N響定期公演に行ってきました。
プロコフィエフ 組曲『3つのオレンジへの恋』
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番ト短調
シベリウス 交響詩『大洋の女神』
シベリウス 交響曲第7番ハ長調
ピアノ:アレクサンダー・ガヴリリュク
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
以前にも書きましたが、私はN響で聴く指揮者アシュケナージが大好きですし、
素晴らしい指揮者だと思っています。
一般的な評価では、ピアニストとしての輝かしいキャリアの方が上だと思いますが、
正直、ピアニストとしては好きではありませんでした。
録音でしか聴いたことがないのでそのせいもあるかもしれませんが、
どの曲もスケールの大きさが感じられないというか・・・。
少々早めのテンポも好みではありません。
(指揮するときもテンポはやはり早めですが、こちらは余り気にならない・・・)
多分に独りよがりな発言、独断と偏見を書きますが、
NHK交響楽団を指揮するアシュケナージは世界最高の指揮者の一人である
アシュケナージが指揮するNHK交響楽団は世界最高のオーケストラの一つである
今日の演奏でそう確信しました。
『3つのオレンジへの恋』は、第3曲「行進曲」(のチェロ版?)を聴いたことがあるだけで
組曲全体は初めてです。
チューニングが終わるや否や小走りで登場したアシュケナージは、
ペコンとお辞儀をするとすぐに指揮台に上がり、佇む間もなく腕を振り始めます。
その瞬間、激しくエキセントリックな音が響き渡ります。
"アシュケナージ・マジック"とでも言いましょうか?一瞬で引き込まれました。
脇を絞めて両手を震わすように小刻みに動かす姿は、
決して華麗な指揮振り、威厳漂う指揮姿とは言い難く、むしろコミカルな感じです。
それがN響から素晴らしい演奏を引き出すのですから不思議?です。
相性でしょうか?
プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番は初めて聴く曲です。
第1楽章の冒頭の静かなピッツィカート。
いつものことながらアシュケナージが指揮する時の弦のアンサンブルは見事です。
神秘的な旋律や民謡風の旋律と、目まぐるしく表情を変える激しい音響が混在する、
何とも魅力的な曲で、一遍で好きになりました。
ガヴリリュクの演奏も素晴らしかったです。
後半戦は打って変って、後期シベリウスの抑制された世界です。
解説によると、シベリウスは交響曲を"凝縮"させることに腐心し、
そのためには緻密な動機労作と内的論理が重要だったと書かれていました。
そのようにして到達した「単一楽章」の交響曲第7番ですが、
決して論理的な難解さはなく、第5番と同様の漂うような透明感です。
私がシベリウスの作品で一番好きなのは交響曲第5番なのですが、
今日、この交響曲第7番を聴きながら
この曲をもっと理解したい
心からこの曲を愛せるような人間になりたい
そのような想いにかられました。
交響曲第7番の完成は1924年ですが、1925年以降、1957年に亡くなるまでの約30年間、
シベリウスはほとんど作曲をしませんでした。
それだけの期間があれば、第8番、第9番の交響曲も作れたのでは、とも言われますが、
この第7番で「交響曲の究極の形」に到達したのでしょう。
それはブルックナーともマーラーとも、ショスタコーヴィチとも違う世界です。
いずれは到達したいと憧れる世界、一つの境地です。
今年2月の定期公演について「N響定期公演史上屈指の名演」と書きました。
もちろんその思いは変わっていませんが、
マーラーの交響曲第3番という大曲、指揮も客演のチョン・ミョンフンでしたので、
どこか「特別公演」の趣もあります。
今回の定期公演は、曲目も"通好み"というか"渋い"ラインナップで、
指揮も前音楽監督(現桂冠指揮者)のアシュケナージです。
「N響は日本で一番うまいオケというけど実際は・・・」とか
「やっぱり海外の一流オケと比べたら・・・」などと思っている方々に
是非とも聴いてもらいたいような演奏でした。
終演後、拍手に促されて舞台に出てくるアシュケナージの姿は、どこか「北野武」を彷彿とさせます。
「ビートたけし」としてではなく映画監督、芸術家として公の場に立った時の
ちょっと居心地の悪そうな、恥ずかしそうな感じに。
アシュケナージも恥ずかしそうにして、盛んにオーケストラを称えていました。
そんな謙虚なところも、彼を好きな理由の一つです。
