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【日曜特集】第4施設団52周年大久保駐屯地祭【4】訓練展示模擬戦状況開始(2013-05-26)

2017-10-01 20:09:11 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■大久保駐屯地祭戦闘訓練展示
 大久保駐屯地祭、観閲行進が完了し、いよいよ訓練展示模擬戦の状況開始となりました。

 第3施設大隊は大隊本部及び本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、以上3個施設中隊を基幹とした編成です。3個の施設中隊は平時には大隊長以下訓練に当たり、師団全体での任務へ備えますが、連隊戦闘団編成時には各中隊を戦闘団へ派遣する事となる。

 大隊の歴史は師団よりも長く1951年6月1日に第3管区隊施設大隊として香川県善通寺にて新編となりました。第3管区隊は現在の第3師団ですが、管区隊の司令部中枢を第三管区総監部としており、方面隊と師団の過渡期における編成の一つという表現も当て嵌まる。

 第3管区隊はここ大久保駐屯地に程近い宇治市内へ、総監部を置くこととなりましたが、大久保駐屯地へそのまま方面総監部を置く当初案に対し、京阪神地区からの距離が大きいとして旧軍用地で米軍管理用地、返還予定があり民間売却前の場所を探す事になりました。

 伊丹市に師団司令部と方面総監部が置かれている現状は、伊丹空港、大阪国際空港として関西国際空港開港まで西日本の玄関口であった立地上当然のようにも思えるのですが、実のところ伊丹空港は朝鮮戦争にいて米軍基地として拡張された空港であり、元々は小さい。

 大阪第一空港として大阪空の玄関との重責に当ったのは八尾市の八尾空港、現在中部方面航空隊と隷下の方面ヘリコプター隊や第3飛行隊が駐屯しています八尾駐屯地のほうでした。この為、伊丹市は当時まだ過疎でしたが、1952年に自衛隊駐屯地が二つ新設されます。

 千僧駐屯地と伊丹駐屯地が新設された1952年、第3施設大隊は千僧駐屯地に移駐します。なお、第3管区隊が第3師団へ改編されるのは1962年、実に十年間管区隊施設大隊という位置づけにて訓練を重ねた事になります。施設大隊の大久保移駐は、もう少し先のこと。

 大久保駐屯地移駐は1994年で、千僧駐屯地から遠く移駐しました。この大久保駐屯地へ移駐は同年に第3師団隷下の大久保第45普通科連隊が師団改編により廃止されたことを受けてのものです。そして1994年までは第3施設大隊には隷下に4個施設中隊がありました。

 第45普通科連隊が師団改編により廃止、これにより第3師団隷下部隊が大久保駐屯地から全て無くなるという状況を前に、第3施設大隊を移駐させ、奈良県の防衛警備及び災害派遣への即応体制を維持する、こうした配慮が、第3施設大隊の移駐にはあった訳ですね。

 奈良県の防衛警備及び災害派遣に当たる第45普通科連隊の廃止ですが、実は現在、奈良県は全国で唯一陸上自衛隊の駐屯地や分屯地が無い都道府県として大規模災害時の自衛隊拠点がない実情から懸念があり、政府へ陸上自衛隊駐屯地新設の嘆願を出し続けています。

 第45普通科連隊がそのまま廃止されず大久保駐屯地に残っていたのならば、そのまま奈良県内へ移駐する事も出来たかもしれません。なお、奈良県内には陸上自衛隊駐屯地はありませんが、航空自衛隊幹部候補生学校の置かれる航空自衛隊奈良基地が展開しています。

 第3施設大隊の主要装備は、81式自走架橋柱、道路障害作業車、70式地雷原爆破装置、中型ドーザ、大型ドーザ、グレーダ、掩体掘削機、資材運搬車、バケットローダ、トラッククレーン、軽徒橋、など。この他、近接戦闘用の小銃や機関銃、個人対戦車弾等もある。

