武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

甘酒

2014年11月30日 | Weblog


この瓶に入ってる液体は「あまざけ」である。もちろん私が作ったわけではない。私は味見が本職である。

昔彫った甘酒の版画があった。むかしは掘りごたつの中にカメにいれた甘酒が保温されていた。こっそりいただくのもおいしいものだ。

甘酒は冬場のものと思いがちだが、甘酒売りは夏の風物詩であったらしい。俳句で言ったら夏の季語だ。
酒つくりは冬場だ。・・・・夏のアルバイト的に作ったとか。
栄養素が高いので、昔の夏バテ食品だったとか。

ほんまモン

2014年11月29日 | Weblog
いろいろ本をみたりしてやってるが、やっぱりホンマモンを見ないと。ワークショップで東京にでかけるズクもないので一冊手に入れた。

新美南吉さんの短編である。これが消しゴム版画で文字やイラストが彫られ、手刷で仕上げてある。印刷でないのが、これまたイイが。
ここまでに迫るには・・・・かなりの年月と才が必要だな。

これだけのものも作る集中力も・・・・・・・・


ちょい名刺半分くらいに試し彫りをしてみた。このような陰彫りならナントカ。
これが陽だと・・・・・限界です。

あわただしき師走くる

2014年11月28日 | Weblog
歳があければ展覧会がある。この用意と公募展の準備があるので、のんびりしてられないな。
と言っても師走は師走で腰を落ち着けないだろう。
・・・・ということで一気に年賀状を220枚刷った。かなりの省エネで、最近になく手抜きである。

小さな頃消えかかっていた「鳥追いの行事」だ。手にもっているのは何か?そう問われた。これは簡単に言うと木製のスプーンである。かなり大きい。当時ミソにしろ何にしろ大きな釜でやっていた。そこで撹拌などに使った匙だ。これをたたいて鳥を追う。冬だから鳥もやたらにいるわけでもないが、春に来て畑の蒔いた種ほじくくな。・・・・という行事。だいたい15日の夜にやった。

それを一応終わりにして。ちょいでかい70×50位の版画の下絵を描く。
ものの材質感にこだわって・・・・と思っていたら動物の「さい」がゴツゴツしてていけそうと思い挑戦。

皮膚の表面は感じを出すためアルフアベットで描いてみた。拡大してみるとわかると思いますが・・・・・・

神々の大根

2014年11月26日 | Weblog
対馬では韓国の窃盗団が仏像を盗んだと報じていた。捕まったがこのい仏像は韓国にあったものだとかで、返還がこじれているという。ま、対馬のすぐ先は韓国だ。国国と境を引く前から交流がさかんで、仏像などわたってきたり、対馬からもあちらに渡ってるものもあるのではなかろうか。
日本にも多くの渡来人があって仏教文化が栄えたのだし・・・・大英博物館のエジプトの遺跡を見て、返せ――とエジプトの人は思うだろうな。

そんなことで今日の話題は大根だ。
これは我が畑で獲れた大根だ。大根は俳句でいうと「冬」。・・・・今や春から大根が店に並ぶ。わが農業は
ろくに耕さないで種を蒔いているせいで、大根はスナオに伸びきれずこういう形になる。
この大根は日本では神々への供物として大事だ。これが田舎にいくほど価値がある。お月様などにあげる。
そこで話はだんだんそれていく。


日本には多くの神様がいて、そこらやたらに神社がある。なお新興の宗教まがいもある。
昔からお供え物はどの神も必要らしい。
神職のいない神社のお供え物は出来あいのものが多いが、裕福な神社などにおすまいの神々には四季の産物が供えられる。これを神様の食卓は「神饌料理」と言う。
米粒一個一個に色をにり、目でも楽しませる豪華な料理など、それはある造形美だ。興味のある人は、そこをのぞくと面白い。その後誰か食べるのかという疑問を持つ人はいかないことだ。天罰が来る。

千葉のある神社ではお供えをする時、神様の嫌いな「キュウリ」は神職も氏子も食べないという風習が残っているとか。(神様はキュウリが嫌いなんだ・・・・・・)

すべて神聖なことなので、ワイワイ私みたいに外野でいろいろ言わないことだ。

漱石忌

2014年11月25日 | Weblog
十二月にはいれば漱石忌がある。
たたかれ朝日新聞は「三四郎」などを再度掲載している。
やはり文豪なる人の文章は古今人を引き付けるのだろう。
やはり朝日ではノーベル賞ここのところ候補どまりの村上春樹を英訳するルービンさんを紹介していた。村上春樹の作品はこれまた人を引き付ける魅力があると・・・・・・むかし「ノルエーの森」を読んだがよくわかりません。
もとにもどって夏目漱石・・・・・新語を遣ったり講義してたとか。今だとどーこーないが「野次をとばす」ことをを「野次る」と言い始めたのは漱石とか。こういうのを遣って人をけむにまいたらしい。
「吾輩は猫で・・・・」に魚のサンマを三馬とか書いてあったような覚えがある。これも漱石一流のケム仕事かな。
なお、この版画は漱石にはまったく関係ない山仕事のシリーズなのであります。

高倉健とカエルあそび

2014年11月24日 | Weblog
高倉健さんが亡くなってテレビでは映画など放送している。
あの「網走番外地」の頃も映画を見ることはなかった。金がなかったのか・・・きっとそうかもしれない。
他の「幸福の黄色いハンカチ・・・」なども後年テレビでみた。若い頃は映画は縁遠い生活だったのだろうか。
映画を初公開する時「封切り」とかいう言葉がある。かなりおもしろい言葉だ。どこから出た言葉だろうか。
ま、そういうことで「十二月一日」は映画の日だ。

すじ彫りで彫ってみた。ちょい黒が多くなるので暗いかなーーーーーー
蛙のお尻にストローをいれてふくらます図だ。
わたしはこんな残酷な遊びはしたことがない。あの頃ストローなどなかったので麦のくだが太さ的にはピッタリだ。
あれ・・・そうすると私もやったのだろうか。

そんなにはやくどこいくの

2014年11月23日 | Weblog

この版画は忠臣蔵の幕開け・・・・松の廊下の事件である。
なぜ鉄道が出てくるかというと「鉄道唱歌」で泉岳寺が詠われているから・・・・
これは大和田建樹と言う方が作詞をしている。新橋を出て品川・大森・・・・・横浜・・・延延と神戸まで66番だ。とんでもない長さだけど、物語があるわけでない。

「地理教育・鉄道唱歌」としているから歌で沿線の地理を覚えさせようとした力作だ。もともと日本人はこういう形のものを好んだらしい。
 「道行き文」と言う分野もある。その形を使って地理教育をしたのだろうか。
浮世絵の「東海道五十三次」などもそれだろう。県歌「信濃の国」もそういうことではないでしょうか。

ま、現代鉄道唱歌は新幹線やリニアとか言ってもシュッポシュッポの時代ではないらしい。そんなに早くどこへ行く・・・・・そんな心境だ。