goo blog サービス終了のお知らせ 

駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

お寺も檀家も神社も無縁の世界で育ちました

2018年10月09日 | プライベート
おととい 
 
8月に亡くなった従妹の49日の法要に参加したら 
 
読経を終えた後お坊さんから 
 
“皆さん浄土真宗でしょうか?” 
 
と聞かれました 
 
その方が浄土真宗のお寺から呼ばれたので 
 
そう思ってた訳ですが 
 
こんな時に私達は本当に困りますよね。 
 
日頃は意識しませんが 
 
沖縄は日本本土とは違う 
 
これを思い知らせれます。 
 
私達の村にはお寺も無ければ神社もありません 
 
歴史的に無縁のままここまで来たのです。 
 
薩摩の浸入以来 
 
那覇や首里にはお寺ができましたが 
 
それが地方にまでは浸透してないのです。 
 
ですから 
 
私の村に行けば 
 
浄土真宗って言葉も檀家って言葉も知らない人だらけです。 
 
そんな訳ですから 
 
私達は宗派を聞かれると困る訳です。 
 
タジタジになってしまいます。 
 
仏に仕える方達は 
 
そんな沖縄の事情も頭に入れて 
 
言葉を選んだ方が良いですね。 
 
一瞬気まずい空気が流れましたからね。 
 
まぁしかしこの檀家制度 
 
実は日本本土においても割と新しい制度なんですよね。 
 
江戸時代になって領民を把握するために出来た訳ですから 
 
江戸幕府に支配されなかった琉球では浸透しなかったのは当然です。 
 
沖縄では檀家はありませんが 
 
それに代わるものとして門中と言うのがあります。 
 
この門中の人は同じ名字を名乗ります 
 
私の場合は川端門中って事になります。 
 
この門中の人はお墓を共有しますから 
 
沖縄のお墓は大きい訳です。 
 
日本本土ではお墓はお寺が守り 
 
沖縄では門中の人が共同で守ってる訳ですが 
 
この門中制度は大変優れていて 
 
日本本土のように無縁墓になる事はまずありません。 
 
少子化で墓終いが増えていますが 
 
沖縄では門中のメンバーはたくさんいますから 
 
門中墓が廃れる事はまずありません。 
 
それを見ていて 
 
檀家より門中 
 
私はそれの方が合理的 
 
そんな風に実感しています。 
 
しかし 
 
私のように沖縄を離れて長く経つと 
 
私は門中墓に入れるとしても 
 
自分の子孫がそこに入るのは難しくなりますね。 
 
ではどうしたら良いか? 
 
色々考えています。 
 
まぁ実際には雑談程度ですが 
 
私は子供達に 
 
自分が死んだら町田門中墓を建ててはどだろうか? 
 
なんて話しています。 
 
そしてその墓には 
 
私の子孫だけで無く 
 
会社の社員も希望すれば入れる 
 
そんな形にできなか? 
 
なんて漠然と思っています。 
 
私は 
 
今の日本は地域と血縁のつながりがかなり薄れていますから 
 
それを埋めるのは会社しかない 
 
って思っています。 
 
どうしてそんな風に思うようになったかと言えば 
 
リタイヤしたお年寄りとたくさん話す内に 
 
彼等は現役時代の会社の話題が良く出ますし 
 
今付き合ってるのも会社のOB 
 
って人達が本当に多いのです。 
 
昔の仲間が亡くなると 
 
皆お通夜にかけつける訳ですが 
 
それが本当に楽しみ 
 
って言う人もいます。 
 
日本の歴史は 
 
地縁血縁で築かれた訳ですが 
 
それが崩壊した今 
 
代わる物は会社しか無い 
 
私はそう感じています。 
 
そんな中 
 
入るお墓が無い人は 
 
長年一緒に仕事をした人達がまとまって入る 
 
そんな事もアリかな? 
 
なんてふと思ったりする訳です。 
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沈黙は雄弁 | トップ | 社会生活と動物の本能 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

プライベート」カテゴリの最新記事