気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

松浦武四郎の足跡(道東エリア)-3帯広~阿寒(2011年9月6日)

2011-11-25 10:33:42 | 日記
私の旅の持ち物の中で、カメラ(ニコン)とメモと旅の資料は何より大切なものかと思っている。メモは走行中のルートや時間を記載し、途中気になることをメモしている。記憶が薄れても、思い出せるようにしている。ブログは最近、札幌の妹に教えてもらい、超初心者。(自分の思い出に旅の記録を残したいと思ったので・・・ブログに書き込む。)
前日の大雨から帯広では小雨に変わった。気温は21℃。
ホテルを出発。音更町の鈴蘭公園内にある石碑に向かう。私たちの旅は北海道地図と資料を持って目的地に行き、あこがれの人の足跡を辿るドライビング・オリエンテーリング的な楽しさがあると思っている。
私たちは車という便利な移動手段であるが昔の偉人は歩いたり、船・馬の利用、偉人の凄さに敬意を持ちたい。(中西出版社発行の「アイヌモシリ紀行」の著者早川禎治氏は松浦武四郎の足跡を恵山から野宿しながら歩かれた方なので、私はバックパッカーに徹する著者の姿勢に乾杯!)
 早朝7時8分には鈴蘭公園に着いたが広い公園内のどの辺にあるのか・・・うろうろ。樹木の隙間から台座を発見!石碑の文字は「開町記念碑」で刻まれている文字は読みにくかったが「此のあたり 馬の車のみつぎもの 御蔵を立てて 積ままほしけれ」この石碑の説明板は倒れていたが、石碑の横に立てて写真撮影した。「松浦武四郎は一八五七年八月(安政四年)札幌から十勝入りしての踏査。また、同年七月十勝川流域の(調査)を行った。この時読んだ歌がこの碑である。(読み難かったので、誤記があるかも知れません。)今日の十勝音更を予見しているようである。」音更町教育委員会とある。

音更帯広ICから道東自動車道を利用して足寄経由阿寒へ向かう。このルートを利用するとき、中足寄の蜂蜜農家に寄って購入したことがあるので、家を訪ねたら番犬はお留守番をしていたが、施錠されてどなたもおられなかった。純粋の美味しい蜂蜜残念。
阿寒では湖畔、ビジターセンターの裏にある歌碑やコタンを訪ねる。
コタンの入り口

ビジターセンター裏の松浦武四郎の歌碑
漢詩は「水面風収照間 小舟棹支沿崖還・・・」
    
雄阿寒岳登山口の石碑 この石碑は滝見橋付近にあるという情報でしたが、石碑らしいものを見つけることができず、登山口まで入って付近を探した。阿寒町の教育委員会に「登山口の石碑を見つけれない・・・教えてください」と電話したら、R241号線沿いにある「雄阿寒岳登山口」看板の立っている所にお地蔵さんが4体くらい並んでますよ。その横に石碑があります。」ということでした。何とそこは何回か探して往復して見逃していた所でした。
                         
阿寒から弟子屈郵便局に寄り、夫は「ふるさと切手(摩周湖とアイヌ模様のセット)」をはがきに貼って日付印をお願いして職員さんに話をしていた。




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