武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

DIY

2007年08月31日 | Weblog
テレビでやっているのを参考に
物置にほってあった椅子をリホームしました。
ブラウン色に塗って、布をはりかえました。
思ったわりにスムースにできました。布を張るのは難敵とおもいましたが・・・
まーまーかな。

農事ー俗信

2007年08月30日 | Weblog
   
俗信 一本苗を植えると罪になる。
   四月九日に種をまくものでない。
   ツバメの巣にわらが下がれば豊作。
   柿をとってもひとつだけは木守として残しておくもんだ。
諺  桜きる馬鹿梅きらぬ馬鹿。
   ねぎは人影もきらう。

   あの暑さも忘れそうなこの頃です。

フィセント・ファン・ゴッホ

2007年08月29日 | Weblog
ゴッホといえば「ひまわりの絵」を思い出します。うちの庭のひまわりもいよいよかたむきだした。
「ゴッホのひまわり」を何十億とか昔ニュースさわがしました。生前、絵が一枚しか売れないゴッホは驚いているだろう。
1853年生まれ1890年没。なくなった頃の日本は明治時代。日清戦争が1894年です。

高校時代から、タッチなど真似しながら油絵を描いてましたね。日本人好みの画家で、ドラマチックな生涯をおくった芸術家にひかれる人が多いかもしれません。
はげしい生き方に「赤」を前面に出しゴッホの顔を中央においてみました。

かんぴょう

2007年08月28日 | Weblog
かんぴょうをふたたび。
わたしの生まれ育った小谷村で、昭和24年ごろ小学校にあがったわけです。(分教場で同級生は10人でした。)
そのころは車道もでき、車もきて食も変わってきた時期でしたが、かんぴょう、野菜の漬物、なすのきりぼし、ささげをゆでて干したものなど貴重な保存食でした。今みたいにきゅうりが年中あるなどなかった時代ですから・・・・魚などもひだら、みがきにしん、ひらき、昆布など(刺身などとんでもない。)
田植え時には「ひらき」を用意して「運がひらく」と縁起をかついで食べました。


保存食といえば、栃の実など皮がかたくて虫のはいらないものは、昔飢饉に備えての貴重な食だったとか。江戸時代の話ですが・・・

少年期

2007年08月27日 | Weblog
昨日、わたくしの小さな頃を知っている方におあいしました。お話していると、わたくしがその頃「この位だった」と背丈をしめしてくれた感じでは、小学校3,4年位かと思いました。
その頃のわたしといえば、村にようやく車道があきトラックの排気の匂いをみんなでかぎまわって「いいにおいだ」と吸い合いしてました。そんな時代です。

まだ世の中は写真でパチリという状態でないのでわたしのこのころの写真はほとんどありません。
ただ1枚あるのをもとに彫った作品です。一応、暗い表情ですが、自画像と思ってください。
なぜかいつもズボンにお守りをぶる下げてとびまわっていました。

この夏最大の傑作

2007年08月26日 | Weblog
夕顔をもらったのですが、食べきれない
ので干瓢にしました。
昔、祖母や母が戸溝を利用して
作っていたのを思い出し作ってみました。
このところの猛暑でばっちり乾燥しました。
乾かしている時、昨年度の育成会長がきて
「少し厚いですよね」とかのたまっていましたが、
乾燥してしまえば、どうってことありません。
昔、干瓢にしたり、中をくりぬいて野菜の種を
保存する入れ物にもしてましたね。

とんぼの落としもの

2007年08月25日 | Weblog
今日は午後から育成会の役員の皆さんと
宿泊学習の下見に「あずみの公園」に行って
きました。
ちょうど、この作品が公園に飾ってある時期
に行くことになりました。

ちょい反省の多い作品ですが・・・・もう少し
構成に変化をつけた方がなどと思っています。


ペーパーの動物たち

2007年08月24日 | Weblog
ワークショップが近いので見本といおうか
「やってみよう」という興味がわいて
くださるよう作ってみました。
これ以上貼ると、ぐちゃぐちゃに
なりそうなのでここでとめました。

暑いと手がべたべたしてたいへん
ですけど・・・・

過疎

2007年08月22日 | Weblog
そういう言葉は好きでないけど
現実は避けようもない。
この家は昔、かやぶき。
それがトタンぶきになって・・・
やがて、ついに空き家になった。
遠くにみえる新潟の山だけは変わらない。

ひとつひとつの思い出が消えていく。
歴史というものはそういうものなのか。