武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

忘れ霜

2014年04月29日 | Weblog

借りている畑のふちの「よもぎ」をぬいた。手に春の香りが漂う。別名「もち草」だ。また新芽の香りが邪気を払うので「魔よけ草」とか。そういえば五月の菖蒲と一緒に軒先にさしたもんだ。
それもそういうことなのだ。
そういえば小さい頃、ばあさんがお灸などしてた。あれは「よもぎ」を乾燥させ揉んだものだった。

もう、田植えをしてる農家もあるとか。とにかく安曇野に春がきた・・・・と言いながら今朝は寒い。
「八十八夜の忘れ霜」が来そうな雰囲気だ。

食の楽しみ

2014年04月28日 | Weblog

武井武雄展をみて、あのPEN画に挑もうと考えた。考えることはいくらでもできる。
二十ページくらいの「食」に関するものにしょうと考えた。考えるのは自由だ。
早速、とりかかってみた。
思いつくまま・・・・・季節も整理してない。
このうちの「ねずみの年取り」は小さい頃、かすかに思い出がある。にぼしをくれてこいと言われてくれた思い出がある。・・・・・いい時代でしたね。
その下の「南瓜」とか「芋汁」は、病気除けでもあった、南瓜は中風、芋汁は腹痛とか・・・・良い時代でしたね。

武井武雄展を見る

2014年04月26日 | Weblog

そろそろ自治会費の集金をせねばならん。役目だからしょうない。消費税はあがる。固定資産税の催促がくる。車の税金がくる。
ためいきをついていると、お寺から護持会費なるものの通知もきた。これもしっかり戒名の段階に分けられ会費がちがう。戒名で上下つけられ天国か地獄に行く。それぞれの段階で成仏せよとのお達しだ。お釈迦さまはそんなことおっしゃっていなかったけどな。
きっと、昔は皆さまの浄財で・・・とか言っていたが振替用紙同封で、期限いつまで。きわめて事務的になって出すのが当然と言うことでは益々ありがたみが薄くなる。
横浜に行って「武井武雄展」をみる。
まったく、遠いわたくしの踏み入れない作品群だった。こうなると才能の違いをガンと感じる。

さくら食べる

2014年04月24日 | Weblog
わたしの住んでいる西。山際に「牧」と言う集落がある。この名の表すよう馬を飼育していたところだ。長野県下にも、このような地名がある。その名乗りか、春に競馬大会がある。
馬はその昔から軍用にも使役にも貴重な戦力だったのだ。ここらで育て京の都に駿馬は送られたとか。
「♪お馬の親子は仲良しこよし・・・・」
木曽の馬、木曽駒は絶滅と伝えられていたが、現在ではかなり復活したようだ。足が短く頑健で、いかにも働き者風だ。
大昔もこの間の戦争でも、かなりの馬が犠牲になっている。
馬肉が「おいしい」とか言ってる人も、馬の歴史を考えてみるべきだ。

創るよろこび

2014年04月23日 | Weblog
童謡のカルタを作る思いは版画家・伊藤卓美さんの「なつかしい童謡かるた」を見てからだ。参考にしながら作ろうと思ったけど、と手に入れるのに手間がかかって、作り始めたら・・・・・・届いた。
どちらが私か。見ればすぐわかる・・・・比べる気持ちがおかしい。レベルとかラベルの差だ。
伊藤さんはライフワークを「民族芸能」です。
ですから近代ぶった普通の版画展などではいきあいません。

「人生は遊び」と言ってます。そして「そんなこと言うと日本では不真面目と言われる。人間いとって遊びは究極の喜びで、そんな気持ちで作っている。それをみんな喜んでくれるので版画を作り続けているのです。」と・・・・・・・・・・・

ひねもすのたりのたりかな

2014年04月22日 | Weblog

春の海を蕪村は「のたりのたり」と表現した。
そんなこと言っておれない。
韓国の海では大惨事だ。船長はじめ乗務員が最初に逃げてはどうにもならん。

「春のうららの隅田川」と言う唱歌の「うらら」は「うらうら」がつまった表現で「うららか」と言う意味。♪春のうらうら・・・ではどうにもならん。

㋑一年生になったら・・・・・先日なくなったまどさんの詩だ。
㋒うさぎうさぎ何見てはねる・・・・・・
㋓ABCの歌。A,B.C,D/////.



