武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

展覧会あり

2008年06月30日 | Weblog
東京の娘がはやばやポスターと案内はがきを作ってくれた。
今日の雨で地区対抗野球大会中止となったので、がんばりどころであったが
遅遅として進まない。
夜は会議続きで七月に入ればと思うが、そうでもなさそうだ。

さよならと梅雨の車窓に指で書く

こんな句でも作りたい心境です。

森のできごと

2008年06月29日 | Weblog
ブナの木はヨーロッパでは「森林の母」である。ブナはくさりやすいし使いみちはは少ない。育ちは杉の二倍。そうすると林業上採算のとれないブナは切り、針葉樹を植えたりする。これが熊などにも影響がでて、熊が人里に出てくる。
自然林はそれぞれ自然の力になっているから、それを切り替えると影響が出るのはあたりまえかも。
山のブナ林ができるのはシラカバが育ってきて日陰ができると、その下でブナの幼木が育ってシラカバを越えて育つという。そんな関係もあるそうだ。

この版画は杉で彫ってみた。


明治天皇

2008年06月28日 | Weblog
昔、木曽でちょい(本当にちょい)手伝いをさせてもらった彫刻家の笹村草家人が明治天皇の像を造っておられた。よく写真でみるきびしい表情の、やや斜めで軍服姿であった。この句をみて、そんなことを思い出した。
私の祖父母の時代には、どの家にも額にいれた皇室の写真があった。私の家でも現在の天皇が結婚なさった時も、グラビアから切りぬいて額に入れていた。現在とは皇室に対する思いは随分ちがうと思う。
祖父母がなくなって、蔵の整理をしていたら天井から巻物が10本くらいつるしてあった。乾燥のためかねずみよけでつるしたのでしょう。これは鑑定団に出すくらいの・・・・と思って広げたら明治天皇とか昭憲皇后とか大正天皇もあったと思うが、掛け軸だった。

メタルレリーフ

2008年06月27日 | Weblog
幼稚園にたのまれた図工(幼稚園ではいわないかー)の試しをしてみた。そのひとつである。
子どもが作った風にしてみたが、これまた難しい。子どもの無垢な線と長年世間に染まった有垢人間の線の差だ。

アルミホイルの上に色をこすりつけていき、深い色合いがねらいだ。
でも、どうなるやら。今度も予測してないことが出て反省するパターンかな。

キムチ

2008年06月26日 | Weblog
なんとなくだるくピりッとしないのでキムチを食べる。
キムチは朝鮮語と認識していたが、東京の食の専門学校の生徒を対象に調査したところキムチは朝鮮語だと思っている若者は意外と少なく、年々それも減っているそうだ。完全に日本化しているのだ。ま、彼らの生まれた時にはキムチは商品として店頭に並んで日本の食卓の一員になっているのだ。

食の用具でも日本語の「なべ」は朝鮮語で「ナムビ」。日本に伝わって「ム」が欠けて「ナベ」になったそうだし、「釜」は「カマ」そのまま。
どっちにしろ昔から影響を受けた隣の親しい国なのだ。

そばとうどん

2008年06月25日 | Weblog
そば畑の花の白さは何ともいえない。赤そばも変わってていい。

食の分布でいうと浜名湖・日本アルプスのラインを境に東はそばを多く食べ、うどんは西が多く食べるそうだ。
そば畑は小さい頃は山にあり肥料はなくても育っていた。今みたいに身近な畑にはなかったな。そば粉が必要になったのか。畑をもてあましたのか・・・。

そば粉もうどん粉も輸入量が結構多いとか。

曽我の兄弟・・・・さつきやみ

2008年06月24日 | Weblog
曽我の兄弟といっても、なんだといわれそうですが・・・・講談本といって子どもの頃読んだもののひとつの話です。馬垣平九郎(漢字が違うかも)とか・・心が高まるものでした。江戸川乱歩の怪人二十面相なども人気でした。
その曽我の兄弟、十郎・五郎が富士の裾野で親のかたきを討つ話です。相手にきずかれないよう時を選びます。それには、ちょうど今ごろは「さつきやみ」といい
一年で一番暗い時期で、連日の梅雨で月も出ないし、月の出も遅い時期であるのでこの時を選んだとか。
そして親のかたき工藤祐経をみごと討つのです。

中国紀行・・・暮らしの水路

2008年06月23日 | Weblog
広い大陸の中で、オリンピックで沸き立つ都会とは関係ない奥地では独自の言語をもった少数民族が昔ながら暮らしているなど・・・・ラジオで放送していた。
全部聞いてないが中国は広大な大地であり,一色に染めるのは難しいのだろうと単純に考えている。

この版画は数年前、中国現地でスケッチして彫ったものですが、水面に高層ビルがうつっていたして古きものが消えようとしている。近代化という掛け声はとまらない。ビルをみても人々の生活の喜怒哀楽は感じられない。

木曽・上松の宿

2008年06月22日 | Weblog
ひさしぶりに上松を訪れた。昔、SLに乗ってこの駅に降り立ったのは昭和のオイルショックの前だった。なつかしい顔、顔に会うことができたが帰りは悲惨だった。雨で列車がとまり臨時列車に乗ったりし、ようやく松本に着き最後は松本から家までW嬢のだんなさんに送ってもらい、着いたら12時をこえていた。

朝、お土産にもらった「ほうばまき」を撮って、いただき疲れがぬけた。

登校・・・・小さな集会場の前で

2008年06月21日 | Weblog
色合いから版画にしてみたいと思っていた集会所です。田んぼと道路の間の狭い三角土地をぎりぎりに使った集会所ですが、昔はポツンと建っていました。現在は二階建ての建物がまわりにでき、すっかり埋もれてしまいました。
ちょうど、登校時とかさなり小学生が通りかかったので登場してもらいました。