北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】富士学校開校70周年富士駐屯地祭(3)89式装甲戦闘車の観閲行進(2024-07-21)

2024-10-06 20:23:18 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■富校祭観閲行進
 富士学校祭が観閲行進へと力強いディーゼル音とともに装甲車両が次々と集まってまいりました。

 89式装甲戦闘車の観閲行進、普通科部隊の代表する、という割には配備された数が少なかったのですが、一番見栄えする装備です。ただ、戦車部隊からしますと普通科部隊の近接戦闘能力を期待するために、ミサイルや機関砲は余分なようにも見えるとも。

 FVの愛称ですが、世界に例えばCV-90のような装甲戦闘車が、これなんかは欧州共通装甲戦闘車と呼ばれている、数が揃いますと運用も確立しまして、大口径機関砲は調整散弾を用いて下車戦闘を直前まで敵陣地を制圧し肉薄、50m以内で下車戦闘を開始する。

 35mm機関砲が鋭い、この機関砲もラインメタル社が調整散弾を開発していますが、敵陣地直前まで肉薄できる機関砲を備えることで下車戦闘の時間を短縮し、敵陣地を制圧すると再度乗車し、戦車部隊の機動打撃に復帰できるという、機動戦に必須の装備となる。

 軽装甲機動車の第2中隊、乗車戦闘を第一に開発された経緯があるのですが、蓋を開けてみると下車戦闘を重視する普通科部隊にあっては一個班を二両に分ける本装備は操縦手と車長が4名も必要な装備となってしまい、全員下車し施錠、という妙な運用が確立して。

 高機動車を装備する第3中隊、この装備の配備開始は1992年ですので、そろそろ後継装備が、いや製造は継続されていますので高機動車を高機動車で置き換えているのですが、装甲防護の無い近接戦闘部隊は悲惨なことになる故、輸送防護車、機動防護車が必要だ。

 96式装輪装甲車を駆使する第4中隊、いろいろいわれる装甲車ですが、性能の割には安価ですので成功した装備だと思う、最終的に量産価格は9600万円まで下がり、いまの為替レートではストライカー装甲車の半額程度、という。この種の車両は数こそ重要です。

 WAPCの愛称、装輪装甲車の代名詞となっているのですが、改良型の開発が難渋した。要求仕様が無理していたようで、例えば天井部を15cmほどかさ上げするとか、後部を50cmほど延長して基本設計をそのままとして、乗車定員を減らしていれば、と思うのだ。

 小松製作所の装甲車、結局この改良型の要求仕様が不明確であったために開発された試作車両が不採用となり、仕様書に無い性能が不足したと言われた小松上層部は激怒し、結果的に防衛産業から撤退することとなった。後継はその五倍以上高価な装甲車へ。

 重迫撃砲中隊、1992年から配備開始され、これも500門以上を導入しているので開発したフランスのトムソン社、いまはネクスターか、その関係者が驚いたという。自分の火力支援は自分で行う必要があるとして、特科火砲に匹敵する普通科の装備です。

 82式指揮通信車を先頭に特科教導隊、さて普通科教導連隊の観閲行進は完了しまして、今度は特科教導隊です。今後は火砲からミサイルの時代となり、火砲は射程がせいぜい40km50kmですが、ミサイルの射程は2500kmとかいうすごい専守防衛の時代となる。

 FH-70榴弾砲、479門ライセンス生産されたのですが、かなり退役してしまった。結局砲弾はかなり撃っているものの、腔圧を抑えた近距離射撃ばかりやってきましたので砲身命数は十分残っているはずで、これを廃棄後溶かさずに予備保管していればなあ。

 第1中隊のFH-70、陸上自衛隊の主力火砲であるFH-70はイギリスとドイツとイタリアの共同開発、欧州ではほとんど廃止されてイタリア軍が運用、ドイツ軍も若干数維持していたか、しかしウクライナへ供与され意外な高性能で重宝されているという火砲です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都発幕間旅情】W-7系新幹線電車,北陸新幹線敦賀延伸半年と期待される大阪延伸

2024-10-06 20:00:41 | コラム
■W-7系とE-7系
 先月新幹線を撮影して参りました。東海道新幹線の70周年というところですが延伸から半年を迎えた北陸新幹線へ。

 E-7をとってきた。こう表現しますとウェッジテイルかピースアイか、オーストラリア空軍なのかいうイギリス軍が来たのか韓国空軍かもしかしてトルコ空軍か、とおもわれるでしょうが、そうではなくE-7系電車、敦賀へ伸びた北陸新幹線の話題です。

 北陸新幹線、敦賀開通後にはなかなか撮影の機会がありませんでしたので今回が初めて。思い返すと北陸新幹線に乗った回数は案外ある、長野を移動する際にはこのE-7はけっこう利用しているのです、高崎が起点ですので、群馬に行く際にも利用する。

