ゲーテ的認識 メモ
理念世界 主観的思考
経験世界 客観的観察
の二つの対立を越える
一元的認識
「理念世界の浸透した経験世界」
だけに基く認識
感覚世界…肉眼
理念…精神的 な眼
そもそもゲーテにとっては
経験と理念という区別がない
理念は
「事物の中にじかにあり」
「事物に働きかけながら作りだしている」
シュタイナー の言う
直観的思考 = 主観&客観の統一
ゲーテは、この認識方法によって
事物を部分に分けてしまってから行う研究の仕方ではなく、
生き生きと働きかけているものを壊さずに
全体から部分へと向か う
自然研究の方法
を示唆した
第三章 で疑問に感じていた「観察と思考の対立」というのは、当時カントから提議された「人間の認識の限界」を受けての話なのだろうな
シュタイナーは、カントが言う認識の限界はゲーテの認識の仕方で創造的に乗り越えられると考えた
ということ
カントが言った人間の認識の限界とは?
また、ゲーテはなぜ統一的認識が出来たのか?
だいたい、「詩人」というのは統一的認識を行う者のことを言うのではないだろうか?
シュタイナーは、それを新たに科学的な方法論として提案、確立していくことが、これから今までの方法による
科学が向き合わなければならなくなる問題、これまでの認識方法によって築かれた社会に訪れる問題の解決にとって、必要不可欠になると考えたのだろう
今までの方法による
科学が向き合わなければならなくなる問題、これまでの認識方法によって築かれた社会に訪れる問題
って具体的には?
理念世界 主観的思考
経験世界 客観的観察
の二つの対立を越える
一元的認識
「理念世界の浸透した経験世界」
だけに基く認識
感覚世界…肉眼
理念…精神的 な眼
そもそもゲーテにとっては
経験と理念という区別がない
理念は
「事物の中にじかにあり」
「事物に働きかけながら作りだしている」
シュタイナー の言う
直観的思考 = 主観&客観の統一
ゲーテは、この認識方法によって
事物を部分に分けてしまってから行う研究の仕方ではなく、
生き生きと働きかけているものを壊さずに
全体から部分へと向か う
自然研究の方法
を示唆した
第三章 で疑問に感じていた「観察と思考の対立」というのは、当時カントから提議された「人間の認識の限界」を受けての話なのだろうな
シュタイナーは、カントが言う認識の限界はゲーテの認識の仕方で創造的に乗り越えられると考えた
ということ
カントが言った人間の認識の限界とは?
また、ゲーテはなぜ統一的認識が出来たのか?
だいたい、「詩人」というのは統一的認識を行う者のことを言うのではないだろうか?
シュタイナーは、それを新たに科学的な方法論として提案、確立していくことが、これから今までの方法による
科学が向き合わなければならなくなる問題、これまでの認識方法によって築かれた社会に訪れる問題の解決にとって、必要不可欠になると考えたのだろう
今までの方法による
科学が向き合わなければならなくなる問題、これまでの認識方法によって築かれた社会に訪れる問題
って具体的には?
我々にとって結果とはつねにあり続けている感覚領域だが,これがあるという事は非感覚領域が存在するという事でもある。感覚領域を小果(しょうか)=小さな結果,感覚領域と非感覚領域の両方をさして大果(たいが)=大きな結果と呼ぶ。
結果の元々の象(かたち)について言及することはできない。結果の元々のかたちを決めれば際限なく結果を遡る事になる。元々象などない。非象的象(非感覚領域)も同じである。
結果があるという事はここに至るまでの方向性がある。この方向性がものの起りの起源である。これを因という。因は非象的象(真果・しんか)を生じ,非象的象はその機構をもって象=感覚領域(小果)を生じる。この非象的象を小因と呼ぶ。小因は因の不可視(不可感)的な変化のかたちであり,あらゆる感覚をもっている。我々のもつ自我,あらゆる感覚は小因の中に含まれる象(領域)である。
自我は世界(せかい)=意識(感覚)と同時に,またその領域を同じくして存在する感覚である。世界があるということと自我があるということは同義である。自我は本来世界の在り様であり,物質に宿るものではなく言葉(ことば)に宿るものでもない。自分というものは世界の何処にも存在していない。
物質・言語はもとよりあらゆる感覚は非象的象に含まれる不可視(不可感)的な因子の具現である。因子は具現性の中の再現性をもつ。具現とはいうならば再生された世界そのものの象であり,再現とはこの世界を決定する因子である。
物質は対象形質(あらゆる感覚的対象)によって言葉という感覚を伴って呼び起こされる特定の因子(記憶)の群体である。特定の再現性(※a)因子の具現が物質の正体であり可知認識である。可知認識は物質だけでなく,言語を含め象(かたち)ある様々な感覚に言葉を与える事でなる。本来の認識(不可視・不可感の象)とは別に,認識は一つの様式として再生されている。
⇒因子は再現性ある記憶が差違をもって再生され記憶される過程を繰り返して群のかたちを成す。
(※a)
再現性の付加は感覚領域下の因子(記憶)に対し再現する能力を与える事,感覚領域下にある機構によって再現可能性を得るという事である。この因子(記憶)を蓄え再現可能性を与える機構を表象下機構と呼ぶ。表象下機構は表象の下すなわち感覚領域下にある同時的に存在する原因。小果に対する小因である。認識という様式だけでなく,あらゆる感覚が再現可能性をもって再生される。
【漆問・質問】
目的是感覚再現
対象是形質類似
手法是経路図合
予測是一切
再生是差違宇宙
記憶是再現基礎
展望是螺旋因果
因⇒再現性記憶,果⇒意識の象
《補足》可知認識について
存在性は虚妄。存在性は言葉の無限の区分・分割によって生じる錯覚である。
(認識表象作用:一つの認識が唯一無二の世界に作用し、新しい認識(錯覚)を生じる。)
我々の知ることのできる認識すなわち、特定の再現様式(表面に出たもの→表象)は、唯一無二の世界に言葉を与え便宜的に区分・分節することで成り立つ。言葉を与えることで存在性という錯覚が生じる。
存在性の錯覚を同時に生じる、その感覚の原因(再現性をもつ因子)こそ認識(物質など)の正体であり、不可視(不可感)・不可知な認識に対置されるものすなわち、可知認識である。
補足2
Cross-Arrow(CA)
1.或物体または何らかのものが変化する条件を得たときの方向. 掛け合わせ. 原因.
2.それによって示された或物体または何らかのものの性質. 変化の流れ. 結果.
例)
{m, n}CA{P1→P2}
『m』と『n』を掛け合わせ, 現象(結果)『P1→P2』を得た.
様様な『もの』を掛け合わせることで, 互いに側面(⇒性質)が生じる. つまり『もの』は他者によってその存在が規定される.
このような、散らかったノートにおいで下さり恐縮です
ご紹介下さった哲理は、数式まであって、素晴らしく研ぎ澄まされ、完成されたもののようですね
御自分で見出された哲理なのですか?
もしブログなどされているのでしたら、よかったらご紹介下さいませ