前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ミッシェルとナンバーガール

2020-07-01 23:27:29 | クラシック以外の音楽
CDが増えてしまったので
まとめて「ディスクユニオン」に売ろうと思い整理をしました。

引越しの片づけをしている最中に、
押入れの奥から出てきた古い新聞や雑誌を読み耽ってしまう
というのはよくあることですが、
いざ「売ろう」となると、同じ?ように「最後にもう一回だけ聴こう」
などと思ってしまいます。


クラシックのCDは元々の販売枚数が少ないので、
マイナーレーベルのものだと二度と手に入らない(聴けない)
という場合もあり、ついつい慎重になってしまいます。

ロックやポップスは、CDでなくても色々な方法で聴くことができますので、
あとは「思い出」との闘いでしょうか。


社会人になってから暫くして、たまたま再会した高校の同級生に誘われて
あるライブに行ったのですが、それをきっかけに
クラシックと並行してロックのライブにもよく行ってました。

その頃、主な活動期間がほぼ同じの二つのバンドがありました。


〇ミッシェル・ガン・エレファント(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)
1996年~2003年
〇ナンバーガール(NUMBER GIRL)
1995年~2002年


THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
『CASANOVA SNAKE』


NUMBER GIRL
『School Girl Distortional Addict』


バンドの"カラー"は全く違いましたが、どっちも好きという人も
多かったと思います。

ですが、自分はミッシェルには"どハマり"したのですが
ナンバーガールにはハマりませんでした。

ミッシェルのライブには何度も行きましたし
当時他にも、POLYSICS、ゆらゆら帝国、デキシード・ザ・エモンズなど
色々なバンドのライブに行きましたが、結局ナンバーガールのライブは観ていません。
でも、何故か心に「引っかかる」存在であり続けました。


映画や小説など、そこで表現されていることや語られていることも
勿論重要なのですが、
「映されなかったもの」「書かれなかったこと」の方が
自分にとって意味を持ってくることもあると思います。


後に、ナンバーガールのボーカルだった向井秀徳さんは
「ナンバーガールとは何だったのか?」という質問に対して
「青春だった」と答えたそうです。

Base Ball Bearの小出祐介さんはナンバーガールの大ファンだったそうですが
以前ラジオで自らナンバーガールの特集を組んだ時、
先の向井さんの言葉を受けて「自分たちにとっても青春だった」
と語っていました。


勝手なイメージかもしれませんが、
(当時から)自分にとっての「ナンバーガール(の青春)」は
「抜けるような青い空」と「夏」でした。

一方のミッシェル・ガン・エレファントは「黒」と「夜」です。

人よりも随分遅れていたとは思いますが、
あの時代は自分にとっても「青春」だったと思います。
そしてその時、ナンバーガールにハマらなかったことも
また自分にとって意味のあることだったのかもしれません。

改めてYouTubeで、当時のライブ映像(「透明少女」)を観ていますが
やはりカッコいいと思います。


ミッシェルのCD、DVDは「ディスクユニオン」には売らず手元に残っています。
ナンバーガールの2枚のCDは「ディスクユニオン」行きの段ボールの中にあります。