武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

つきごもり

2010年12月31日 | Weblog

一年の終わりである。おおみそかだ。「みそか」は「ひそか」という意味で「月の出ないこと」をいう。十五夜からだんだん月が欠けていって、その最後がみそかになる。つまり、「つきごもり」です。「つきぐもり」がなまって「つもごり」となり、そこに大がついて「おおつもごり」となったそうだ。

とにかくめでたくもめでたくなくてもおおみそかだ。ではまた新年に。


年末の出来事

2010年12月30日 | Weblog

正式にはしらないが「へっこき虫」を登場させ「毒ガス」という場面を設定した。

この虫は身の危険を感じると臭いガスを出し相手を混乱させる。こういうガスを出し武器にする動物、昆虫がいる。この虫も人間風に考えるとお尻の穴からプーとやるのかと思えば、身体の脇から出るらしい。何でも人間風に考えてしまう。秋の鳴く虫も口からでなく羽根のすりあわせだったりする。

話はかなりとんで年末のテレビ再放送をみてると漫画家「水木しげる」さんが出ていた。現役バリバリ88歳だそうだ。88というと「米寿」だ。昔は70歳も生きると古来稀なことだと「古稀」の祝いをした。信長の時代は人生50年とか言ってたから。ところが最近そうとも言っておれない。古稀の上が77で喜寿、88で米寿・・・・・90で九と十あわせ卆寿、99は百から一引いて白寿・・・・・・俳人金子兜太さんは91だそうだ。最近二人で対談をしたそうだ。


迷彩服を着たカメ

2010年12月29日 | Weblog

昔韓国へ行った時、基地?らしき近くの門兵をしている軍人さんの目線が鋭どかった。緊張感ある臨戦体制だから当然かもしれない。

自作のカメレオンに「迷彩色」で彩色してみた。シャコバシャボテンに乗せてみると、さすが迷彩色という感じだ。野山をかけめぐる戦場では効果があるのだろう。これが人間のぐじゃぐじゃいる都会ではかえって見立つ。なんか「野性の証明」を思いだした。

風の強いなか、玄関に松飾りをした。


芭蕉だと選挙に勝つ

2010年12月28日 | Weblog

ちょい俳句会の関係で松尾芭蕉を探る。

奥の細道の旅に出たのは49歳。現代だと現役バリバリですが・・・・・。あの頃は「人生50年」と言ってる時代ですし、車のない旅ですから旅の行程もかなり考慮したようです。ここで当地の気候などの情報を入れてくれたのは各地の弟子たちです。つまり芭蕉は選挙で全国区で立候補すれば、すぐ当確がでるような存在であった。この当時の西鶴や近松門左衛門は地方区の有名人で全国にはそれほど広まっていない。当時の状勢を考えると芭蕉の「俳句」がいかに広まっていたかということだ。旅の途中、馬子に色紙をねだられている話からも感じられる。

そして各地の弟子たちと「手紙」を通して情報のネットワークができていたということだ。写真は安曇野満願時。芭蕉の句碑がある。「父母のしきりに恋しきしの聲」とある。きしは雉のことである。


カメレオン各位

2010年12月27日 | Weblog

誠に寒い風が昨日から吹いている。今日に新聞に夏目漱石の時代の東京は結構寒かったとか書いてあった。想像するにも・・・そうだろうなと思う。

寒いから冬であって、冬だから寒いのだ。水も冷たい。その「冷たい」という語源は「ツメガイタイ」だそうだ。昔は爪と言うのは指全体を言ったそうす。現在の爪は先の部分ですけど。ま、「手が痛い」ということです。

少し強い紙で「カメレオン」を作ってみた。長い舌を出すつもりだったが「皮膚の刻み」に気がいき忘れてしまった。


かぼちゃ話

2010年12月26日 | Weblog

冬至にかぼちゃを喰った。いつもくずれてしまうが、くずれなく煮えた。きっとこういうことはかぼちゃの生育暦がものをいうのであって調理人の責任ではないのだ。

土曜日に句会があった。「南瓜」だけをつかうと季語から「秋」になるので、「冬至南瓜」をつかう。「冬至南瓜」になると「冬」の季語になる。

そこで「雲低し冬至南瓜煮込みたる」という名句をだしたが、迷句と判断された。昨日今日の虫の版画はゴム版を使った版画です。ゴム版はゴム版のおもしろさがあります。ピカソも多色のゴム版をやってましたね。


イブもイボも無視のうち

2010年12月25日 | Weblog

クリスマス・イブだかなんだかうるさい。・・・・・と言ってもテレビの話で家のまわりは曇天で静かなもんだ。前の日からさわぐのに正月もある。正月も前の晩の紅白歌合戦とか言って夜更けまで起きてワイワイガヤガヤとやっている。前日やると言うと七夕も7月7日の夜にやらず、6日の夜にやってしまうところもあるそうだ。こういうことは古い時代のなごりではないかという人がいる。つまり昔の人は日が沈んだ時から一日が始まると考えていた名残だそうだ。つまり七夕の話は6日の夜というのは、もう7日なのだ。7日の夜はもう8日なのだ。紅白歌合戦も昔風に言えば正月元旦の行事なのだ。クリスマスは25日がイエスの降誕祭。日本の昔流に言えば前夜祭でなく、当日なのだ。

 

 

 

 


安曇野の芭蕉

2010年12月24日 | Weblog

安曇野穂高にも芭蕉の句碑がある。そのうちの穂高神社境内と満願寺に行ってきた。穂高神社は看板などで説明してあってわかったが、満願時は苔むしていて、これだろうか・・・・ということだ。俳句に興味のない人だと、松尾芭蕉は穂高にも来たんだとなるかもしれない。句碑があれば来たとはかぎらない。後世の人間が記念に建てたりするのだ。

満願時は由緒あるお寺で、かなり山奥・・・・「お小僧火」という民話も残ってる。ここらも山なので猿害が多いらしい・・・・・・・・・。

 


農民一揆の顛末

2010年12月23日 | Weblog

この十二月雪深い信州・白馬で農民騒動があった。文政8年、西暦1825年のことである。この年はひどい凶作で、松本の城主は年貢を半分にした。白馬から小谷は麻の産地で、この現金収入で食いつないでいた。ところが大町・松本の麻商人が足元をみすかし値引きする。米を貯蔵してるのものは庶民には売らず、酒屋に売るなどに農民の不満が爆発したのだ。藩の力も弱くなっていたので一気に抑えられなかった。。白馬から蜂起した農民は大町・池田をあらし穂高まで入ったが、ここらあたりで力を失った。白馬の蜂起にあわせ小谷の蜂起組は合体する手はずだったが、この版画の源長寺というお寺の和尚に説得され、合流をあきらめたが・・・・・不満は抑え切れず村内の金持ち、庄屋などの家を襲った。この時、北のはずれで庄屋をしていた私の祖先も被害にあっている。

そんな歴史の版画はかなり前につくったものです。


カメレオン

2010年12月22日 | Weblog

気がつくと♪「もういくつ寝るとお正月・・・・・」になってしまった。この作曲は瀧廉太郎だ。それはそれとしてふるさとの小谷の生家の冬じまいの点検にいってきた。師走というのに雨だった。

小さい頃は師走といえば結構雪が積もったものだ。帰ってきて聞くと松本は雪が降ったそうだ。世界の天候も変わったものだ。地球の温度も上がっているという。写真はコンピュターから作図をいただいて作ったものでーーーーーす。