文芸誌に童話を載せていただき、その中で「十返舎一九」の影絵のことを書いた本があると書いたら、次号のコラムに200字で掲載との話がきた。
さて、さて、その本は「紅毛影画・於都里岐」と言う。読み方は「オランダかげえおつりき」だ。
中身を知らないのに、知ったふりして書いたバツだ。
本物はみれないので、そのことを書いてある本がこれだ。ようやく通販で見つけ購入。江戸時代のしゃれた大人の遊びがつまっていた。金をかけない遊び・・・・・そういうのが江戸の庶民の文化を築いてきたのだ。
この本を出した頃、「膝栗毛」でヒット中、そこにこの影絵の本の広告を出してある。いやーーーーーーーこの頃から広告と言うこともあったのだ。
次の作品は私の「影絵豆本」です。
さて、さて、その本は「紅毛影画・於都里岐」と言う。読み方は「オランダかげえおつりき」だ。
中身を知らないのに、知ったふりして書いたバツだ。
本物はみれないので、そのことを書いてある本がこれだ。ようやく通販で見つけ購入。江戸時代のしゃれた大人の遊びがつまっていた。金をかけない遊び・・・・・そういうのが江戸の庶民の文化を築いてきたのだ。
この本を出した頃、「膝栗毛」でヒット中、そこにこの影絵の本の広告を出してある。いやーーーーーーーこの頃から広告と言うこともあったのだ。
次の作品は私の「影絵豆本」です。
この版画は炭火を使ったアイロンだ。
炭など最近見たこともないが、小さい頃は全盛だった。あの勢いよくおこる火を「一升マスの中の牡丹」と言う謎かけがあったそうだ。
たしかにあの火の様は牡丹のようだ。・・・・・・と言っても見たこともない国民はピンとこない。
炭と言えば、親父が戦争から帰ってきて勤める仕事もないから山へ入って釜をきずき炭を作っていた。その山の木を切るわけだ。結構ハゲヤマになった山は今では木が青々ともとにもどっている。
戦争や紛争があっても人間の心のつみあげで、前へ進めるのだ。
あの戦争から幾星霜。戦争体験のないトップが隣りの国と仲良くできないのは何故だ。
正月近いので、版画など彫ってるとおこごとが飛んでくる。
下絵だけ手をつけた。神戸の中華街のにぎわいだ。
江戸時代にはいろんな商売があった。・・・・ま、今でもそうですけど。
これはスイカ売りです。炉端で店を出し売る。スイカをペーパークラフトで立体化してみた。本をとじるとスイカも閉じる。・・・・・・そういうことです。
別に「水菓子屋」というのもあったらしい。これは果物だが、主に梨を売っていたとか。
次は絵師だ。絵師にも色々で提灯の絵を描くのや、浮世絵のとか・・・・・・・・
中には大道芸で砂絵を描いて小銭をもらっていた人もいたらしい。これは絵師のなれのはてとか。いろいろな砂で、道端で描いていたらしい。・・・・・・なんか今でもやっている人がいるみたい。
これはスイカ売りです。炉端で店を出し売る。スイカをペーパークラフトで立体化してみた。本をとじるとスイカも閉じる。・・・・・・そういうことです。
別に「水菓子屋」というのもあったらしい。これは果物だが、主に梨を売っていたとか。
次は絵師だ。絵師にも色々で提灯の絵を描くのや、浮世絵のとか・・・・・・・・
中には大道芸で砂絵を描いて小銭をもらっていた人もいたらしい。これは絵師のなれのはてとか。いろいろな砂で、道端で描いていたらしい。・・・・・・なんか今でもやっている人がいるみたい。
画面は横なので身体をくねらしてご覧ください。
神戸の南京街の一コマです。
黄色の絵具もだいぶ減った。黄色と言えば今日は冬至だ。店屋では「ゆず」も売られており、これは「ゆうずう」が良くなると説明書きがあった。なお冬至は「湯治」に通じなんとかかんとか書いてあった。これから少しづつ季節の変化がでてきそうだ。
世に回文と言う分野がある。
前から読んでも、後ろから読んでも同じと言うしろものだ。
簡単に言うと「トマト」。
歌人の山田航さんの傑作が紹介されていた。賞の授賞式で披露したそうだ。
つつしんでおいわい おでんしつつ
せかいをくずしたいなら ないたしずくをいかせ
なるほど傑作だ。
。
朝ドラを見てたら「おでん」を食べていた。これは関西では「関東だき」と言うそうだ。
それはそれで結構なことです。
江戸が東京になり、そこの言葉が「標準語」と言うことなら・・・・・その昔の京都弁が標準語だった・・・・・・かもしれぬ。
昔、「湯屋」と江戸では言っていたが、「風呂屋」と呼ばれるようになったのは「京都の言葉」が入ってきたのだと。新しい標準語に負けず、がんばっているのだ。
