◆草創期の偵察中隊
現用装備に置き換えるならば、というところで偵察中隊の編成を見てみます。
軽装甲機動車/半tトラック28両・高機動車/1t班トラック5両・96式装輪装甲車4両・10式戦車/機動戦闘車戦車7両・81mm迫撃砲4門、この装備でも一方面の独立した小規模な戦闘は展開できる、ということになりますので、仮に自衛隊が人件費の観点から人員を縮小する場合には、戦車と装甲車両の増勢を代案として行う、これは選択肢として検討すべきやもしれません。
偵察中隊は156名と小所帯であっても独立した戦闘が展開し得る,偵察中隊凄いじゃないか、という視点にまとまりかけたところを水を差すようで恐縮ではあるのですが、問題点はあります。戦車の不足で防衛大綱下の戦車定数300では、と思い浮かべる方がいるやもしれませんが、勿論それは一つ挙げられるのですのですけれど、他に重要な点があります。
それは戦車小隊という戦車部隊の最小単位をあまり考慮せず、編成しているところで、これは他に、自衛隊が管区隊編成時に参考とした米軍歩兵師団が戦車大隊を有していたところにあります。あくまで偵察中隊の戦車は威力偵察のためのものであり戦車部隊と遭遇した際には後方から戦車部隊を応援へ呼ぶ、この時点までが偵察中隊の任務だった、ということ。
戦車は偵察中隊では火力支援や威力偵察の火力として用いられていたものであり、厳密には戦車を有していますが戦車部隊として運用していたのではありません。戦車同士の戦闘は回避や自衛戦闘等に限られ、本格的な対機甲戦闘は師団主力の対機甲防御戦闘の範疇にあり、そして師団戦車大隊の任務だった、というもの。
戦車班という、戦車小隊以下で単車ではない戦車部隊が存在していた、というところでしょう。戦車班、小隊を考えますと中隊全体で7両の戦車が装備されていましたので、7両は戦車小隊を組むのではなく戦車班も数が多いため小隊陸曹が指揮を執る、というものでもないのでしょうか。
7両の戦車小隊を3名の小隊陸曹と補佐に補佐代理を立てて指揮、少々考えにくく、文字通り戦車小隊長ではなく偵察小隊長が指揮を執る、というかたちなのでしょう。自衛隊では小銃分隊を小銃班として呼称し、実質的に班は分隊を示すような印象がありますが、戦車班は少々意味が異なるようです。
こうしますと、偵察中隊型の編成、現用装備に置き換えるならば、軽装甲機動車/半tトラック28両・高機動車/1t班トラック5両・96式装輪装甲車4両・10式戦車/機動戦闘車戦車7両・81mm迫撃砲4門、というものを各方面に整備し、これで十分対応できる、という論理には成り得ません。
しかし、偵察中隊に本部機能を強化させ、戦車を保有し独立戦闘を展開可能な戦闘部隊という位置づけでの偵察隊を創設し、それを隊区ごとに広く数個偵察隊を分散配置させ、これら偵察隊の独力戦闘能力において対応できない状況へ、戦車大隊と大型の普通科連隊を組み合わせる戦闘団を一個置き、一種の機械化混成団として編成する、という方策はあり得るでしょう。
北大路機関:はるな
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
現用装備に置き換えるならば、というところで偵察中隊の編成を見てみます。
軽装甲機動車/半tトラック28両・高機動車/1t班トラック5両・96式装輪装甲車4両・10式戦車/機動戦闘車戦車7両・81mm迫撃砲4門、この装備でも一方面の独立した小規模な戦闘は展開できる、ということになりますので、仮に自衛隊が人件費の観点から人員を縮小する場合には、戦車と装甲車両の増勢を代案として行う、これは選択肢として検討すべきやもしれません。
偵察中隊は156名と小所帯であっても独立した戦闘が展開し得る,偵察中隊凄いじゃないか、という視点にまとまりかけたところを水を差すようで恐縮ではあるのですが、問題点はあります。戦車の不足で防衛大綱下の戦車定数300では、と思い浮かべる方がいるやもしれませんが、勿論それは一つ挙げられるのですのですけれど、他に重要な点があります。
それは戦車小隊という戦車部隊の最小単位をあまり考慮せず、編成しているところで、これは他に、自衛隊が管区隊編成時に参考とした米軍歩兵師団が戦車大隊を有していたところにあります。あくまで偵察中隊の戦車は威力偵察のためのものであり戦車部隊と遭遇した際には後方から戦車部隊を応援へ呼ぶ、この時点までが偵察中隊の任務だった、ということ。
戦車は偵察中隊では火力支援や威力偵察の火力として用いられていたものであり、厳密には戦車を有していますが戦車部隊として運用していたのではありません。戦車同士の戦闘は回避や自衛戦闘等に限られ、本格的な対機甲戦闘は師団主力の対機甲防御戦闘の範疇にあり、そして師団戦車大隊の任務だった、というもの。
戦車班という、戦車小隊以下で単車ではない戦車部隊が存在していた、というところでしょう。戦車班、小隊を考えますと中隊全体で7両の戦車が装備されていましたので、7両は戦車小隊を組むのではなく戦車班も数が多いため小隊陸曹が指揮を執る、というものでもないのでしょうか。
7両の戦車小隊を3名の小隊陸曹と補佐に補佐代理を立てて指揮、少々考えにくく、文字通り戦車小隊長ではなく偵察小隊長が指揮を執る、というかたちなのでしょう。自衛隊では小銃分隊を小銃班として呼称し、実質的に班は分隊を示すような印象がありますが、戦車班は少々意味が異なるようです。
こうしますと、偵察中隊型の編成、現用装備に置き換えるならば、軽装甲機動車/半tトラック28両・高機動車/1t班トラック5両・96式装輪装甲車4両・10式戦車/機動戦闘車戦車7両・81mm迫撃砲4門、というものを各方面に整備し、これで十分対応できる、という論理には成り得ません。
しかし、偵察中隊に本部機能を強化させ、戦車を保有し独立戦闘を展開可能な戦闘部隊という位置づけでの偵察隊を創設し、それを隊区ごとに広く数個偵察隊を分散配置させ、これら偵察隊の独力戦闘能力において対応できない状況へ、戦車大隊と大型の普通科連隊を組み合わせる戦闘団を一個置き、一種の機械化混成団として編成する、という方策はあり得るでしょう。
北大路機関:はるな
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