朝のドラマの「ゲゲゲの女房」が昭和30年ごろの東京生活をやっていた。昭和30年と言えば私は12歳ごろである。山奥の村の一少年であったのだ。数年前に道が開き材木運ぶトラックが入ってきて、ようやく外の空気が入って来た時代である。農協の店もできキャラメルなど少し売っていた。買えば甘い物も手に入るようになったが、しかし、こずかいというしきたりはなく、腹がへると大半は桑の実とか柿など自然物がおやつみたいなものだった。甘い物へのあこがれはそうとう強かったのだろう。この記憶は鮮明だ。
小学校の低学年。村のはずれの家でバアサンが飴を作っていた。飴の紙を拾っていくとぺっぺと飴をのばして飴玉をくれた。その飴紙はきれいなものでなければいけなかった。紙は再利用していたのか不明。中学生になった頃、家ごとなくなっていた。なぜか頭の隅に残る一場面。
小学校の低学年。村のはずれの家でバアサンが飴を作っていた。飴の紙を拾っていくとぺっぺと飴をのばして飴玉をくれた。その飴紙はきれいなものでなければいけなかった。紙は再利用していたのか不明。中学生になった頃、家ごとなくなっていた。なぜか頭の隅に残る一場面。