 金沢駅から敦賀駅への延伸は2024年3月16日、約三ヶ月前の能登半島地震が冷や水を浴びせてきましたが、東京から金沢までの北陸新幹線、敦賀延長により、北陸へ行く新幹線から北陸を走る新幹線へと、大きく飛躍した瞬間、といえるのかもしれません。

 敦賀延伸によりその距離は470kmとなりまして、これ、新大阪と東京の間が493kmなのですからもう高崎からの距離はけっこう整備したのだなあ、という印象です。けれども新潟県に大きく迂回する北陸新幹線はそれだけ遠回りし、時間もかかるということ。

 東海道新幹線の代替経路として。北陸新幹線に期待されるのは基本的に太平洋岸を通らないという経路ですので、台風や地震と津波などで東海道新幹線が運行できないときにはこの路線の重要度が増す、ということです。だから速く大阪まで開通してほしい。

 W-7系電車がJR西日本の運用でE-7系電車がJR東日本の運行という。2015年にブルーリボン賞を受賞した電車です。個人的に車体番号を見るいがいにW-7とE-7の識別点というものがなにかないのか、と探しているところなのだけれども。なにか個性があるといい。

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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-名古屋,名駅は名駅地下グルメ街で頂く美味しい中トロとマグロ丼

2024-10-06 18:23:30 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 マグロ、ご期待ください。物価高というより乱獲が続いたのと資源保護の成果が生まれたが燃料費など物価高とで値段が右往左往しています。

 名駅、小牧基地に守山駐屯地に春日井駐屯地や豊川駐屯地、自衛隊行事の際に中継点として利用する場合を挙げただけでもこれだけのはばとなるのがJR名古屋駅、ここには名鉄名古屋駅と近鉄名古屋駅も乗り入れていますし、地下鉄とあおなみ線もある。

 まぐろ小屋、名駅のグルメ街はお手頃でしか氏ここでしかなかなか味わえないような逸品が並んでいまして、このなかでもう二十年ほど、毎回、まぐろといえばここだよなあ、というほどに名古屋に行く理由の一つになっているような感じのお店が。

 マグロの中落ち刺身、これにブラックニッカハイボールをあわせて頂く。店先に行列さえ出来ていなければ、時間が無いときもこの二品だけは何が何でも時間の空きを見つけてちょっと頂く。まず甘み、中トロというにはそれ以上の、マグロの甘み。

 赤身が連想されるマグロといえば酸味ではないのか、という方がいるのかもしれませんが、甘みだ、それも甘いものの甘みでは無く、マグロの甘み、そして筋張ったところの独特の食感と筋に近いところの微妙な味わいの違いが旨味として時間差で来る。

 醤油を垂らして、こればかりはシオで云々とかいう変な味わいでは無く王道のマグロの食べ方を、お店原潜の溜まり醤油にわさびをちょこっとだけ解かして、すっとマグロをくぐらせて一口、うまい、確かに中トロだ。そこにハイボールをひとくち、いい。

 マグロ丼を〆に。値上がりはしたが、まだお手頃だ。どこもかしこもインフレにオーバーツーリズムにロシアウクライナ戦争の影響と大阪万博の建設遅れやモリカケ問題といろんな理由を掛けて値上げ値上げの大ブームとはなっている中で安値を保っていて。

 ダブルマグロ丼という、これ前に紹介しましたか、マグロ丼の下にもう一つマグロ丼が仕込んである隠しマグロ丼があるのですが、もうそういう大盛りも最近はたべていないなあ、昔と違って、大盛りよりも品数を増やして時間の満足度を選んでしまう。

 寿司飯のうえに並んだマグロが、旨い。やはり中落ちのあとは赤身が醸す酸味の利いたマグロ丼だよなあ、と、しかしゆっくりと味わうよりも搔っ込むような丼の頂き方を。〆なのだけれども、上の赤身だけでもう一杯やれそうな、と時計と相談する。

 鮪小屋本店、昔初めて探訪したのは隣にホビーショップがあって安売りをしていた際に偶然見つけて立ち寄っただけなのだけれども、ホビーショップはなくなってしまったが、鮪小屋は健在だ。今度はタタキとか、鮪の唐揚げも並べてお酒をもっと愉しもう。

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【映画講評】Flight from Ashiya-あしやからの飛行(1964)That others may live他を生かすために

2024-10-06 07:01:44 | 映画
■本日は芦屋航空祭
 芦屋航空祭が行われる本日ですので芦屋基地が舞台の映画の話題などをひとつ。That others may live、映画はこの“他を生かすために”という部隊マークから始まる。

