武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

雪国だより

2016年01月30日 | Weblog


善知鳥峠のさし絵を描く。
雪景色は得意だ????
車も来ない雪国に育ったからな。



いろりなんて言わなくて「じろ」と言ってた・・・・かっての暖房。漢字では「地炉」だろうか。


菓子折りの底を確かむ事務所かな

日本神話伝

2016年01月28日 | Weblog


「因幡のしろうさぎ」など日本の歴史は神話からはじまっている。今年は皇紀何年・・・とかいう人もいるにはいるのだ。

昔の雑誌をみると、ウサギがだますのはサメでなくワニになっているさし絵がある。これは出雲の話だし、出雲にワニがいるわけない・・・・と思うが。

ところがあちらの方言ではワニというのはサメと呼ばれていたという。そこらを確認せずさし絵画家が描いたのだろうか。

どっちにしろ時代考証は大切なのだ。

もちをついたなら・・・

2016年01月27日 | Weblog


よその家に福寿草が黄色く咲きかけだった。この雪でしばらくは休息。旧暦の正月に咲くので「元日草」ともいい、縁起のいい花だ。寿命が長いので、これからだ。

細かいペン画は眼にこたえ、疲れる。・・・・・これもしばらく休息。

大相撲日本人場所終わる

2016年01月25日 | Weblog
この時間が結構楽しみでもあったが、終わってしまった。15日もはやいものだ。
郷土力士御嶽海もインフルエンザとかでパッとしない。

それでも「幕の内」に信州出身者がいると違うものだ。

ところでこの「幕の内」はどこから生まれたか?
昔、将軍が相撲上覧の際幕内に同候した力士のことと辞書に出ている。

歌舞伎の際、上演と上演の間を「幕の内」という。歌舞伎も古来民衆に人気があり、そこからたくさんの言葉が生れてる。「おまえの出る幕ではない」なども歌舞伎から発生した言葉だ。「十八番」などもそうだ。

ま、相撲も歌舞伎も日本にはかかせないものなのだ。

冬が来て・・・

2016年01月20日 | Weblog
ようやく冬らしい雪が降った。
これが災害につながるところは気の毒だ。

句会も近く苦闘の日々だ。
冬をつければ季語はきりがない。

冬苺、冬銀河、冬座敷、冬の鶯、冬の蝗・・・・・・

寒をつけてもやたらとある。
寒梅、寒参り,寒稽古・・・・・
これは季語だが、日常的にもこういうのは他の国にはあまりないらしい。

日本人の生活感が季節の変化で作られているところからであるそうだ。

塩の道石仏紀行

2016年01月17日 | Weblog
新潟の糸魚川から松本までの街道・・・・千国街道・・・俗に塩の道と言われる。
その通り、塩を運んだ道なのだ。
松本から少し先が塩尻市。ここまで塩が運ばれた最後ですよ・・・という意味かも知れぬ。

その街道筋の石仏は約一万あるといわれる。

その種類は道祖神、庚申塔、馬頭観音、猿田彦、蚕神、戸隠大権現などなどおびただしい。
文字など風雨で判明しないものもある・・・・・
このなかで腕をふるったのが「高遠の石工」である。高度な石を細工する技術をもった集団が高遠にいたのだ。
ただ石を彫ったものは風雨に摩耗される。石の目を読み、石を削った技の冴えあるものはいつまでたっても彫り跡は初々しい。
お寺にある石の灯籠もそうだ、ただ機械で形をとったものは永遠にもたないし気品がない。石の目を読み鑿で削ったものは見ただけで品がある。
檀家が宅地造成で増え、寺など改築している成金寺には、そういうものが多い。

村のはずれの・・・・・

2016年01月16日 | Weblog


苦労して描いた田舎の風景もクラシックすぎてボツ。
六地頭が村のはずれに立っている。旅人の安全を祈る意味だろう。
昔はきっと手を合わせ通るのが当たり前だったのだろう。

「六」は人間の死後落ち行く六の道だ。どの道に落ちるかは死んだ後なので知らない。
「六」という数字は何か意味がありそうだ。金沢の兼六公園の六も意味があるらしい。
最近、真田真田でうるさい六文銭も、なにか六にも意味があるのだろう。

そんなことしてるとロクな死に方をしない・・・・・と言われることは滅多にないが、このロクとは違うのであろう。

江戸化粧法研究

2016年01月12日 | Weblog
江戸の成人女性は「お歯黒」が化粧法であった。
明治時代に外交官として来日したアーネスト・サトウはこれには面くらったらしい。
サトウだけでなく外国人にとって相当寒気を誘ったらしい。
あのペリーは「恐ろしい習慣」と言った記録がある。

化粧法は、まず店で売ってるわけではないので手造りだ。古くぎなど集め米くずや水で数日かけて錆びさせる。この汁は黒でないのでフシ粉を歯に塗り、何度もさび汁を塗る。よく材料がわからないがそういうことらしい。これに三時間かかるという。

この化粧法によって日本の女性は接吻の機会をずいぶん減らしているとコメントした外国人もいたらしい。あっちにしてみたらチュウチュウは日常だからな。そこはちがうのだ。

なお顔は当時かなり白の厚塗りで、外国人にとって驚きだったらしい。
厚塗りで表情の変化を見せないというのが日本だから・・・・。
外国の基準は眼がパッチリ美人。日本はかなり細め。浮世絵などがいい例だ。

さすが現代日本でも「お歯黒・厚塗り」は受けない。だから時代劇にもでてこない。

はやぶさとはくちょう

2016年01月10日 | Weblog
はやぶさなる鳥は一時間に300キロはとべると。ツバメだってせいぜい70キロだという。
ここらへんが「はやぶさ」という名前がつけられる理由だろう。
このスピードで獲物を見つけると急降下する。ねらわれたらたまらん。手足も強固な爪をもっており空中で仲間とエサの受け渡しもするらしい。これが実にうまいらしい。
ま、白鳥など大きな鳥は襲わないだろうけど。

最終版の白鳥だ。湖の回りの森を黒でしめた。
記録によれば戦後、青木湖に白鳥の大群が飛来した。当時猟師にとっては結構な獲物で撃ち落された。当時白い鳥はなんでも「鶴」と呼ばれていた。
撃ち落したこの鶴を食べたが「あんなまずいものはなかった」と猟師はいっている。
それ以後、白鳥に飛来はなかった。それから十一年後昭和35年諏訪湖に飛来してきた。これもハンターに撃たれ来なくなったという。
白鳥だって安全な場所は本能的にわかるのだ。迫害しなければ人なつっこい鳥だそうだ。