玉突きで突かれた玉がある
この玉は
その運動を、
どのように次の玉に伝えるか
↑
観察する私
この時点では
観察される事象の経過に対し、
私は何の影響も及ぼさない状況に留まっている
ケース1
私が観察者のままである場合
第二の玉の運動について
私が何か言えるのは、
実際に第2の玉の運動が始まってから
ケース2
はじめの観察内容について
私が反省し始めた場合
私の反省は
事象についての概念を形成する
↓
弾性を持った玉の概念
力学上の概念
✖︎
この場の特別な状況
(概念が形成されると、次の玉の動きを予測することが出来る)
ケース1では、私に関係なく事象が進行
ケース2では、起きた事象に対し私自身が概念的次元で行為者となり、対応する概念を形成するという、第二の事象を付加
🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾
概念的次元での概念形成という事象が起きるか起きないかは、私に依存している
私が
概念を形成する欲求を持たない場合
概念は形成されない
欲求を持つ場合、
私は
玉、弾性、運動、衝突等の諸概念と
観察結果とを
一定の関係におかれるような何らかの結合にもたらすまで安心出来ない
事象は私無しに起こる
vs
概念的過程は、
私の関与無しには起こり得ない
hasutama
これを、こんなに丁寧に(しつこく)言ってどうしようというのか?!
しかし、これがシュタイナーである^_^;
この過程を、私自身も楽しまなくては
舞台は物質世界と概念的次元の世界にまたがっている
事象が起きる
↓
観察する
↓
観察結果に概念を形成したい欲求が発動する
↓
概念的次元で概念を形成する
↓
概念を世界に公開
玉の動きを予測
それぞれが一体どこで行われているのか
私がどの程度関わっているのか
そこに注目すべきなのだろう
赤は物質界での現象として認められる、公開バージョンな事象
観察は肉体の感覚が行なうので感覚界でピンクとしてみた
行為者は私だが、感覚器としての私
概念形成の欲求の発動は、一体どこで起きるのかよくわからない
それは私によるものなのか
それについては本の中でもまだ?にいておいて、あとで論じるらしいのでとりあえず紫
概念形成は概念的次元の青
行為者は私(自我である私?)
概念が形成し終われば、概念を言葉として物質界に差し出すことができるので赤
現象、観察、反省、概念形成、概念を言葉にする
物質界、感覚界、概念的次元を行き来してるイメージを持つと面白いなー
私は一人だけど、シュタイナーがよく言う私の物質界の体、アストラル界の体、霊界の体、のイメージも浮かぶ
確かに、こんな小さな、一瞬の経過の中でも、私が私の中で中心を移動させるというか、私が、まるでダンテの神曲の中で色々な界を旅するように移動しているのかもしれないというイメージがはっきりする
それと、この繰り返されている、
私の関与vs非関与
事象vs概念的過程
これは二章?で気になった、観察と思考の対立という言い方にも共通する、シュタイナーがすごくこだわりを持っている部分
なんかイメージできてくる感じ
おわり
この玉は
その運動を、
どのように次の玉に伝えるか
↑
観察する私
この時点では
観察される事象の経過に対し、
私は何の影響も及ぼさない状況に留まっている
ケース1
私が観察者のままである場合
第二の玉の運動について
私が何か言えるのは、
実際に第2の玉の運動が始まってから
ケース2
はじめの観察内容について
私が反省し始めた場合
私の反省は
事象についての概念を形成する
↓
弾性を持った玉の概念
力学上の概念
✖︎
この場の特別な状況
(概念が形成されると、次の玉の動きを予測することが出来る)
ケース1では、私に関係なく事象が進行
ケース2では、起きた事象に対し私自身が概念的次元で行為者となり、対応する概念を形成するという、第二の事象を付加
🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾🌾
概念的次元での概念形成という事象が起きるか起きないかは、私に依存している
私が
概念を形成する欲求を持たない場合
概念は形成されない
欲求を持つ場合、
私は
玉、弾性、運動、衝突等の諸概念と
観察結果とを
一定の関係におかれるような何らかの結合にもたらすまで安心出来ない
事象は私無しに起こる
vs
概念的過程は、
私の関与無しには起こり得ない
hasutama
これを、こんなに丁寧に(しつこく)言ってどうしようというのか?!
しかし、これがシュタイナーである^_^;
この過程を、私自身も楽しまなくては
舞台は物質世界と概念的次元の世界にまたがっている
事象が起きる
↓
観察する
↓
観察結果に概念を形成したい欲求が発動する
↓
概念的次元で概念を形成する
↓
概念を世界に公開
玉の動きを予測
それぞれが一体どこで行われているのか
私がどの程度関わっているのか
そこに注目すべきなのだろう
赤は物質界での現象として認められる、公開バージョンな事象
観察は肉体の感覚が行なうので感覚界でピンクとしてみた
行為者は私だが、感覚器としての私
概念形成の欲求の発動は、一体どこで起きるのかよくわからない
それは私によるものなのか
それについては本の中でもまだ?にいておいて、あとで論じるらしいのでとりあえず紫
概念形成は概念的次元の青
行為者は私(自我である私?)
概念が形成し終われば、概念を言葉として物質界に差し出すことができるので赤
現象、観察、反省、概念形成、概念を言葉にする
物質界、感覚界、概念的次元を行き来してるイメージを持つと面白いなー
私は一人だけど、シュタイナーがよく言う私の物質界の体、アストラル界の体、霊界の体、のイメージも浮かぶ
確かに、こんな小さな、一瞬の経過の中でも、私が私の中で中心を移動させるというか、私が、まるでダンテの神曲の中で色々な界を旅するように移動しているのかもしれないというイメージがはっきりする
それと、この繰り返されている、
私の関与vs非関与
事象vs概念的過程
これは二章?で気になった、観察と思考の対立という言い方にも共通する、シュタイナーがすごくこだわりを持っている部分
なんかイメージできてくる感じ
おわり
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