武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

あの頃のできごと

2010年04月30日 | Weblog
朝のドラマの「ゲゲゲの女房」が昭和30年ごろの東京生活をやっていた。昭和30年と言えば私は12歳ごろである。山奥の村の一少年であったのだ。数年前に道が開き材木運ぶトラックが入ってきて、ようやく外の空気が入って来た時代である。農協の店もできキャラメルなど少し売っていた。買えば甘い物も手に入るようになったが、しかし、こずかいというしきたりはなく、腹がへると大半は桑の実とか柿など自然物がおやつみたいなものだった。甘い物へのあこがれはそうとう強かったのだろう。この記憶は鮮明だ。
小学校の低学年。村のはずれの家でバアサンが飴を作っていた。飴の紙を拾っていくとぺっぺと飴をのばして飴玉をくれた。その飴紙はきれいなものでなければいけなかった。紙は再利用していたのか不明。中学生になった頃、家ごとなくなっていた。なぜか頭の隅に残る一場面。

昔は天皇誕生日だった・・・

2010年04月29日 | Weblog


昨日
今年はじめてウグイスの鳴き声を近所で聞いた。なかなかうまく鳴いていた。かなりよそで鳴きなれた声だ。神社の遷宮祭とかで寄付に来られた。この方たちは私が自治会長だった時、役員をお願いした方だ。真っ先にきた。寄付帳に真っ先に金額を書くには、後の方の目安だからあちらにもねらいがある。こちらも作戦には乗らない。
役員の方はどの位出すか聞いたら、べらぼうに高かった。申し訳ないですが・・・・
何かと会費とかなんとか集金が多い・・・・・。

親子の情

2010年04月28日 | Weblog
朱鷺がテンに襲われ外敵の対策が甘いとか会議をしている。テンはもともと野ウサギ駆除で放ったものだ。テンもどれを襲えば喜ばれるか考えないといけない。
最近は朱鷺が巣から卵を放ったとかで、やきもきしている。鳥に限らず動物の親子の関係はシビアで「ライオンが子どもを谷に落とし鍛錬をする」という話は、自分の地位を確保するために蹴落とすので人間が教訓にする話ではない。動物は親子と言えども、自分は自分なのだ。
夜、角田光代さんの原作ドラマ「八日目の蝉」を見る。ごく簡単にいうと、さらった子どもと暮らす女性の話だ。

子守唄

2010年04月27日 | Weblog
昔は子守は子どもの仕事であった。特に農繁期は大事な役目だった。私は長男であったので子守は裏の姉さんがやってくれた。小さいので記憶ないが年齢でいうと、私が2,3才の頃姉さんは小学生だったと思う。
後年飛騨の高山に嫁に行った。お盆などに帰省してきた会うと「大きくなったな。子守の時は頭が大きくて重かった。」と言っていた。

犬のプライバシー

2010年04月26日 | Weblog
狂犬病の注射があった。通知のハガキには黒いシールがはってあり犬のプライバシーも守られていた。お見事。
我が家の老犬は臆病なので、暴れるので車の中で横を向いたところでブスリとしてもらった。東南アジアで犬にかまれてえらい目にあった人の話も聞いた

春惜しむ・・・

2010年04月25日 | Weblog

どろの中から芽をだしているのが、水芭蕉である。Aさんから種でいただいて、育てている。正確に言うと水が枯れないようにほってあるだけ。
句会があった。兼題は「春惜しむ」であった。俳句は季節の先読みとか言われるが、まだ十分春の実感がないので春惜しむはないな。・・・と思いつつ。
塩の道祭りの「のぼり」ができたのだ。小さく書いたのを大きく染めたので、どうなるかと思っていたがなんとか様になっている。最初は「水芭蕉」でなく「牛」をいれたが都会からくる人が「牛」と言ってもピンとこないと言われ「水芭蕉」に買えてみた。

こうもりの果て・・・

2010年04月24日 | Weblog

この雨と寒さのためなのか、高度のレーダーをもった「こうもり」も庭でダウンしていた。かすかに動いて御存命中であった。
もう一枚は最近買ったばかりの「こうもり」である。だいたい置忘れで、新規になるパターンだ。東南アジアの国では、こうもりの骨を研いで彫刻刀替わりで木彫を彫ったりしてると聞いたことがある。古タイヤも「ぞうり」になったりするという。新しいものがすぐ手に入る環境にいれば、こういう考えは浮かばない。

青鬼集落

2010年04月23日 | Weblog

この集落は国道沿いからは見えない。川を越え山を越えはいっていくと現われる。ここから峠づたいに戸隠・鬼無里から善光寺につながっていたらしい。青い鬼と書き「あおに」と読む。長い風雪に耐え、屋根はトタンでかぶせ壁板は新しく黒ぽく塗ってある。観光客が来るようになって少し様変わりしたようだ。古き時代を感じるには雪景色と雪を降らしてみた。又、ここの神社は歴史を感じさせられる風格があった。かって集落の祭事には人々が寄り集まったのだろう。訪れると、棚田などもあり時が止まったようにも感じる場所である。

一本の鉛筆が・・・

2010年04月22日 | Weblog
版画協会の事務局の引継ぎが終え、邪魔者扱いされていた物品がなくなりスッキリした。その代わりではないが会長職にまつりあげられた。
公民館や退公連の綴りもなくなりスッキリ。行き会う人に「公民館に行ってもいないので寂しい」とか慰められ、「気張っていたから止めたらガクッときてるでしょう」と言われてもそうでもない。
話変わって音楽家・狭間さんのコンサートのチラシのイラストを頼まれて描いて送った。「いいです。」と言う意味の電話がきた。「だめだ」とか言わないでしょ。・・・というコメントも隣から聞こえてきた。広島に五輪を・・というのがテーマだそうだ。

すり師

2010年04月21日 | Weblog
塩の道祭りに「牛方の宿」に展示する版画を刷った。大判なのでさすが億劫になっていた。版画を始める人には「刷って紙をめくる時のドキドキ感が版画も面白さですね」とか言ってるが体力のいる大判はそうでもない感じがする。江戸時代には刷り専門の「刷り師」がいた。この技術はとんでもない高い技術だ。遠くおよばないはるかかなたの世界からのつぶやきです。