 あしやからの飛行-Flight from Ashiya1964アメリカ映画。本日、芦屋基地航空祭が開催されます。航空自衛隊を描いた映画作品は数多いのですが、こちらは在日アメリカ軍の航空救難部隊を主役とした映画作品です。芦屋基地航空祭に行こうという方も来年にしておこうかなという方も、ちょっとお勧めの映画です。昔の芦屋の街並みも描かれて。

 US-2飛行艇を筆頭に、いまでこそ航空救難といえば航空自衛隊と海上自衛隊の十八番ではあるのですが、その創設は1961年、自衛隊発足よりかなり後だ。例えば1959年伊勢湾台風はヘリコプターが災害派遣された最初の大災害でしたが、当時自衛隊ヘリコプターは準備隊や実験隊をかき集め派遣した状況、実任務はアメリカ軍頼りとしていた。

 UAユナイテッドアーティスツ社が日本の大映と共同制作した日米合作映画で、リチャードウィドマークにユルブリンナーといった西部劇やアクション映画の名優を軸に、航空自衛隊芦屋基地と、返還前のアメリカ空軍立川基地など、在日米軍の全面協力で撮影され、S-55ヘリコプターなど特撮映像とともに航空救難の厳しさと勇気を描いている。

 映画の流れは簡単です、グラマンHU-16アルバトロス飛行艇を駆使する航空救難部隊が芦屋基地を起点に任務にあたっており、しかし映画冒頭の任務は日本の貨客船がフィリピン沖を暴風下で航行中に大破沈没、生存者救出に夜間を暴風の中に出動要請を受けるという、今の視点で見ても結構難易度の高い任務を任されるのです。ほかに救助の手段はない。

 厳しい波浪と気象条件での海上救助、しかし登場人物には一人ひとり難しい過去を背負っているという展開で。日本が舞台の作品ですが、なにしろ1960年代の作品で米軍士官には第二次大戦の経験、厳しい経験を残すものも多く日系二世の救難員と救難機操縦士の確執というようなものも描かれる。救難員が着水前に落下傘降下するのは今と同じ。

 HU-16アルバトロス飛行艇のクルーは日本分員の前に欧州でS-55救難ヘリコプターの航空部隊に所属していたのですが、機体の性能の限界が一刻を争う事態に対応する性能の限界を超えていて、掬えたかもしれない命が大量に目の前で失われるという苦しい経験を積んでいて、その後に芦屋基地へ機種転換の上で着任する、という。

 S-55ヘリコプターの難しさは昔HSS-2ヘリコプターを飛ばしていた航空隊司令の方に、先輩から聞いたという話をお聞かせいただいたことがあり、ほんとうに純粋な機械を微調整が操縦士の経験と技術で支えられているという、HSS-2のような簡単に飛ばせる機材とは違うといわれたという。SH-60J操縦士の方がHSS-2を同じように表現するが。

 HU-16アルバトロス飛行艇は、外洋発着能力を有する飛行艇なのですが、当然波浪のある海域に着水するには今の新明和US-2飛行艇とはけた違いの危険性とともに機長の判断が求められるところで、要救助者が目の前に居るが、着水して機体は大丈夫なのか、自らが死んでは任務遂行は出来ない、という究極の判断を迫られる描写があります。

 映画ではこうした中で、目の前の想定外が連続する中で、一人一人が過去の苦い経験や悲しい出来事を思い出す回想シーンを挟んで、思い切った決断に臨み、また声明を左右する状況にまた過去の、という場面の転換を挟んで救難任務に臨みます。これ、見方によっては場面転換が急すぎてついていけない方もでてくるのかもしれないのだけれども。

 常総市鬼怒川水害と能登半島豪雨のヘリコプターによる救難、有名テレビキャスターが遭難した太平洋横断ヨット遭難事故のUS-2飛行艇による救難、航空救難を描いた作品は日本では“よみがえる空”がテレビアニメーションや実写映画で有名となりましたけれども、このほかには意外に少なく、実機を用いた丁寧な描写の本作は貴重といえましょう。

 芦屋基地航空祭では、芦屋救難隊の救難飛行展示も予定されていますが、航空救難の難しさと一瞬の判断が本当に多くの生命を左右するという重圧、充分では無い器材の性能と数に求められる勇気など、お勧めの映画です。また実機も多数が登場するのですが、特撮は大映が後にガメラを創る原動力になったという、意外な副次効果もあるのです。

 HU-16アルバトロス飛行艇、なおこの助演というべきHU-16アルバトロス飛行艇は海上自衛隊にも供与され大村航空隊で運用されていまして、戦時中に二式大型飛行艇を製造した川西飛行機の後身である新明和工業が、いまのUS-2救難飛行艇に繋がるPS-1対潜飛行艇を設計したという歴史もありますので、そういった意味でもお勧めしたい。

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