ハイドン先生のピアノ三重奏曲第21番ハ長調(ランドン版/第35番)を聴きました。
作曲は1795年頃ですので、最後の交響曲と同じ時期です。
いきなりですが、曲を聴いていて、ふと名前が思い浮かびました。
ピアノ三重奏曲第21番ハ長調 ≪名誉会長≫(仮題)
第1楽章冒頭の序奏部の雰囲気からです。
現役を引退して、厳しさ、激しさはないけれども"威厳"がある・・・みたいな。
(主部が始まると全然違うんですけど)
「Adagio pastorale」となっていますから、"田園風"の方が近いかもしれませんが。
主部の第1主題は、序奏部の旋律から派生したものと思われます。
短い跳ねるように上昇する音型があって、すぐオクターブ上がって、といった感じで、
とても気持ちのいい旋律です。
途中、弦楽器の持続音("ドローン"というのでしょうか)の上で
ピアノが同じような音型を繰り返すところが度々出てきます。
ちょっとベートーヴェンっぽい、といったらいいのかな?
第2楽章は親しみ易い、心和む旋律です。
第3楽章の主題も、第1楽章序奏部の主題からの展開だと思われます。
いかにも"室内楽"といった感じでいいです。
思わず「は~」という溜息と、「ほ~」という感嘆が漏れてしまいます。
ハイドン先生は、交響曲、弦楽四重奏曲といった形式の確立に大きく寄与し、
かつ、すぐれた作品を膨大に残したため、
「交響曲の父」、「弦楽四重奏曲の父」と呼ばれていることはご承知の通りです。
そのほかのジャンルでも多数の曲を残していますが、作品数が多いために
かえって有名な曲しかあまり聴かれる機会がありません。
でも、こういう(ピアノ三重奏曲第21番のような)"普通"に素敵な曲も沢山あります。
知らない曲を聴かされて「この中からハイドン先生の作品を当てろ」と言われても
私はそこまで音楽的特徴を理解しているわけではありません。
それでもこの曲を聴いていると「ハイドン先生だ~」と思ってしまいます。
もっと言えば「音楽だ~」と。「音楽」という言葉本来の意味において。
THE 虎舞竜の歌ではありませんが「何でもないようなことが幸せだったと思う」ことは
ちょっとした怪我や病気をした時にも感じます。
いつも通りに生活し、しゃべったり笑ったり、音楽を聴ける幸せを。
ハイドン先生のピアノ三重奏曲第21番は、
例えばマーラーやブルックナーのような鮮烈な感動とも、
ベートーヴェンやショスタコーヴィチのような深淵さとも無縁です。
言わばこの曲は「日常」です。何でもないような(でも幸せを感じる)「日常」の音楽です。
このような曲も、ハイドン先生は膨大に残したのです。
"偉大"と言わずして何と言いましょう。
ピアノ三重奏曲第21番ハ長調 ≪日々の幸せ≫
この方がいいかもしれませんね。
(追記)
≪日常≫ではちょっと味気ないので≪日々の幸せ≫にしてみました。
作曲は1795年頃ですので、最後の交響曲と同じ時期です。
いきなりですが、曲を聴いていて、ふと名前が思い浮かびました。
ピアノ三重奏曲第21番ハ長調 ≪名誉会長≫(仮題)
第1楽章冒頭の序奏部の雰囲気からです。
現役を引退して、厳しさ、激しさはないけれども"威厳"がある・・・みたいな。
(主部が始まると全然違うんですけど)
「Adagio pastorale」となっていますから、"田園風"の方が近いかもしれませんが。
主部の第1主題は、序奏部の旋律から派生したものと思われます。
短い跳ねるように上昇する音型があって、すぐオクターブ上がって、といった感じで、
とても気持ちのいい旋律です。
途中、弦楽器の持続音("ドローン"というのでしょうか)の上で
ピアノが同じような音型を繰り返すところが度々出てきます。
ちょっとベートーヴェンっぽい、といったらいいのかな?
第2楽章は親しみ易い、心和む旋律です。
第3楽章の主題も、第1楽章序奏部の主題からの展開だと思われます。
いかにも"室内楽"といった感じでいいです。
思わず「は~」という溜息と、「ほ~」という感嘆が漏れてしまいます。
ハイドン先生は、交響曲、弦楽四重奏曲といった形式の確立に大きく寄与し、
かつ、すぐれた作品を膨大に残したため、
「交響曲の父」、「弦楽四重奏曲の父」と呼ばれていることはご承知の通りです。
そのほかのジャンルでも多数の曲を残していますが、作品数が多いために
かえって有名な曲しかあまり聴かれる機会がありません。
でも、こういう(ピアノ三重奏曲第21番のような)"普通"に素敵な曲も沢山あります。
知らない曲を聴かされて「この中からハイドン先生の作品を当てろ」と言われても
私はそこまで音楽的特徴を理解しているわけではありません。
それでもこの曲を聴いていると「ハイドン先生だ~」と思ってしまいます。
もっと言えば「音楽だ~」と。「音楽」という言葉本来の意味において。
THE 虎舞竜の歌ではありませんが「何でもないようなことが幸せだったと思う」ことは
ちょっとした怪我や病気をした時にも感じます。
いつも通りに生活し、しゃべったり笑ったり、音楽を聴ける幸せを。
ハイドン先生のピアノ三重奏曲第21番は、
例えばマーラーやブルックナーのような鮮烈な感動とも、
ベートーヴェンやショスタコーヴィチのような深淵さとも無縁です。
言わばこの曲は「日常」です。何でもないような(でも幸せを感じる)「日常」の音楽です。
このような曲も、ハイドン先生は膨大に残したのです。
"偉大"と言わずして何と言いましょう。
ピアノ三重奏曲第21番ハ長調 ≪日々の幸せ≫
この方がいいかもしれませんね。
(追記)
≪日常≫ではちょっと味気ないので≪日々の幸せ≫にしてみました。
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