プロコフィエフ 組曲『3つのオレンジへの恋』
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番ト短調
シベリウス 交響詩『大洋の女神』
シベリウス 交響曲第7番ハ長調
ピアノ:アレクサンダー・ガヴリリュク
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
以前にも書きましたが、私はN響で聴く指揮者アシュケナージが大好きですし、
素晴らしい指揮者だと思っています。
一般的な評価では、ピアニストとしての輝かしいキャリアの方が上だと思いますが、
正直、ピアニストとしては好きではありませんでした。
録音でしか聴いたことがないのでそのせいもあるかもしれませんが、
どの曲もスケールの大きさが感じられないというか・・・。
少々早めのテンポも好みではありません。
(指揮するときもテンポはやはり早めですが、こちらは余り気にならない・・・)
多分に独りよがりな発言、独断と偏見を書きますが、
NHK交響楽団を指揮するアシュケナージは世界最高の指揮者の一人である
アシュケナージが指揮するNHK交響楽団は世界最高のオーケストラの一つである
今日の演奏でそう確信しました。
『3つのオレンジへの恋』は、第3曲「行進曲」(のチェロ版?)を聴いたことがあるだけで
組曲全体は初めてです。
チューニングが終わるや否や小走りで登場したアシュケナージは、
ペコンとお辞儀をするとすぐに指揮台に上がり、佇む間もなく腕を振り始めます。
その瞬間、激しくエキセントリックな音が響き渡ります。
"アシュケナージ・マジック"とでも言いましょうか?一瞬で引き込まれました。
脇を絞めて両手を震わすように小刻みに動かす姿は、
決して華麗な指揮振り、威厳漂う指揮姿とは言い難く、むしろコミカルな感じです。
それがN響から素晴らしい演奏を引き出すのですから不思議?です。
相性でしょうか?
プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番は初めて聴く曲です。
第1楽章の冒頭の静かなピッツィカート。
いつものことながらアシュケナージが指揮する時の弦のアンサンブルは見事です。
神秘的な旋律や民謡風の旋律と、目まぐるしく表情を変える激しい音響が混在する、
何とも魅力的な曲で、一遍で好きになりました。
ガヴリリュクの演奏も素晴らしかったです。
後半戦は打って変って、後期シベリウスの抑制された世界です。
解説によると、シベリウスは交響曲を"凝縮"させることに腐心し、
そのためには緻密な動機労作と内的論理が重要だったと書かれていました。
そのようにして到達した「単一楽章」の交響曲第7番ですが、
決して論理的な難解さはなく、第5番と同様の漂うような透明感です。
私がシベリウスの作品で一番好きなのは交響曲第5番なのですが、
今日、この交響曲第7番を聴きながら
この曲をもっと理解したい
心からこの曲を愛せるような人間になりたい
そのような想いにかられました。
交響曲第7番の完成は1924年ですが、1925年以降、1957年に亡くなるまでの約30年間、
シベリウスはほとんど作曲をしませんでした。
それだけの期間があれば、第8番、第9番の交響曲も作れたのでは、とも言われますが、
この第7番で「交響曲の究極の形」に到達したのでしょう。
それはブルックナーともマーラーとも、ショスタコーヴィチとも違う世界です。
いずれは到達したいと憧れる世界、一つの境地です。
今年2月の定期公演について「N響定期公演史上屈指の名演」と書きました。
もちろんその思いは変わっていませんが、
マーラーの交響曲第3番という大曲、指揮も客演のチョン・ミョンフンでしたので、
どこか「特別公演」の趣もあります。
今回の定期公演は、曲目も"通好み"というか"渋い"ラインナップで、
指揮も前音楽監督(現桂冠指揮者)のアシュケナージです。
「N響は日本で一番うまいオケというけど実際は・・・」とか
「やっぱり海外の一流オケと比べたら・・・」などと思っている方々に
是非とも聴いてもらいたいような演奏でした。
終演後、拍手に促されて舞台に出てくるアシュケナージの姿は、どこか「北野武」を彷彿とさせます。
「ビートたけし」としてではなく映画監督、芸術家として公の場に立った時の
ちょっと居心地の悪そうな、恥ずかしそうな感じに。
アシュケナージも恥ずかしそうにして、盛んにオーケストラを称えていました。
そんな謙虚なところも、彼を好きな理由の一つです。