年09月04日 10時14分24秒 | Weblog

長野県議会会派「トライアルしなの」(島田基正代表)と、知事選で田中康夫知事を支援し所属会派(県民協働・無所属ネット)から離脱した田口哲男氏(松本市区選出)と永井一雄氏(須坂市区選出)は1日、新会派「トライアル信州」を結成し、県議会に届け出た。

会派代表には旧トライアルしなの代表の島田氏が就任し、新会派の議員数は4人となった。
島田代表は「田中県政の良いところを継承してもらうために結集することにした」と、新会派結成の理由を説明。

結局、旧与党による野党の結成というとこだろうか。

このようにハッキリしてくれればいいが、どっちにもつかず曖昧な政治姿勢をとって、
とにかく現職の知事に流れるだけだという議員だらけだ。自分の選挙で必ず勝つため、自分の生活のためだろうが…。




熱海市長選挙告示

2006年09月04日 10時13分57秒 | Weblog




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2006/9/3(日) 午前 10:19 | 東海ブロック | 静岡県




静岡県では、任期満了に伴う熱海市長選は本日告示される。10日に投票、即日開票される。

立候補するのは

川口市雄市長(69)=無所属、自民・公明推薦=

猪木快守元スポーツ平和党代表(67)=無所属

斉藤栄前国会議員秘書(43)=無所属

旅館業の鵜沢精一氏(62)=無所属

とみられる。

川口市長は現在3期目。