武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

なぜ今青虫なのか?

2013年05月31日 | Weblog
版画をやってもうまくいかないので、気分転換に「青むし」に挑戦してみた。
丸太を輪切りにして少し曲がった針金を通し回す・・・・・一応、グネグネとした動きをする。
幼稚園の新任研修に呼ばれているので、今度持っていくかーーーーーー。

ばら

2013年05月29日 | Weblog
その漢字はなかなか書けない。次回の句会の兼題は「ばら」だそうだ。
それもいいだろう。
新しい視点がなくなる・・・・そういうのは年代のかたまりだろうか。「母」とか「ふるさと」が入ってくると点が高くなるのがわが会だ。

朝日新聞の地方版に短歌が載った。今度は直されてなかった。佳作であったので、もう一歩つきぬけ入選といきたい。

ひさしぶりに雨が来た。せっせと水をやっていた作物もこれで根ずくだろう。常念の雪はまだ見える。地元の人は、それを見て「今年はなーー」という。雪が多いのだ。自然にオンチな私目は「そうかな程度だ」

江戸川あらんぽ

2013年05月27日 | Weblog

江戸川乱歩の傑作作品集「赤い部屋」から、ヒントいただいた。江戸川乱歩と言えばこの世界では神様みたいな人。小さい頃には名探偵明智小五郎など・・・・・おもしろかった。
しかし、時代には勝てない・・・今や古典だ。
こういう時代に読めば、また魅力的だ。
時代のにおいがして懐かしい。
温故知新だ

初恋

2013年05月26日 | Weblog

「まだあげそめし前髪の・・・・」と歌ったのはあの島崎藤村だった。
りんごに小さな白い花の下で恋がめばえたのだ。・・・・・・よき時代は去って・・・・今年は霜のせいで花がやられたようだ。そうなると実がならないのだ。毎年、摘花の農作業を手伝っていた中学が今年はやめたとか。
花が咲かないと初恋もない。恋がなければ子どもできない。子どもがなければ高齢者社会が進む。・・・・そういう連鎖で社会は進む。

サーサーサ――――

2013年05月25日 | Weblog

パリで世界選手権があったようだ。日本女子団は惨敗らしい。
サーこれからどうなるか。強敵中国打倒の目標の前に、シンガポールとか韓国とか北朝鮮に足もとをくずされたらしい。「サー」とか相手側が言っていた。
福原愛ちゃんも渋い顔だ。では意味不明ながら中国の風景を。

あの山頭火の旅

2013年05月24日 | Weblog
頃は昭和十五年。5月末。山頭火最後の旅に中国、九州に出る。その頃の俳句が

風は初夏の、さつそうとしてあるけ




前年の十四年には、信濃路を歩いている。5月である。静岡から飯田、伊那、木曽へと・・・・伊那では井上井月のお墓に手をあわせている。

お墓したしくお酒をそそぐ

ま、五月も終わり・・・・そういう気分だ。

日本の方言

2013年05月23日 | Weblog
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版画家の佐藤米次郎さんの「青森ことば」をまねして、「小谷の方言」豆本を作った。
この集録されたものは、大正年間だ・・・・すっかり標準語が横行し、こういう言葉は完全に消えた。
それはそれで時代の流れだ。よその村のニュ―スがゆっくり伝わってくる時代ではなくなった。大学の時、東北から来ていた彼がいて・・・・東北弁にすっかり面くらったおぼえがある。そういうことはもうないだろう。

写真の黒いのが「牛」。当時幼児語だと「べえぼ」と言った。「ごって」は牡牛。牝牛は「うなめ」と言った。
白い鳥は「雷鳥」。その名の以前は、たんなる「岳鳥」と呼ばれていた。・・・・山に仕事じゃなくて、登山と言う娯楽が出てきて、しゃれた名前になった?

戦争をしらない大人たち

2013年05月21日 | Weblog

5月20日は私目の誕生日である。
この日は父と母の結婚した日であり、その後、父は出征したのだ。その間に私は生まれた。戦争の真っ最中のことである。2歳の時戦争は終わった。父は幸いに生きて帰れた。
私の同級生の中にはお父さん帰らない人もいた。私の叔父も帰らなかった。

そうかといって戦争を知ってるかといえば知らない。あまりにも小さくて記憶に残らない。
昔「戦争を知らないこどもたち」と言う歌があった。それはそれとして私よりも年代の若い人たちが世のトップにたっている。いろいろしゃべりまくって混乱を起こしている。この方々も実感的に戦争を知らない。戦争を知らない人たちが大半になる時がいずれくるのだ。

文部省のおすすめ

2013年05月17日 | Weblog

文部省唱歌と言う歌があった。
これもそうである。「村の鍛冶屋だ」。当然こういう職業はなくなっており、知らない人も多い。
♬しばしも休まず槌うち・・・という出だしだ。歌詞の中に「ふいご」とか「ゆだま」とか懐かしい言葉がちりばめれている。さすが文部省唱歌だ。
昔はどの村にも一軒あった。それを商売にしてる場合もあったが、本業はちがう場合もあった。農具の鎌や鍬を真っ赤にやき、たたき、成形し使えるようにしたのだ。
当然、無口でがんこ者というのが相場だが、それはそれでまったくちがう性格の人もいたのだーーーーー

畑作3年目

2013年05月16日 | Weblog

こう暑くては野菜よりもこっちがたまらない。ナスやトマトは別にあわてることはない。土があったかくなるまでやるな・・・そういわれても店屋に苗が並ぶ・・・もたもたとしてると売り切れるという不安感から・・・・ナス、トマトを植えた。去年植えて評判だった赤くオクラも植えた。結構早い時期に種まいた「春菊」を収穫した。そこで腹に入る前にパチリ。ほっておくと菊と言うくらいだから黄色い花が咲く・・・・

手ぬぐいのデザインを頼まれたので描いて送った。絵だけつまらないので戯れ歌をつけた。ま、いいだろう。・・・・あちらは首をひねってるかも。