「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

私の思考内容と宇宙

2013-09-07 07:58:02 | 第3章 世界認識に仕える思考
今日の気になる箇所

3章 より

我々はまず思考をまったく中立の状態で、つまり思考を思考する主観にも思考対象にも関係させずに考察しなければならない

なぜなら主観の中にも対象の中にも、あらかじめ思考によって生み出された概念が含まれているからである

どんな存在の仕方が考えられるにしても、まず思考という形式をとらなければならない


1918年の新版のための補遺

思考活動の場合においてのみ、自我はどんな活動においても、自分と活動者とが同一存在であることを知っている

思考以外の魂の働きの場合、このことは完全にはあてはまらない

ある種の快感が感じられる場合、よく観察してみれば、自我がどこまで能動的な在り方をしているか、そしてどこに受動的な部分があり、そしてどこで快感が自我の対象として現れてくるかを、正確に区別することが出来る

「思考像を持つこと」と思考内容を思考によって作り上げることを混同してはならない

単なる思考像であれば、曖昧な思いつきとして魂の中で夢のような受動的な仕方で立ち現れてくる場合もある

思考とはこのようなことを言うのではない

勿論次のような疑問も生じるだろう

「思考をそのような意味で捉えるなら、思考の中に意志が潜んでいることになる

したがって思考だけではなく、思考への意志もまた問題になる」

けれどもそのような言い方をするのなら、むしろ「真の思考は常に欲せられたものでなければならない」と言うべきだろう

しかしそう言ったからといって、このことは本書で論じたような思考の性格づけとは何の関係もない

たとえ思考の本質が常に欲せられることを求めているとしてもである

我々にとって問題なのは、思考する自我が常に自分自身の完全に見通し得る活動を欲しているという点である

この思考の本質のゆえにこそ、思考が観察する人にとってまったく意志されたもののように見えるのである


この章は、思考の性質、本質について述べている

思考が宇宙史的にどんなものかを述べる一方で、思考と自我、観察対象などとの厳密な在り方について述べる彼

こう言っていいのだろうか?

1私の思考、私の思考内容

2宇宙史の先端

1=2

私の意識の中での出来事は

宇宙史上の何か

なのか?

おまけの写真


竹細工 先輩が製作中のお弁当箱







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