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おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

ようやく帰省

2009年12月31日 20時31分51秒 | 雑感
 31日の夕方に帰省した。もたもたとしていたら全然雑務を終わらせることができず、結局31日になってしまった。

 去年は、この時期、修士論文に追われ、寝たい時に寝るという生活をしていたため、生活は尋常ではないほど乱れ、家の中は読み返した論文がちらばりまくっていたのを思い出す。なんだか懐かしい。懐かしい。一番、精神的に追い詰められていた時期だった。

 昔は、家族で紅白見ながら、二年参りに行く、年が変わるまで起きてられるか、僕はたいてい寝てしまいギリギリで起こされて、お宮とお寺に行った。今年は静かに例年と同じ過ごし方だ。

 今年は、とにかくよく働いた年だった。アルバイトも2つこなし、実家で有機農業もやり、イベントを手伝い、とにかくあちらこちらで働いた感じだ。色々わけがあり、本来は2009年度から大学院の博士課程に進む予定だったが、なかなか大学院が決まらず、結局はフリーター生活になってしまい、家族には心配をかけた。が、自分が納得する形で大学院も決まり、4月から新たな環境に身を置く。そう考えてみると、色んな人から助言や刺激をいただき、将来の目標も明確になった。これは良かった。

 とくに、実家の畑を耕して2年目だった2009年は、1年目よりも収穫量は増えたし、品目も増えた。野菜を売ることもできたし、家族の有機農業への理解もまあまあ増したと言えるだろう。3年目となる2010年はもう少し面積を広げて、それと、木材のガラスハウスみたいなのを作りたい。豚か鶏を飼いたいと言ったら、先ほど家族から即却下され、動物はまだまだ先かな。

 








 

初・献血

2009年12月15日 21時15分08秒 | 雑感
 日曜日には塩尻から帰省し、普段どおりの生活に戻った。やはり、塩尻は寒かった。長野と聞くと、雪たくさん降るでしょと言われるが、僕が住んでいる地域は今はほとんど雪が降らない。小さい頃は、降っても50cmほどは降り、ちょうど家の前が通学路だったので、雪をかかなければ学校にも行けなかったし、周りの家に遅れをとらないように、雪が降ったら、朝早くから家族みんなで雪をかいていたものだ。

 しかし、今は降っても10~20cm。これも温暖化の影響だろうか。雪が降らないとなんだか、風が冷たいので余計に寒い気がしてしまう。雪は温かみがあるものだと感じている。現に、雪の下の土は意外と温かいらしい。

 さて、本日、初めての献血をしてきた。久々に我が母校のある、というか校舎のある戸塚校舎へ行ったので、横浜駅で降りて、西口にある献血センターへ向かった。

 外観がとても綺麗で清潔感あふれる献血センター。駅前でも献血への呼びかけをしていた。昔、花粉症の検査で、血液を大量に取られ、採血後、立った瞬間に立ちくらみに襲われるという苦い思い出もあったので、緊張していた。

 お昼前で、しかも平日だったので、そんなにも人はいないだろうと思っていたが、若い人や中年の方まで、意外と人がいてビックリした。

 まずは、諸々の必要事項を記入し、問診へ。連れて行かれるところ、どこでもありがとうございますと言われ、献血ってこんなにも有難がられるもんなんですね。若い人の献血が減少しているようなんで、それもあるのかな。

 立派なベッドが30台近くあり、しかも一台一台にテレビがついていた。すごい。看護師さんの数も多く、とても親切。はじめに、少しだけ血を採られ、それで少し痛く、これはやばいと思ったが、血液型もA型で変わりなく、一安心。

 そして、本番の採血へ。たぶん、15分くらいだったろうか。気持ちよすぎて、異常な眠さを感じてしまいながら、途中、手が冷たくなり、温かいやわらかいものを握らされ、手を閉じたり開いたりして、血の周りを良くし、無事に終えた。

 立ちくらみもなく、記念品に歯ブラシセットをいただき、ジュースとアイスを食べて、休んでから、大学へ。

 すごい、戸塚の再開発が進んでいる。僕がいる頃、だから3年前くらいの時に、駅からつながるショッピングセンターができたが、もう1つ、そのお隣に、超デカイ、「TOTSUKANA」とかいうショッピングモールが姿を現した。まだ、店内を工事しているようだが、早々にオープンするだろう。

 大学に入り、5年間、戸塚に住んでいて、僕にとっては第2の故郷のようなもの。お酒を飲むのも、ほとんど戸塚だった。そこには、以前、和気あいあいとした商店街があり、昔ながらの小さい居酒屋があった。その商店街がほとんど、なくなり、再開発の対象となってしまった。

 大学に入ったのが2002年、大学院も含め卒業したのが、2009年、この短い期間に戸塚も大分変わってしまった。20年以上も前に入学した僕が所属していた一期生の人と、この前話したら、バスに乗りながら、ものずごく変わったね~と言って話をしたが、20年も経つと相当な変わりようだろう。

 これが良いのか悪いのかはわからないが、どこも同じような風景、いわば「プチ東京」というかそういう感じになってしまうと少し寂しいような気もする。

    

 ぼやけすぎだが、これがTOTSUKANA。ほんと、そびえ立つという感じだ。
 



長野は寒いですな

2009年11月04日 19時43分39秒 | 雑感
 夕方、塩尻に帰省。昨日、一昨日と東京も寒かったですね。18時前にはすでに真っ暗な塩尻駅に降り立つと、その寒さは東京とは比べものにならない、肌を突き刺すような寒さだ。

