「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

思考を思考する時の移動先について

2014-01-24 07:02:01 | 第3章 世界認識に仕える思考
「知性的把握」(noein)をする我々自身は、生きている我々自身の外に出る

↑プラトン イデア論のまとめより

思考を思考するときは、通常の場所から移動する

というシュタイナー

この意味が不明だった

この二つに共通性はあるか?

生きている我々自身は、カントが物自体に至ることは出来ないと言った時空の中にいる

この時空は普段私が肉体を持って生きている場

外へ出る、移動するというのは、時空ではない場を想定して言っているのだろう

その、我々が生きている場ではない場は、どのようなものなのか

肉体的には生きていない場は、死者の場と言ってもいいのだろうか

そちらの場から考えれば、私たちがその中に「入る」と表現できる

外から眺める時と、中にいる時とでは、状況はまったく異なっているのではないだろうか

変な例えだが、お風呂を外から見ている時と、入っている時では、私自身が違っているのである

その中にいる時の私は、どんな状態なのだろう?


なんだか…哲学って、幾何学とか、数学に似ている

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