ちょい俳句会の関係で松尾芭蕉を探る。
奥の細道の旅に出たのは49歳。現代だと現役バリバリですが・・・・・。あの頃は「人生50年」と言ってる時代ですし、車のない旅ですから旅の行程もかなり考慮したようです。ここで当地の気候などの情報を入れてくれたのは各地の弟子たちです。つまり芭蕉は選挙で全国区で立候補すれば、すぐ当確がでるような存在であった。この当時の西鶴や近松門左衛門は地方区の有名人で全国にはそれほど広まっていない。当時の状勢を考えると芭蕉の「俳句」がいかに広まっていたかということだ。旅の途中、馬子に色紙をねだられている話からも感じられる。
そして各地の弟子たちと「手紙」を通して情報のネットワークができていたということだ。写真は安曇野満願時。芭蕉の句碑がある。「父母のしきりに恋しきしの聲」とある。きしは雉のことである。