 やっぱり実家は落ち着く。ご飯もうまい。食卓にはうちで育てた野菜が並ぶ。どれも焼いたり、ゆがいたりとシンプルな料理と味付けだが、どれもこれもうまい。今回の帰省は、7日のアジア連帯経済フォーラムで売る野菜を収穫し、送るため。
アジア連帯経済フォーラムの詳細はこちらからご覧ください。http://solidarityeconomy.web.fc2.com/

 これは前にも宣伝しましたね。7日に国連大学の前の広場を利用して、マーケットが開かれます。その名も「きずな市」。連帯経済を実感できるお店が出ますのでぜひお立ち寄りください。外でもイベントが開かれ、農業トークでは僕が司会やります。

 何を持っていこうかと母親と色々話している。ネギ、ゴボウ、ジャガイモ、サツマイモ、タアサイ、オカノリ、人参、大根、高菜ぐらいかな。ヤーコンも明日収穫します。体が温まる野菜ばかりですね。ぜひお立ち寄りください。

 アジア太平洋資料センター(PARC)でも、毎年開講している「東京で農業」クラスの受講生の募集を開始した。ご関心のある方はこちらから。
http://www.parc-jp.org/freeschool/2010/kouza/kouza_2010nougyou.html

 

久々に大学時代の友達と

2009年10月30日 21時51分03秒 | 雑感
 昨日、今日と久々に大学時代の友人と会った。仲の良かった仲間。卒業してから3年以上経つが、会えば当然のように大学時代の思い出の話になる。しかも毎回同じ話をしているが、それでも飽きずに話せる。お酒を飲んでいるということもあるだろう。
 
 今、僕は学部時代から続けている大学の研究所での仕事を続けているが、驚いたことに海外から帰国した友人が大学の職員として働いているというのだ。そう、今日久々に会い、学食で昼飯を食べる。昨日、今日と楽しいです。

 僕も大学での仕事は来年の3月までと決めている。来年の4月からはまた新たな大学での本格的な研究者生活が始まる。久々に学術的な本を読んでいるが、頭が全然ついていかない。んー、修士論文を書いている時は、難しい本に囲まれて生きていたのに。シフト、シフト。

 大学は学祭の準備に入っていた。大学での仕事もお休みだ。明日は3週間ぶりに小川町へ。今回はコーディネートでも引率でもなく、オブザーバーのようなもの。気分転換に、のらりくらり話でも聞いてこよう。

 11月に入ればまたせわしくなる。4日は有機農業映画祭の実行委員会、そのまま塩尻に帰り、7~8日は連帯経済フォーラム。上旬は忙しいですな。20日~23日までは塩尻のお隣、松本市の集落を3泊4日で歩く地元学。27日、28日は有機農業映画祭だ。12月に入れば、学会で鹿児島にも行く予定。初の九州。これもまた楽しみ。

八ツ場ダムのテレビ

2009年10月13日 23時37分50秒 | 雑感
 民主党が政権をとり、建設中止を宣言した八ツ場ダム。明日の深夜、そのドキュメンタリーがフジテレビのNONFIXで再放送される。そうそう、7月にやったものだ。偶然、テレビを付けたらちょうどこの番組がやっていたのを思い出す。ぜひご覧ください。

10月15日(木) 2:38~3:38(なので、14日の深夜ですね)
http://wwwz.fujitv.co.jp/b_hp/nonfix/index.html

 第18回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『翻弄 ~57年目の沈む村~』
(制作:フジテレビ)
八ッ場ダム(2015年完成予定)の底へと沈む、名湯・川原湯温泉。
計画から57年…、今もなお、“ダム”に翻弄され続ける水没住民の半世紀―。

【番組内容】
 あなたは知っていますか? 今から半世紀前に計画され、いまだ完成を見ない巨大ダム事業のことを…。
 首都圏の利水・治水を目的とし、現在建設中の八ッ場ダム。総事業費4600億円、国内最高額のダム事業です。完成すると、800年の歴史を持つ名湯・川原湯温泉がダムの底へと沈みます。計画から57年を経て、今住民を最も苦しめているもの…。
 それは工事が遅れ、完成予定が15年延期したことでした。
 温泉街の周辺で、日々進められるダム工事。現地再建を掲げる八ッ場ダム事業では、ダムが完成し、水没住民が移り住む“代替地”ができ上がるまでは、住民たちに平穏な暮らしは戻らないのです。

 79歳の水没住民は言います―。
「ここまで来たら、一日も早くダムを完成させて欲しい。ダムを一目見てから、あの世に行きたい…」

 なぜ工期の延長は繰り返されるのか?
 そして早くダムを造って欲しいと願う、住民の真意とは?

<住民自身が記録していた8ミリフィルム映像>
 住民自身が記録したフィルム映像。その膨大なフィルムの中には、日本の原風景、そして人間が人間によって破壊されてゆくさまが、克明に記録されています。
 そこから見えてきた歴史の闇、人間の業…。
 戦後復興期、首都圏のため、ダムがどうしても必要だと懇願された住民たち。35年にわたるダム反対闘争の末、1987年、苦渋の決断で受け入れました。しかし、それから22年を経て、今度はダム不要論が持ち上がっています。7月上旬、民主党は、次期衆院選のマニフェストに八ッ場ダム建設中止を盛り込む方針を決めました。
 ダム工事の音の中で、将来が見えず、住民たちは不安に駆られています。

 番組では、創業百年の老舗旅館を営む五代目主人(44)、“ダム”と生きる重みを詩につづり続ける女性(73)、川原湯を半世紀にわたり、映像に記録し続けた元川原湯住民(79)を取材。
 計画から57年を経て、今もなお“ダム”に翻弄され続ける川原湯温泉。その半世紀に迫ります。