武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

miminasi芳一

2017年08月26日 | Weblog


これはスクラッチで描いたもの。

これは物語のはじまり源平の合戦。舟と波が浮き出るしくみ。

平家物語をかたる芳一。いるはずの武家はいない。

耳をそがれた芳一。

なぜか、この物語にひかれ色々作ってきた。どこかに私を誘う雰囲気がある。

トンネル物語

2017年08月24日 | Weblog


待望の「トンネル物語」を刊行した。
中身は公開しない。

暗闇なのだ。トンネルは。

小さい頃はズイドウと言っていた。アメリカとの戦争があったので、英語は使用禁止だった名残だろう。
レールは戦争にもっていかれて、トンネルはただの不用の穴となった。軍の弾薬庫になったところもあったようだ。こうなると完全に秘密で、そこになにがあるなど話題にしたりすると厳罰だ。戦争になると想像以上に言動についても厳しくなる。
現在に生きると、こういう時代はわかるといっても実感的にはわからないのだ。

もうもうもうと啼く・・・春待ち二弾

2017年08月13日 | Weblog


牛はその昔、貴重な労働力だったのだ。
当然すまいは外ということはなく、家の中にあった。だいたい玄関の近くで
中には人間のいる居間からも見えるところにあった。
今みたいに衛生とか無菌とかは問題にならず、牛のウンチの臭いも漂っていた。
それだけ大事にしていたのだ。物を運ぶも馬のスピードには負けるが坂道は強かった。
牛の方が馬より安全に足場をみつける能力が高いのだ。

これが耕耘機など導入される時代になると、そうはいかなくなる。
それは時代の流れというものだ。

春待ちの村/制作

2017年08月12日 | Weblog


なんとか「春待ちの村」作る。この暑さに冬でもないけど・・・・・・
一応、中身を紹介すると

これは富山の薬売りさん。農閑期になれば家にいることが多いので、富山から薬売りが来た。村には宿がないので泊めてもらう家が決めてあり、それぞれの家をまわった。どの家にも富山の薬箱があり、使った分だけ補充しお金をいただくシステムだ。
なかなかよくできている仕組みだと思うが・・・・・・最初の頃は粗雑な薬が多く・・・・♪はなくそ丸めてあんぽんたんとからかわれていたから・・・・いかがしいのもあったらしい。
こどもにとってお土産をもってくるのが魅力的だった。紙風船でまるでなく四角だった。
大人衆にとって都会のニュ―スをしる機会でもあったのだろう。

そういうページだ。

山の日

2017年08月11日 | Weblog


山の学校物語・・・・・キツツキがコンコンと合図をすると芝生のじゅうたんが
ふんわりと浮かび、教室は空になる・・・・・・てな物語。

これは白馬に入る佐野坂峠から白馬の集落をながめた風景だ。昔はこれがわらぶきであったが今はトタンぶきか、とりこわされた。雪だとそういうものが隠れてしまう。
遠くに白馬三山。
あすこにもかって登ったな・・・・・・今だとちょい無理かな。

バレン・・・・

2017年08月07日 | Weblog
版画をする道具であるが、高価のものは数十万するらしい。
中国も当然刷る道具があるが、ハケみたいなものらしい。
となるとタケノコの皮を使うのは日本独自らしい。

高くてたまらない。こどもの使う安いのをみるとメイドインチャイナになっていた。
最近自作で対応している。

まずタケノコの皮。これはーーーーかなり昔、そう版画を始めた頃、生徒に版画の話をしたら
「タケノコの皮いっぱいある」と持って来てくれたもの。当時は自作などの気はなく。お倉いり。聞けば彼の家の近くは犀川沿いで、広く竹やぶがあり、その昔、松本藩の御用林・・御用竹であって犀川で松本まで運んだらしい。

茶缶のふたに細い縄をまきつけ、とめてできあがり。竹の皮はお湯で柔らかくして。
茶缶のふたの丸みをうまく利用する。まだ竹ノコの皮はたくさんある。

彼も四十五くらいになってるはずだ。
 

七夕まんじゅう

2017年08月06日 | Weblog
地区のボランティア会がこの時期ひとり暮しのご老人に食べていただくというまんじゅうだ。
私もほとんど出ていかないが会員。

数年、包み紙に絵を描いている。これを毎年楽しみにしている人がいるとかの殺し文句で今年も描いた。

まんじゅう私ももらった。二つとも中身はアンコだった。
素朴な味で昼はこれですませた。