 75式装甲ドーザや92式地雷原処理車等戦闘工兵装備はかつて師団施設大隊にも配備され、師団祭の観閲行進では勇壮な姿を見せていましたが、現在は方面施設へ移管されています。そして、師団施設は戦闘工兵大隊でありながら、戦闘車両が不充分という現状があります。

 装甲ドーザ一つとっても75式装甲ドーザがかつて師団施設へ一定数配備されていたのに対し、後継車両となる施設作業車の生産が全く足りておらず、結果的に師団施設から残る75式装甲ドーザを方面施設へ集約し、集中運用の方面隊から必要に応じ派出する方策へ。

 75式装甲ドーザは130両ほどが生産され、全国の師団施設大隊等へ配備された車両です。しかし後継となる施設作業車は、本州では施設学校の施設教導隊や富士教導団教育支援施設隊等に配備されるのみ、北部方面隊の師団施設や旅団施設等に若干数の配備をみるのみ。

 陸上自衛隊は一時期閉所戦闘としまして違い地での近接戦闘能力を重点的に構築する試みが為されていました、2000年代に入り戦車部隊減勢という防衛大綱を受けての野戦から市街戦へ、普通科部隊重視と市街地戦闘への転換を苦肉の策であったように思えるのですが。

 普通科重視市街戦訓練重視、という施策を採った時点で、実は市街地戦闘では戦闘工兵車両が多数配備されていなければ全く展開できないという実情をもう少し予算面に反映させる努力を行うべきでした。専門器材を欠き市街戦を行う事は大量の要員が必要となります。

 例えば大阪駅前の超高層ビルを見上げまして、あの一室に敵部隊が対戦車ミサイルを配置しているとして、一部屋一部屋掃討する事を考えてみますと市街地戦闘の難しさが垣間見えるものです。大阪駅前のビルでなくとも京都四条の大通りに面するビルの一室でもよい。

 市街地戦闘の専門性ですが、例えば道路に面するビル一つでも梱包爆薬により倒壊させ障害物として用いられた場合には装甲ドーザにより除去しなければ通常のドーザでは障害を見渡す特火点から狙撃により大損害を被りかねません、都合多数装甲ドーザが必要となる。

 戦車に排土板を取り付けて代用とする事は可能です。特に戦車は充分な防御に加えて戦車砲と重機関銃を搭載していますので市街地戦闘では必須の装備です。ロシア軍は1996年にチェチェン紛争首都グロズヌイ攻略戦にて戦車単体で突入させ大損害を被りましたが、ね。

 イスラエル軍は2008年の南レバノン侵攻に際してメルカヴァMk4主力戦車にD7大型装甲ドーザを連携させ、市街地戦闘に威力を発揮しました。ただ、戦車砲の仰角には制約が多く戦車砲だけに依存すれば上層階からの攻撃に脆弱性が大きい為、重機関銃は必須です。

 市街地と森林は兵を呑む、として本来は市街地戦闘と森林戦闘は徹底して回避する事が戦術上の一つの趨勢となっていました。これは森林地帯や市街地に分隊単位で分散し籠った敵部隊を掃討しようとすれば際限ない程の歩兵部隊が必要となる、というためのもの。

 それでは市街地に敵部隊が立て籠もった場合は打つ手なしなのか、と問われれば、基本的に立て籠もった部隊は転進出来ず問題ありません。市街地を奪還する場合は、徹底した砲爆撃を加えれば民生被害が大き過ぎ、故に一方向を残し包囲態勢を取って撤退を強要する。

 この状況を一転させたのは、指揮系統が不明確である非対称型の戦い、テロやゲリラコマンドーによる市街地戦闘へ軍隊が正面から挑む必要が出た為です。純粋に軍事的な行動でなく攪乱等目的とした勢力へ法執行機関では対応できぬ状況へ軍事力が必要とされました。

 戦闘工兵車両には、75式装甲ドーザや92式地雷原処理車等専用車両も挙げられますが米軍のM-1132ストライカーESV工兵戦闘車のような車両を96式装輪装甲車派生として開発、HMEE機動工兵車のような硬い建機型の車両も必要となり、現状の改善が求められます。

北大路機関:はるな くらま
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