武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

万歳の国

2017年09月29日 | Weblog
議員が万歳して解散した。
なんで万歳などするのか。新聞では皮肉っていた。

もともと明治22年2月11日。
天皇を迎えるにあたって帝国大学では奉祝の声をあげたいと考えたものだ。

こどもの頃は運動会などでわけがわからす叫んでいた。
大人になっても飲み会など最後を叫んでいた。

からすが鳴くと人が死ぬ

2017年09月28日 | Weblog
カラスがくるみを運んで駐車場に置き、車がくるのをまっている。
利口なものだ。みならいたい。

昔、「カラスが鳴くと人が死ぬ」と言われていた。
昔、人が死ぬと葬式団子を墓にそなえた。カラスにとっておいしいエサだ。けど人間はいい気なものでカラスと死をむすびつけた。
カラスの黒さも死にむすびつけるにイイ色だ。

まったく、人間の勝手のつくりごとだ。

かあ、かああ

にわとりとひつじ

2017年09月27日 | Weblog
田舎ではどの家も鶏を飼っており、卵が貴重な栄養源だった。産まなくなると首をはね、肉をいただく。当然老体だから肉はかたい。
中にはキツネにさらわられることもある。

ひつじはメンヨウと言っており、田舎では飼われていた。これは毛を刈り取ってセーターなどにした。私の小さい頃のセーター靴下は皆羊毛だ。
性質は温厚であつかいやすい家畜だった。オスの方はすごいマキガイみたいな角をもっており、機嫌が悪いと向かってきた。逃げる時、おしりに一発くらった思い出がある。

1956年

2017年09月26日 | Weblog
この年の正月に売りだされた学習雑誌だ。部屋の整理してたら、つい手に取ってしまい整理はDOWN。
当然わたしは小学校三年。
雑誌の中からヒラヒラと折り紙がでてきた。

数十年もこの雑誌の中でねむっていたのだ。色もあせてない。ただし私が折っていたかは不明。
当時の紙は現在ほど上質ではないと思っていたが、結構しっかりしていた。よく考えると色紙を最近使用するのは100ショップだから、こちらの方が質が落ちるはな・・・・

雑誌の中には川上四郎のさし絵がある。興味がない方はごぞんじないが、越後湯澤の童画家だ。
当時は童画家という言葉はない。当時はまだそんなに有名でないはずだ。
同じく武井武雄のさし絵もある。

今、思えばそうとうな人たちのさし絵だ。

自然のかたち

2017年09月13日 | Weblog


右から二番目にあるのは「ヒオウギ」。
花は落ちて種子だけ残る。これは「ヌバタマ」と名がつく。
この花も可憐である。身全体が平面で四方八方に育たない。だから扇に似てるのだ。
「カラスノオウギ」とかの別名もある。
いろいろな形態が植物にあるが、自然の造形にはかなわない。

右端はヒルガオ、左端はイヌダテ。

2017年09月08日 | Weblog
駅という言葉はなんとなく響きがいい。
ステーションというのもいい。

これはハンガリーの駅がモデルである。あちら・・ヨーロッパの駅は天井が高く広々している。特に日本のように島国でないので国際線が乗り込みがあり・・・そういうせいでもないか。

中国へ行った時、トラックなどがホームに入ってくるにはビックリした。

ま、世界は広い・・・・・・・

日本植物伝

2017年09月01日 | Weblog
いよいよ栗の青が目に染みる。
あの青は秋だ。

ホタル袋だ。色もいろいろあるらしい。ホタルも最近見ないし、この植物も店に出てるので
園芸化してるらしい。

田んぼをのぞくと小さな花を咲かせている。アギナシとかいうが・・・・似てるのにオモダカというのもある。

多分、昔から日本にあったものだろう。最近帰化植物がでかい態度をしてるので、かよわい植物などは隅におわれるなあ。