武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

いよいよ一ヶ月

2015年04月30日 | Weblog
五月いっぱい展示会。前日なので準備する。会場のすぐ裏の家に教え子がお嫁さんに来ていることが判明。訪れるとおいでになり、久しぶりに対面。会場は小さな陶器屋さんの二階。


暑いから岳の雪解けもはやいだろう。昔作った山岳の版画をながめる。
常念と鹿島だ。
ヒマラヤとは比べられないが、こういうところで地震にあうのもこわいことである。

おっかさん

2015年04月27日 | Weblog


店屋に行くと母の日が近いらしく用意をしてる。

「おかあさん」と言う言葉は案外新しく、明治後半にできたらしい。それ以前は士族階級では「オカカ様」と言い、町人階級では「おっかさん」と言っていた。

その中間から生まれた言葉であるそうだ。

山頭火春を行く

2015年04月26日 | Weblog


自由律の俳人山頭火はこの5月の連休に伊那から木曽から旅している。
と言っても昭和十四年だから、ゴールデンウイークなどでもないし、木曽路もさびれた町並みで現在みたいに観光客などみられない。

さくらはすっかリ葉桜となりて月夜

山ふかくして白い花

小さきもの

2015年04月25日 | Weblog
小さきものは眼にこたえる。
と思いつつ作る。

八十八夜も近い。「八十八夜の別れ霜」と言って霜も降りなくなる季節だ。「八十八夜の忘れ霜」と言うものある。
油断すると、急に寒くなり霜が降る・・・・・こともある。

駄菓子屋さん

2015年04月21日 | Weblog


穂高の神社近くの駄菓子屋さんをモデルに彫る。
今川焼の旗を出し、親父さんが焼いていた。
こういう風景は昭和の定番のように出てくる。

しかしながら店のない山奥で育った私には店という存在があると
言うことを知ったのは、かなり大きくなってからだ・・
ゆえに駄菓子屋などお世話になったことはない。

江戸からの影絵

2015年04月20日 | Weblog
影絵の数枚で豆本を思いつく。



ごくごく見かける昔から影絵であるが、現在はチョイないので懐かしさを感じる。
こう世の中が明るいと、影絵も消えざるをえない。先週東京という都市に行ったが、こんなに電力を使っていいのか・・・どこで電力を作るのだと考えてしまう。

じゃじゃじゃ

2015年04月19日 | Weblog

久しぶりにパソコンを開く。
5月から頼まれていた展覧会の電話がきて。・・・・ややあせり気味。

ポスターとはがきを作る。


それが終って「蔵書票」を10枚ほど作る予定。予定は予定にあらず。

チョイしゃれてみた。センスがないな・・・・・

あかげらだ。ま良いだろう。

燕だ。たんぼの上を飛ぶところだ・・・・・いまいち。

こりやーーりんごだ。もう少し黒い線を削るべきだった。

こどもの遊び・・・・2

2015年04月11日 | Weblog


凧揚げなどすっかり消えた風物詩。
しかし、凧はどこでもあがるものではない。
わたしの生まれたところは小さな盆地状態で、風がうずまくので凧はあがらない。
だから、この安曇野に住むようになって子どもと凧をあげるのは爽快だった、




手玉は女の子の遊び。小豆がはいってるとは
ね。

こどもの遊び・・・・2

2015年04月11日 | Weblog


凧揚げなどすっかり消えた風物詩。
しかし、凧はどこでもあがるものではない。
わたしの生まれたところは小さな盆地状態で、風がうずまくので凧はあがらない。
だから、この安曇野に住むようになって子どもと凧をあげるのは爽快だった、




手玉は女の子の遊び。小豆がはいってるとは
ね。

マンガ家青春トキワ荘

2015年04月10日 | Weblog
このアパートに未来の若きマンガ家が寝泊まりし、マンガ家としてスタートをきった話は有名である。
手塚治虫とか赤塚不二夫、石の森章太郎などだ。
しかし、石ノ森章太郎が入居した時には手塚治虫は出た後だったとか。出入りがあったのだ。

そこに住んで有名になったマンガ家が書いたのではなく、当時、そこの住みながらマンガ家にまだなれない方が見たことを書いた本がこれである。有名になった人と視点が違うのでおもしろい。

これを手に入れ読んでみる。このジョージさんは、知ってる人は知ってる・・・有名と言うとチョイだけど・・・・最近文字絵で海外で受けている。
このアパートでは石ノ森章太郎のアシスタントをしていた。石ノ森章太郎の書いた文章には、トキワ荘の住人としてカウントされてない。



これは台湾で発行された「鉄腕アトム」。手塚さんは私の代表作のように言われるのに困惑してたとか。



赤塚不二夫。最初はこのアパートのころげこみ石ノ森さんの手伝いをしていた。

後に有名になり、アシスタントをしていた北見さんは「釣りバカ日記」の原作者であるそうだ。