=8/19=気分爽快。今日は、現場の各エリアの最終写真を高い脚立から撮影した。高いところから眺める現場は綺麗で楽しい。とは言っても、足場が悪くたくさんの人が補助に入っていただき、楽しんでばかりでなくしっかりとシャッターを押す。地下足袋を履いての姿は、とび職のように軽快に見えて周りの評判も良かった。自画自賛。実は、カメラを持ってないとからっきし高いところが駄目な体質である。小学校3年生の時、空き地でキャッチボールをしていて木から落ちてからだと思う。後ろの草むらに逃したボールを木に登って探していた。気持ち良くて、調子にのり上へ上へ登り、枝に腰掛た時にボキッと折れて地面に落ちた。運の悪く右足の太ももを木に刺し、22針も縫う大怪我を負った。今でも右太ももいっぱいに傷跡が残っている。トラウマになっているとは言え、高いところから見た風景は気分爽快であった。晴
=8/13=金蘭之契 。3:00AM、快適に起床。少し時差ぼけが残るが、みんなが起きてこないうちに残してきた仕事を片付ける。4:00AM過ぎにはひとり、ふたりと「おはようございます」と挨拶を交わす。軽くサンドイッチをおなかの中に入れて、5:00AMには現場に向かう駐車場に集まり身体を解す。わたしたちのフィールドは車で30分ほどのテル・レヘシュというところである。6人のスパーバイザーが担当する6箇所のグリットに、大学の先生を中心に、日本と韓国、イスラエルの学生と地元の労働者、出入りあるが総勢60人程でおこなっている。今日は、集合写真を撮影する。背景はタボール山である。新約聖書によると、イエス キリストが3弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山(タボール山?)に登ると、 「イエスの顔が太陽のように輝き、衣が光のように白く輝いきモーセとエリヤが現れた。」(マタイ17/1)とある。ツルハシとブラシで、何千年もの古代の町を掘り起こしユダヤ、アラブの歴史を探っている素敵な仲間に、拍手。パチパチパチパチ。晴
=8/11=大韓航空。昨日、青森から帰り事務所の引越し。バタバタのなか大忙しでデータ整理に、加えて荷造りをする。台風接近のため中部国際空港近くに泊まる、今日出発して8月31日まで中東イスラエル国にて「聖書発掘調査隊」に参加して撮影作業に従事する。昨年まではエアーフランスでの乗り継ぎであったが、今年からクリスチャンの多い韓国から直行便が出たので、パリで遊ぶのを止めて大韓航空に決めた。中部国際空港からインチョン、ベングリオンと機内ではスチュワーデスの方のあまりにも美しさに座っているのが失礼な気持ちになる。わたしと大韓航空の出会いは23歳の時に遡る。一回目の海外放浪から帰国する際に住んでいたパリから利用した。帰るのが嫌で涙、涙で機内の人になったが、初めて乗った大韓航空機はヨーロッパ便の初フライトでファーストクラス並みのサービスとお土産をいただき、すっかり気持ちはアジアが一番になっていた。その時を思い出しつつ、、、、爆睡。初恋淡想。晴
=8/9=真実一路。函館は、駅前のホテルに宿をとり快適な朝を迎える。昨晩は、楽しみにしていた函館山からの夜景が霧で見えなかった。残念。しかし、駅前の屋台の呑屋街で盛り上がり楽しい夜であった。10:30AM、カトリック元町教会のミサにでる。昨日訪れて、居心地が良く今日のミサを楽しみにしていた。建物は、浅い緑のとがった塔や風見鶏のあるゴシック様式。聖堂内部の祭壇はローマ法王ベネディクト15世より贈られた日本で唯一のもの、これが素晴らしい。高い天井に賛美歌が美しく響くなか、粛々とミサは進み落ち着いた時間をいただく。こちらで聞いた話であるが、昔キリシタン弾圧をさけて本州から函館に逃れてきた人が200名程いたそうだ。最初は松前藩の保護の下に生活していたが、中央の命令で20名程が殉教したとのことである。時、原子力爆弾が長崎に投下された日に、教会で世界平和を祈り、誓う。晴
=8/8=津軽海峡。今日は、列車にて津軽海峡を渡り函館に向かう。中学校の時、初めて北海道を放浪した。当時は、上野から八甲田51号で青森、駅のホームを歩いて連絡船乗場に、4時間かけて海峡を渡り函館に着いた。それから高校時代まで、冬限定の6割引の周遊券を使って5回ほど旅した。成人してからは、飛行機で仕事やプライベートで何度となく北海道に渡った。しかし、いちども青函連絡トンネルを使って渡ったことがなく、今回初めて列車で試みた。ワクワクするも、海中で魚が見えるわけではなく、地下中を走っていて真っ暗で感激はなかった。残念。先ず、函館では路面電車に乗って五稜郭に向かう。幕末の時代、土方歳三はどんなおもいで津軽海峡を渡ったのだろうかと、タワーの上から眺める。感慨無量。晴
=8/7=尽未来際。昨日の跳ねた量は半端でなかったが、足腰は至って元気な状態で目覚める。「めぶた」でのわたしのお勧めは、5日に来て先ず見学。6日は各連の審査も終わっての最終日となって、踊手、囃子方がいちばん元気ななかで一緒に跳ねる。そして7日には、昼間の巡行を見ながらお囃子を聴く。7日しか奏でない曲もあり、音をしっかり聞く楽しみがある。わたしは、本町1丁目の交差点で巡行のお囃子を聴く。ここが最終点であり、勢いのあるお囃子から各連の地元に帰る緩やかな曲に変わる地点である。曲の変化を聴きながら、これで夏が終わるのかと物悲しくなる。そして、来年が待ち遠しくなる。来年も、再来年も永遠に変わることなく続いていってほしい祭りである。感謝。晴
=8/6=踊楽跳楽。昨日まで3日間、扶桑社の新雑誌エフィルの撮影に頑張る。モデルYさん、編集Tさん、地元ライターMさんとの素敵なメンバーでの仕事で楽しく楽しく出来た。感謝。未明、午前中にデータ整理、受け渡しをすべて終え、相変らずのバタバタで大阪伊丹空港15:05発JAL2153便、青森行きに飛び乗る。友人の友人のSさんの出迎えを受ける。車でSさんの実家に向かい「ねぶた」の衣装に着替える。30年振りの大好きなお祭りへの参加である。衣装に鈴を付けながら、お囃子が聞こえてきそうになり涙ぐむ。感謝。19:00.待ちに待った跳人になり踊り始める。全身満足。晴
=8/1=結果発表。集計が終わり、わたしたちが再度会場に上がる。審査員の方々も壇上に上がり、定番の結果発表音楽が流れるなか優秀賞から発表。二名の中にわたしの名前があった。感謝。最優秀賞はレストラン経営小倉さんの「丼丼火」になる。拍手。これを機会に、外宮の参道から自然の恵みに感謝する気持ちを全国に発信していっていただきたい。わたしも、微力であるが協力させていただきます。なにはともあれ、全国388名のなかから最優秀賞に次ぐ優秀賞はスゴイ!ありがとうございました。楽作楽食感謝。晴