気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

余市:松浦武四郎の西蝦夷日誌にも記録がある旧下ヨイチ運上家

2015-07-18 14:07:33 | 旅行
小樽の石川啄木の歌碑を見て、余市へ向かった。
余市はテレビでも有名な余市ニッカウイスキーの工場がある所、マッサンブームか観光に来ている方々も多い。
そのニッカウヰスキー工場の前を通り、入船町にある国指定史跡・重要文化財になっている「旧ヨイチ運上家」を見学した。
ニッカウヰスキーの正門
旧ヨイチ運上家
松浦武四郎の「西蝦夷日誌」の〔ヨイチ領〕には
『ヨエチ(余市)運上や板くら十数棟、御備米くら、勤番所、弁天島、茅くら、美々敷立てたり。是を下ヨイチと云う。名義はイウヲチなり。イウとは温泉の事、ヲチはある。此水源に温泉有故號る也。基地所は川の事也。此處は本名シュマヲイと云る處也。名義岩有とぞ。運上やの傍に有る岩に依て蹏く。此場所は松前家臣内蔵の給所にて運上屋上下のニケ所に有し也。川端は鮭が見込みの地なりし也。』と記録されている。
旧下ヨイチ運上家全景

幕末の下余市運上家「西絵時地余市生の風景」拠山寿信筆の一部が展示されている。


パンフレットによると、歴史は1600年代にあったということのよう・・・。
江戸時代のヨイチ関係年表には
 1635(寛永元) 上ヨイチ場所、資料に登場
 1804(文化元) 初代竹屋長左衛門、羽後(秋田県象潟)より北海道へわたり、松前松ケ崎で商いを始める。
 1806(文化3) 柏屋藤野喜兵衛、上下ヨイチ場所を請け負う。
 1853(嘉永6) 運上家改築・・・・など
ニシン漁とアイヌとの交易の場所でもあった。

遠山の金さんの父上(遠山金四郎景晋)が西蝦夷巡視で運上家に滞在。(1806年旧暦の4月より13日間)ヨイチ、ユワナイ間の山道切り開きの策定と北方警備などの調査を行ったという。遠山の金さんといえば、テレビドラマで「金さん・・・おなり・・・」という場面しか浮かばない乏しい知識ですが金さんの父親が北海道に縁があったとは・・・。

庭園

囲炉裏の大船頭と大木の自在鈎

自在鈎の立派さは運上家の財の力を現わすものか・・・想像。
余市を後に、国道5号線から道道36号線に進み、今年出来たばかりの「道の駅あかいがわ」に向かった。
ここに「五十万坪駅逓跡の碑」があると駅逓に詳しいホームページの管理者「道北の釣り・・・」の方の情報をもとに行って見る。

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