■富校祭観閲行進
富士学校祭が観閲行進へと力強いディーゼル音とともに装甲車両が次々と集まってまいりました。
89式装甲戦闘車の観閲行進、普通科部隊の代表する、という割には配備された数が少なかったのですが、一番見栄えする装備です。ただ、戦車部隊からしますと普通科部隊の近接戦闘能力を期待するために、ミサイルや機関砲は余分なようにも見えるとも。
FVの愛称ですが、世界に例えばCV-90のような装甲戦闘車が、これなんかは欧州共通装甲戦闘車と呼ばれている、数が揃いますと運用も確立しまして、大口径機関砲は調整散弾を用いて下車戦闘を直前まで敵陣地を制圧し肉薄、50m以内で下車戦闘を開始する。
35mm機関砲が鋭い、この機関砲もラインメタル社が調整散弾を開発していますが、敵陣地直前まで肉薄できる機関砲を備えることで下車戦闘の時間を短縮し、敵陣地を制圧すると再度乗車し、戦車部隊の機動打撃に復帰できるという、機動戦に必須の装備となる。
軽装甲機動車の第2中隊、乗車戦闘を第一に開発された経緯があるのですが、蓋を開けてみると下車戦闘を重視する普通科部隊にあっては一個班を二両に分ける本装備は操縦手と車長が4名も必要な装備となってしまい、全員下車し施錠、という妙な運用が確立して。
高機動車を装備する第3中隊、この装備の配備開始は1992年ですので、そろそろ後継装備が、いや製造は継続されていますので高機動車を高機動車で置き換えているのですが、装甲防護の無い近接戦闘部隊は悲惨なことになる故、輸送防護車、機動防護車が必要だ。
96式装輪装甲車を駆使する第4中隊、いろいろいわれる装甲車ですが、性能の割には安価ですので成功した装備だと思う、最終的に量産価格は9600万円まで下がり、いまの為替レートではストライカー装甲車の半額程度、という。この種の車両は数こそ重要です。
WAPCの愛称、装輪装甲車の代名詞となっているのですが、改良型の開発が難渋した。要求仕様が無理していたようで、例えば天井部を15cmほどかさ上げするとか、後部を50cmほど延長して基本設計をそのままとして、乗車定員を減らしていれば、と思うのだ。
小松製作所の装甲車、結局この改良型の要求仕様が不明確であったために開発された試作車両が不採用となり、仕様書に無い性能が不足したと言われた小松上層部は激怒し、結果的に防衛産業から撤退することとなった。後継はその五倍以上高価な装甲車へ。
重迫撃砲中隊、1992年から配備開始され、これも500門以上を導入しているので開発したフランスのトムソン社、いまはネクスターか、その関係者が驚いたという。自分の火力支援は自分で行う必要があるとして、特科火砲に匹敵する普通科の装備です。
82式指揮通信車を先頭に特科教導隊、さて普通科教導連隊の観閲行進は完了しまして、今度は特科教導隊です。今後は火砲からミサイルの時代となり、火砲は射程がせいぜい40km50kmですが、ミサイルの射程は2500kmとかいうすごい専守防衛の時代となる。
FH-70榴弾砲、479門ライセンス生産されたのですが、かなり退役してしまった。結局砲弾はかなり撃っているものの、腔圧を抑えた近距離射撃ばかりやってきましたので砲身命数は十分残っているはずで、これを廃棄後溶かさずに予備保管していればなあ。
第1中隊のFH-70、陸上自衛隊の主力火砲であるFH-70はイギリスとドイツとイタリアの共同開発、欧州ではほとんど廃止されてイタリア軍が運用、ドイツ軍も若干数維持していたか、しかしウクライナへ供与され意外な高性能で重宝されているという火砲です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
富士学校祭が観閲行進へと力強いディーゼル音とともに装甲車両が次々と集まってまいりました。
89式装甲戦闘車の観閲行進、普通科部隊の代表する、という割には配備された数が少なかったのですが、一番見栄えする装備です。ただ、戦車部隊からしますと普通科部隊の近接戦闘能力を期待するために、ミサイルや機関砲は余分なようにも見えるとも。
FVの愛称ですが、世界に例えばCV-90のような装甲戦闘車が、これなんかは欧州共通装甲戦闘車と呼ばれている、数が揃いますと運用も確立しまして、大口径機関砲は調整散弾を用いて下車戦闘を直前まで敵陣地を制圧し肉薄、50m以内で下車戦闘を開始する。
35mm機関砲が鋭い、この機関砲もラインメタル社が調整散弾を開発していますが、敵陣地直前まで肉薄できる機関砲を備えることで下車戦闘の時間を短縮し、敵陣地を制圧すると再度乗車し、戦車部隊の機動打撃に復帰できるという、機動戦に必須の装備となる。
軽装甲機動車の第2中隊、乗車戦闘を第一に開発された経緯があるのですが、蓋を開けてみると下車戦闘を重視する普通科部隊にあっては一個班を二両に分ける本装備は操縦手と車長が4名も必要な装備となってしまい、全員下車し施錠、という妙な運用が確立して。
高機動車を装備する第3中隊、この装備の配備開始は1992年ですので、そろそろ後継装備が、いや製造は継続されていますので高機動車を高機動車で置き換えているのですが、装甲防護の無い近接戦闘部隊は悲惨なことになる故、輸送防護車、機動防護車が必要だ。
96式装輪装甲車を駆使する第4中隊、いろいろいわれる装甲車ですが、性能の割には安価ですので成功した装備だと思う、最終的に量産価格は9600万円まで下がり、いまの為替レートではストライカー装甲車の半額程度、という。この種の車両は数こそ重要です。
WAPCの愛称、装輪装甲車の代名詞となっているのですが、改良型の開発が難渋した。要求仕様が無理していたようで、例えば天井部を15cmほどかさ上げするとか、後部を50cmほど延長して基本設計をそのままとして、乗車定員を減らしていれば、と思うのだ。
小松製作所の装甲車、結局この改良型の要求仕様が不明確であったために開発された試作車両が不採用となり、仕様書に無い性能が不足したと言われた小松上層部は激怒し、結果的に防衛産業から撤退することとなった。後継はその五倍以上高価な装甲車へ。
重迫撃砲中隊、1992年から配備開始され、これも500門以上を導入しているので開発したフランスのトムソン社、いまはネクスターか、その関係者が驚いたという。自分の火力支援は自分で行う必要があるとして、特科火砲に匹敵する普通科の装備です。
82式指揮通信車を先頭に特科教導隊、さて普通科教導連隊の観閲行進は完了しまして、今度は特科教導隊です。今後は火砲からミサイルの時代となり、火砲は射程がせいぜい40km50kmですが、ミサイルの射程は2500kmとかいうすごい専守防衛の時代となる。
FH-70榴弾砲、479門ライセンス生産されたのですが、かなり退役してしまった。結局砲弾はかなり撃っているものの、腔圧を抑えた近距離射撃ばかりやってきましたので砲身命数は十分残っているはずで、これを廃棄後溶かさずに予備保管していればなあ。
第1中隊のFH-70、陸上自衛隊の主力火砲であるFH-70はイギリスとドイツとイタリアの共同開発、欧州ではほとんど廃止されてイタリア軍が運用、ドイツ軍も若干数維持していたか、しかしウクライナへ供与され意外な高性能で重宝されているという火砲です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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