花の命は短くて・・・・・

2014年04月19日 | Weblog
・・・・苦しきことのみ多かりき」と言ったのは林芙美子だ。
桜自身は苦しくはないけど、一気に咲いてパラリと散る。和歌に詠まれる桜は、このさりげなさを人の薄命あわせ詠ったものに傑作が多いと。
桜にとってよけいなことだ。
俳句の会は、兼題「すみれ」と来た。そろそろ考えなくては・・・・とすみれの本を見ると「すみれは日本に五十六種ある」と書いてあった。
芭蕉の俳句とか万葉集にもすみれは出てくるが、どのすみれか・・・・判別はむずかしいようだ。
カルタ調の版画本を作ろうとはじめた。色調は明治・大正あたりだ。前に買ったその本を引っ張り出して・・・・「♪㋐赤い靴はいていた」♪㋑一年生になったら」・・・・あきがいつくるか問題だけど。

ももたろさんももたろさん

2014年04月17日 | Weblog

桃太郎が持ってるキビ団子とは、キビの粉とモチ米の粉を混ぜたものである。これが市場に出たのは江戸時代の後期だったらしい。前期と言う説もある。
どちらにしても、話の方が前からあった。その時の桃太郎はキビ団子は手にはいらなかったのだ。
犬と猿と雉は団子につられてお供したので、団子がなければ何を用意していたのか不明。

カッパ事件

2014年04月16日 | Weblog

川があればカッパの話がつきまとう。
中学までプールなどなかった。高校へ行ったら卒業の年、プールができた。だからプールで泳いだのは成人になってからだ。当然小さい頃から川がプールの変りだ。
それは姫川と言う川だ。姫というからおとなしい川と思ってしまうが、雪解けの頃になるとすごい濁流の川となる。
ある日、毎日のごとく友達数人と川遊びにでかけた。この川は小さなダムがあり、時々放流していた。今だと事前のサイレンを鳴らしたりする。当時はそういうサービスはなかったような気がする。それでもいきなりドーーンと来ない。じわじわと川の水が増えていくから気がついたら逃げるのだ。これが水遊びに夢中になってると危ない。その時、村会議員をやってる君が流されたのだ。私をふくめ他の者は逃げれた。これがまた石がぬるぬるしてすべってしまうので遅れたやつをかまっていられない。
流された彼はドンドン流され頭が見えたり、沈んだり・・・・・・・川が岩でくの字になるところで渦になり・・・・そこでアップアップしていた。こりゃだめだと覚悟して、見てるしかないのです。・・・・・・運がよかったのか。しばらくして水が引いて、彼が浮き上がってきた。
その時、これはカッパの仕業だと確信した。
川の水が引くと、逃げ遅れた魚がピチピチしてる。これを獲るのが楽しい。あのカッパの被害にあった村会議員をほっておいて魚に夢中だった。

帰り道、すっかり元気をなくした村会議員のために畑からスイカをいただいてみんなで食べた。
おいしかった。

第二の発明

2014年04月15日 | Weblog
エジソンが電球なるものを発明した。それはそれで人類史上大きなことだ。
昔は陶器の器がこわれれば、細かくして堅い卵を産むように鶏にやった。この電球は使えなくなると使い道はなかった。

当時、道は舗装などしてないので凸凹だった。ここの凹んだところに、この電球を置く。これでは見えてしまうので板を乗せておく。
これが第二の発明だ。この上に人がのると「パ―――ン」といって割れ、びっくりする仕掛けだ。
これに隣りのバアサンがひっかかった。
そこでお目玉を、うちのジイサンからいただいた。おこられたけど・・・・・なんか本気で怒ってないと思った。きっと隣りのうるさいバアサンに対して「ざまあみろ。よくやった孫」と言う感情があったかもしれない。