ま、時代は変わり、「銭湯」になり・・・・・・それもなくなりつつある。
それはそれで結構なことです。
江戸が東京になり、そこの言葉が「標準語」と言うことなら・・・・・その昔の京都弁が標準語だった・・・・・・かもしれぬ。
昔、「湯屋」と江戸では言っていたが、「風呂屋」と呼ばれるようになったのは「京都の言葉」が入ってきたのだと。新しい標準語に負けず、がんばっているのだ。
ま、時代は変わり、「銭湯」になり・・・・・・それもなくなりつつある。
古いアルバムを開いていたら、探したものは出ず・・・・なつかしい物が出て来た。
これは高校の時、市報に掲載されたカットだ。丑年と言うことだろう。昭和の三十年代だ。
こういう米俵を使っていたころだ。
次は高校・・・確か三年だと思うが県で一位になったポスターだ。
校長室に呼ばれて賞品を受け取ったのを覚えている。
きっと今の高校生はしゃれたデザインをするでしょうね。
これは高校の時、市報に掲載されたカットだ。丑年と言うことだろう。昭和の三十年代だ。
こういう米俵を使っていたころだ。
次は高校・・・確か三年だと思うが県で一位になったポスターだ。
校長室に呼ばれて賞品を受け取ったのを覚えている。
きっと今の高校生はしゃれたデザインをするでしょうね。
昨日にあたる十四日、赤穂浪士の討ち入り決行の日だ。
私のうまれたところでは俗に「あかみの一揆」という農民一揆がおきた。こちらは江戸の末期だ。
なぜ、同じ日か・・・・やはり一揆といってもそれなりのリーダーがいなくてはならない。
その人が日をあわせたのでは、ないだろうか。
私の生家は昔庄屋をやっていたので、たたきこわしの目にあっている。山の木を切って越後に出してもうけたというのが理由らしい。私の祖先はそれは領主の仰せで自分のせいではないと反論している。
こういう記録が鮮明に残っているのは「六角鬼洞」と言う人がいたからだ。この人は諏訪藩の人だが、意見があわず大町にきていてこの事件にあったのだ。今でいうレポライターみたいなもんだった。大声で叫ぶデモはテロと根源がにてると言った人がいたが、こちらは盗みなどもあったり最後は日頃のうっぷんばらしみたいだ。
私のうまれたところでは俗に「あかみの一揆」という農民一揆がおきた。こちらは江戸の末期だ。
なぜ、同じ日か・・・・やはり一揆といってもそれなりのリーダーがいなくてはならない。
その人が日をあわせたのでは、ないだろうか。
私の生家は昔庄屋をやっていたので、たたきこわしの目にあっている。山の木を切って越後に出してもうけたというのが理由らしい。私の祖先はそれは領主の仰せで自分のせいではないと反論している。
こういう記録が鮮明に残っているのは「六角鬼洞」と言う人がいたからだ。この人は諏訪藩の人だが、意見があわず大町にきていてこの事件にあったのだ。今でいうレポライターみたいなもんだった。大声で叫ぶデモはテロと根源がにてると言った人がいたが、こちらは盗みなどもあったり最後は日頃のうっぷんばらしみたいだ。
カレンダーを作り始めた。
三月まででちょいダウン。はやいもので明日は赤穂浪士の討ち入りの日だ。どおりでテレビで古い映画をやっていた。長谷川一男とか市川雷蔵の出てくる古いやつだ。
ことの流れの良し悪しはともかく集団でなだれ込む・・・乱暴な話だ。主君は病気であったせいとか、斬られた吉良は地元では良君だったとか。仇討が武士の面目とか、幕府へのあてつけとか。・・・・・きっと芝居でかなり仕立て上げられたのだろうか。・・・・・・・そういう時代だったのだ。
隣りの国では処刑があったようだ。
うら寂しい寒風が吹く。
三月まででちょいダウン。はやいもので明日は赤穂浪士の討ち入りの日だ。どおりでテレビで古い映画をやっていた。長谷川一男とか市川雷蔵の出てくる古いやつだ。
ことの流れの良し悪しはともかく集団でなだれ込む・・・乱暴な話だ。主君は病気であったせいとか、斬られた吉良は地元では良君だったとか。仇討が武士の面目とか、幕府へのあてつけとか。・・・・・きっと芝居でかなり仕立て上げられたのだろうか。・・・・・・・そういう時代だったのだ。
隣りの国では処刑があったようだ。
うら寂しい寒風が吹く。
これは大阪道頓堀の夜景である。夜の風景などやったことがない・・・・・・
ちょい不満足。あの強烈な雰囲気が出てない・・・・・
ここではネギ焼き1500円。道頓堀焼き1550円であった。
けど家でやるのと違って軽くいい味だった。
道頓堀・・・彫なおしだ。
次は製作中カレンダー・・・・・・・すみつぼを入れてみた。
かかなか、古い木製のは見られなくなりましたね。