「こんにちは~八百屋ですぅ」少しハスキーな女性の声がした。
時折、那須から来たと野菜を売りに来るひとがいる。
小柄で真っ黒に日焼けし前歯の欠けた中年の女性が入って来た。
人懐こそうに笑う顔に見覚えがあった。が、咄嗟には判らなかった。
Sさんだ!と判別した時、ハッと息を呑んだ。
余りの変貌ぶりに声が出なかった。
彼女は娘が小4年生の時に夫と離婚した。夫の女性関係が原因だった。
それから二年ほどして、小規模の事業をしている男性と再婚した。
互いに子連れ同士、周りは心配して反対したが押し切ったという。
色々と大変なこともあったが、それでも必死に努力をし、
夫を支え事業も順調にいったようだ。十年が過ぎていた。
娘は結婚をし家を離れた。
不思議と義理のなかの息子と良好な関係を保てた。安定した時間が流れた。
老後はきっと幸せになれる! 彼女は心からそう思ったという。
が、一生懸命働く彼女を尻目に夫は女を作って家を出た。
またもや二番目の夫にも裏切られたのだ。
そしてお決まりの如く、順調だった事業の歯車が狂い始めた。
しかし、歯を喰いしばって我慢をし舅を見送った。健康も損ねた。
残された姑と義理の息子との奇妙な家庭を細々と続けたが、
1年前に仕事を通して十歳以上も離れた男性と知り合い、
愛し合うようになったという。相手には家庭があった。
だが、家庭は崩壊しているという同じような境遇にあったそうだ。
彼女が言うに、「本当に穏やかで優しくて、何でも出来る人だった・・・」
彼は人とのつながりを大切にし、面倒見の良い性格だったらしい。
「人生の初めの頃に出会いたかった・・・」 遠くを見つめて彼女は言った。
「その彼が死んだの。癌だった・・・」
今日が初七日だが、相手の家族から葬式はもちろん一切関わることを拒否された。
二人で野菜や花を作り、それらを販売した僅かな日々。
その思い出だけが彼女に残されたものだった。
「死ぬ間際まで精一杯尽くしたから悔いはないわ。しあわせだった!」
彼女はきっぱりと言って胸を反らせた。自分に言い聞かせているようにも思えた。
胸につかえていたことを全部吐き出したのだろう、
「だいじょうぶ!私はへたれないよ。大丈夫!!」
鳥蕎麦を食べ終えて振り向かずに帰って行った。
しあわせって、いったい何だろう・・・小さなモヤモヤが消えずに残った。