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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【8】過去十年間航空救難成功一件(2019-11-09)

2023-07-30 20:21:39 | 航空自衛隊 装備名鑑
■困難に挑む航空救難
 海上での飛行訓練が基本となっている自衛隊にとって航空救難は万一の際に一刻を争い、しかし過去十年間で一回航空救難に成功しています。これを多いと考えるか考えないか。

 航空救難団の技術を疑う訳ではないのですが日本の自衛隊機事故では過去10年の救命率が低いのです。そんな中でU-125救難機を廃止しようとしている。その分、UH-60Jを増強するとかMV-22のような高速の救難機を入れるでもなく、純減させるという話です。

 U-125廃止反対にこだわるのは、自衛隊の航空機事故救命率が顕著に下がっている為なのです、過去十年、墜落による航空機事故で救命された事例が九州沖でのF-2戦闘機墜落事故一件だけ、これ以外は基本的に殉職しているという現実があるためです。

 海上での墜落事故が多いため。日本がもし、ヨーロッパの一部であったり中国大陸上空での訓練が可能であるほど日中関係がよかったり、もしくは日本列島がオーストラリアやアメリカくらい国土が広ければ、陸上で飛行訓練ができるのでしょうけれども。

 2012年4月15日陸奥湾SH-60J哨戒ヘリコプター墜落事故では死者1名、練習艦隊見送り中の護衛艦へ接触して墜落した事故です。2015年2月12日えびの市OH-6DA練習ヘリコプター墜落事故、山に激突し死者4名、墜落は1107時で機体発見は翌日0918時だ。

 救命が成功した事故は、一応防衛省は不時着に区分していますが2015年2月17日の和歌山沖OH-1観測ヘリコプター不時着事故で、海上に不時着したので機体は水没しています。もっとも、航空救難ではなく脱出した乗員2名は自力で海岸まで泳ぎ着いたという。

 US-2救難飛行艇も不時着事故を起こしているが、乗員は無事でした。2015年4月28日に足摺岬沖40kmでフロート破損により海面に機体がたたきつけられ破損、これは救難に成功している。しかし救助したのは救難ヘリコプターでなく近くを航行していたタンカーだ。

 飛行点検隊U-125鹿屋市墜落事故、乗員全員が死亡した痛ましい2016年4月6日の事故ですが、機体がレーダー上から消えたのは1435時、おおまかな墜落位置がわかっていたのですが機体発見は翌日0630時とやはり時間を要しています。全員死亡の事故は続く。

 北海道LR-2連絡偵察機墜落事故、2017年5月15日に発生した救急搬送任務中の陸上自衛隊機墜落事故も機体発見は事故翌日となり登場した4名全員が死亡しました。同年8月26日には護衛艦せとぎり艦載機SH-60Jが竜飛岬沖で墜落し乗員4名の内3名が死亡した。

 2017年は事故の多い年でして、10月17日には浜松救難隊のUH-60Jが遠州灘で墜落し乗員2名が死亡するとともに1名は未だ見つかっていません。もう一つ、2018年2月5日には佐賀県の住宅地にAH-64D戦闘ヘリコプターが墜落、乗員は脱出ができませんでした。

 ブルーインパルスが2014年1月29日に松島湾上空で接触事故を起こしていますが、このときは墜落していないので死者はでていません、救命率の観点に立つならば航空機事故でも落ちなければ死者は出ないのですが、これはまあ、当たり前と言えば当たり前か。

 ファントムが2017年10月17日に百里基地の誘導路で脚が折れて火災事故に見舞われていますが離陸前であったために乗員は脱出し無事でした、UH-1横転やCH-101横転など、これも飛行場での離陸前の事故ですと救命率は高くなるのですが、これも当たり前やも。

 F-2B山口沖墜落事故、航空救難が成功したのは過去10年間でこれくらいしか思い浮かびません、事故は2019年2月19日に発生、築城基地を離陸したF-2Bが山口沖で墜落し、レーダーから機影が消えたことを受け航空救難を発動、洋上で乗員2名を無事救難した。

 F-35戦闘機墜落事故、F-2は救難に成功して一方で航空機事故は一件発生すると続く故に懸念していましたが二ヶ月と経ない2019年4月9日に三沢基地のF-35戦闘機が青森県135km沖合の太平洋に墜落し乗員が死亡、F-35戦闘機では世界初の墜落死亡事故に。

 飛行教導群F-15DJ墜落事故、わたしがU-125が絶対必要だと主張する背景には、もちろん上記の事故すべてを挙げるのですが、筆頭にあげたいのは2022年1月31日の小松基地沖墜落事故で、これは絶対に救命されるものだと思っていたから。しかし現実は厳しく。

 小松沖の事故では群司令が搭乗したF-15DJが離陸し基地から5kmの近距離で墜落、小松救難隊が直ぐ救助するだろうと思いましたが、事故から2時間後に海上で浮遊物を発見するも、肝心のラジオビーコンが水没し機体発見が事故から12日後だった、遅くはないか。

 U-125救難機の廃止理由は墜落事故が発生してもラジオビーコンロケータにより機体の位置は把握できるために必要ない、という説明でしたので、いや作動しなかったじゃないか、司令が殉職しているんだぞ、と大声で反論するのです、嘘いうんじゃない、と。

 ラジオビーコンで、たとえば海中100m程度ならば衛星に発信できるようなものを開発すべきとは思うのですが海中は電波が通りません、ニュートリノ発信器のようなものは理論としてはあるようですが現実的に今の技術ではまだSF世界の理論だという。

 第8師団長遭難事故、もう一つラジオビーコンへの不信感があるのは今年4月6日に発生した宮古島UH-60JA墜落事故で、搭乗者10名全員が死亡、遭難した師団長は中将にあたる陸将ですので、沖縄戦の牛島第32軍司令官や在日米軍司令官の同格だ。

 航空救難が早ければ救命できた事例はないのか、御巣鷹山の日航ジャンボ墜落事故での生存者救出というものを知っている世代ですので、山の尾根に激突したり、また海上で発見された遺体という状況であてもいち早く発見していれば救命できたのではないか。

 御巣鷹山のジャンボ墜落事故では生存者4名、夜間の墜落事故でしたが機体の発見がもう少しは焼ければ生存者がもう少し多かった、と証言がある。いや、当時のV-107救難ヘリコプターやMU-2捜索救難機は夜間山間部での飛行能力がなかった事情があります。

 日航ジャンボ機墜落事故があったからこそV-107救難ヘリコプターの後継機に夜間での山間部飛行能力を持つUH-60J救難ヘリコプターが採用されたという実状もありますので、日本は1980年代には教訓を活かしていた。しかし今はどうなのか。人命は軽量化したか。

 ゲルショッカーではないのです、自衛隊は。失敗したものは生きている価値がないとゲルショッカーは掟を書いていましたが、自衛隊はショッカーじゃないのですから、航空救難は重視されるべきですし、実際MU-2が多数合った時代は海上救命率も高かった。

 救命率の観点から言うのは、とにかく墜落事故で過去十年間、2019年のF-2墜落事故以外は、基地で離陸前とかヘリコプターのホバーリングや不時着でなければ殉職事故となっている、救命できていないという事例とラジオビーコンの不作動ばかり。現実をみよう。

 CH-47輸送ヘリコプターは航空救難団所属ですので、例えばU-125と同じ数だけこれを増強して、アメリカ軍のMH-47Gのように救難任務に充てるとかも考えず、しかもUH-60Jは新造機で置換え当面改良型は来ない、これでは人命軽視というほかありません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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